♪こくてっつ探してうろついてる君が今
真冬の高架駅ひっと~り~ 横切ったよ~♪
突っ走れ 勝利のために~
え~。
大きなニュースが入ってきたと思ったら、だいたいはその後はネタ切れになるのでございます。
あたしごときがオバマ新大統領就任式が云々と始めたところで、あまり面白くもおかしくもございませんでしょ。
テリトリーのストライクゾーンだけは人よりかなり広いくせに、なんで女の一人や二人ストライクゾーンに来たら打てないんだと散々罵られているおいらも(言っておきますが、罵られているのは実話ですorz)、当ブログの本当のオフシーズンである年明けから2月、3月アタマくらいまでの季節は、実は本当にネタ探しの毎日でございまして、無理矢理ネタをこじつけては、「お目付役」Fumi氏にお小言を食らうことも往々にしてございまして。
ネタのない夜は、どうせなら過去に渡って撮り貯めてきた写真達から、蔵出し半分でネタになりそうなものを引っ張り出してきて書こうじゃないかと。
とゆーわけで、昨年の同じ時期から暖め続けていた…というより、ただ単にネタを放出する時機を逸したともいうこのネタで、ひとときをお楽しみ頂ければと存じます。
さて、国鉄が分割民営化でJR6社に分割されたのが1987年4月のこと。
実にもう22年近い時が過ぎようとしております。
そりゃそうだ。
なにせ今年の成人式からは、平成元年の早生まれの人達まで混じっちゃうのだから。
そりゃ年も取るわけだよなあ…。
そうでなくてもおそらく、国鉄が分割民営化された1987年4月の段階で、まだこの世に生を受けていらっしゃらない読者の皆さんも、少なくはない数でおいでになるかと思うのだ。
JRが発足して20年あまり。
徐々に「国鉄形式」と言われてきた車両もその数を減らし、首都圏では通勤輸送を支えた103系が過去帳入りとなり、「省エネ電車」201系も、首都圏では中央線と京葉線で最後の活躍を続けている。房総地区を走り続ける113系も、京浜東北線から209系が転入する噂が流れており、中央本線筋の115系と併せて予断を許さない状況にある。
国鉄形車両が減ってきていると同時に、実は駅の案内サインなどでも、国鉄形式の表示が、徐々に消えつつある。
駅の案内サインなどは、最初は国鉄の形を受け継ぎ、JRオリジナルの案内サインが生まれたのはJRが生まれて半年経ったあたりからで、以降20年にわたり、徐々に「国鉄形サイン」も数が減りつつある。その証拠に、京葉線などはモロに国鉄形サインの牙城だったが、近年はあっという間にJR形の案内サインや看板に取り替えられてしまった。
そこで今日は、駅に残る「国鉄」の痕跡を探して、記録と記憶にとどめようじゃないかという、鉄ヲタ以外の皆様方をまったく放り出した企画をお見舞いしようという所存でございます。
この国鉄形の案内サインは、まだ探そうと思えば首都圏各所にも意外と残されている。
首都圏のお