今回は、「ぼくは12歳」という本のお話しです。
先月だったか、たまたまテレビをザッピング(←死語)していたら、爆笑問題の太田光が、作家の高史明氏と対談を行っていた。それがああた、NHK教育テレビジョンだったから二度びっくり。総合テレビではなくて、教育テレビ。いわゆる「教育番組」と太田光の取り合わせというのも、ピンと来ない訳ではなかったけれど、うーん…。
そのテレビ番組が何というタイトルだったかまでは覚えていない。
間違いないのは、かなり体調が悪く大波に飲まれていた時期に、寝込みながら見ていたこと。寝込んでいたからこの本のタイトルを覚えたわけではあるまいが、太田が「この詩はなんて生命力に満ちあふれているんだろう」と言ったことを(断片的に)覚えていたから、ちょっと読んでみよう…と思ったのがこの本。
後に調べてみたら、この本は、詩集として出版された1976年、相当な話題を巻き起こしたそうで、そんなこととはつゆ知らず、何軒も本屋を探し歩いて、太田と対談していた高史明氏「生きることの意味」と合わせて買い求めたのは、実は地元の本屋さんだったりして(笑)。
いやあ…。
久々に脳天逆落としを食らいました。
こんな本、いや、こんな詩集がこの世に出て既に30年以上経過しているというのに、おいらはなぜこの本にもうちょっと早く出会えなかったのか。
もっと言うなれば、この詩集には、著者岡真史と同じ12歳で出会いたかった。
そうでなくても、高校生時分で出会いたかった詩集だ。
もっとも、12歳当時、或いは高校生時分でこの詩集と出会ったとしても、果たして今ほどの衝撃を持ってこの本を迎えることが出来ただろうか。
それなりに心を動かされる詩集ではあるけれども、若い身空でこの詩集を真っ正面から受け止められるだけの感性が、僕にあっただろうか…と自問自答すると、とてもイエスとは言えないだろう。
それでも、この詩集に、もう少し若い頃に出会えていたとするならば、もうちょっとまともに、生きる意味について真っ正面から受け止められたかも知れない。
それにしても、この詩集は、本当に12歳当時の彼が書いたものなのだろうか。
だとしたら、彼の持っている「言葉」は、12歳の少年が持ち歩くには、甚だ危険な凶器を裸のままで持ち歩かせていたのかも知れない。
よく「言葉に刃を…」という表現がいろいろな書物に出てくるが、それを体感したければ、迷わずこの詩集を一読することをお勧めする。
言葉という名の「凶器」を、彼は12歳にして既に持ち得ていたのだ。
誰もが持ちたいと憧れながら、一部の限られた人間でしか持ち得なかった「凶器」としての言葉を、わずか12歳で手に入れていた彼は、その研ぎ澄まされすぎた感性であったが故に、自宅近くの団地から永遠の空へ身を投じることになる。
とにかく、中の詩の一つ一つに、刃が込められている。
普通であれば、中の詩を一部でも紹介して、「こんな所に震えたんだ」と書くところだが、そんな行為ですら陳腐に見えるくらい、この詩集の持つ刃の鋭利なこと!
この詩集の彼に、寺山修司の「あゝ、荒野」で、新宿新次にボクシングの試合中に殴り殺されてゆくバリカン建二が重なって見えた。
「おミコシがだんだん遠ざかってゆく。おミコシと一緒に群衆も遠ざかっていく。俺だけはここに取り残されているのに、誰もそのことに気づかない…みんな後ろ向きだ…みんな去ってゆく」…。
「愛するために、愛されたい」
彼の詩の心境を聞きたいと思っても、彼はもう、この世には、いない。
この詩を電車の中で読んでいて、何度震えたことか。
おそらく皆さんはこの詩集はお読みになったことがあるでしょう。
お読みになってない方は、今すぐご一読を強くお勧めします。
12歳で、生きることに、死ぬことに、これだけ葛藤しているというのに、彼より20年も余計に生きている俺は、生きることにこれだけ葛藤したことが、未だかつてあっただろうか。
ないとは言わないが、それとてどの程度の葛藤だったことやら。
その詩は、出版から30年以上経った今も、刃は研がれている。
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先月だったか、たまたまテレビをザッピング(←死語)していたら、爆笑問題の太田光が、作家の高史明氏と対談を行っていた。それがああた、NHK教育テレビジョンだったから二度びっくり。総合テレビではなくて、教育テレビ。いわゆる「教育番組」と太田光の取り合わせというのも、ピンと来ない訳ではなかったけれど、うーん…。
そのテレビ番組が何というタイトルだったかまでは覚えていない。
間違いないのは、かなり体調が悪く大波に飲まれていた時期に、寝込みながら見ていたこと。寝込んでいたからこの本のタイトルを覚えたわけではあるまいが、太田が「この詩はなんて生命力に満ちあふれているんだろう」と言ったことを(断片的に)覚えていたから、ちょっと読んでみよう…と思ったのがこの本。
後に調べてみたら、この本は、詩集として出版された1976年、相当な話題を巻き起こしたそうで、そんなこととはつゆ知らず、何軒も本屋を探し歩いて、太田と対談していた高史明氏「生きることの意味」と合わせて買い求めたのは、実は地元の本屋さんだったりして(笑)。
いやあ…。
久々に脳天逆落としを食らいました。
こんな本、いや、こんな詩集がこの世に出て既に30年以上経過しているというのに、おいらはなぜこの本にもうちょっと早く出会えなかったのか。
もっと言うなれば、この詩集には、著者岡真史と同じ12歳で出会いたかった。
そうでなくても、高校生時分で出会いたかった詩集だ。
もっとも、12歳当時、或いは高校生時分でこの詩集と出会ったとしても、果たして今ほどの衝撃を持ってこの本を迎えることが出来ただろうか。
それなりに心を動かされる詩集ではあるけれども、若い身空でこの詩集を真っ正面から受け止められるだけの感性が、僕にあっただろうか…と自問自答すると、とてもイエスとは言えないだろう。
それでも、この詩集に、もう少し若い頃に出会えていたとするならば、もうちょっとまともに、生きる意味について真っ正面から受け止められたかも知れない。
それにしても、この詩集は、本当に12歳当時の彼が書いたものなのだろうか。
だとしたら、彼の持っている「言葉」は、12歳の少年が持ち歩くには、甚だ危険な凶器を裸のままで持ち歩かせていたのかも知れない。
よく「言葉に刃を…」という表現がいろいろな書物に出てくるが、それを体感したければ、迷わずこの詩集を一読することをお勧めする。
言葉という名の「凶器」を、彼は12歳にして既に持ち得ていたのだ。
誰もが持ちたいと憧れながら、一部の限られた人間でしか持ち得なかった「凶器」としての言葉を、わずか12歳で手に入れていた彼は、その研ぎ澄まされすぎた感性であったが故に、自宅近くの団地から永遠の空へ身を投じることになる。
とにかく、中の詩の一つ一つに、刃が込められている。
普通であれば、中の詩を一部でも紹介して、「こんな所に震えたんだ」と書くところだが、そんな行為ですら陳腐に見えるくらい、この詩集の持つ刃の鋭利なこと!
この詩集の彼に、寺山修司の「あゝ、荒野」で、新宿新次にボクシングの試合中に殴り殺されてゆくバリカン建二が重なって見えた。
「おミコシがだんだん遠ざかってゆく。おミコシと一緒に群衆も遠ざかっていく。俺だけはここに取り残されているのに、誰もそのことに気づかない…みんな後ろ向きだ…みんな去ってゆく」…。
「愛するために、愛されたい」
彼の詩の心境を聞きたいと思っても、彼はもう、この世には、いない。
この詩を電車の中で読んでいて、何度震えたことか。
おそらく皆さんはこの詩集はお読みになったことがあるでしょう。
お読みになってない方は、今すぐご一読を強くお勧めします。
12歳で、生きることに、死ぬことに、これだけ葛藤しているというのに、彼より20年も余計に生きている俺は、生きることにこれだけ葛藤したことが、未だかつてあっただろうか。
ないとは言わないが、それとてどの程度の葛藤だったことやら。
その詩は、出版から30年以上経った今も、刃は研がれている。
絶対に損はしない一冊だと思いますよ。
>青空百景さん
そうなんですよねえ、12歳の自分が読んでも、果たして今ほどこの詩を受け入れられたか…という問題もありますし、或いは何の気なしにすんなり自分の中に同化していってしまう詩かもしれません。
年齢を重ねていく事って、こんな所にもあてはまるものなのでしょうか。
あの頃と、感性は鋭くなっているのでしょうか、それとも鈍くなりすぎたが故に、衝撃的に映るのでしょうか…?
年代は違っても年齢は同じで読んだせいか、ごくごく素直に読んだように記憶しています。
大人になってから思い返すとどれも衝撃的な詩ばかりですが、12歳の感性にとっては「当然の内容」だったんですね。
……と思うと、大人になるまでの間に一体どれだけ感性が鈍磨してしまったのか、空恐ろしくなりますが(苦笑)。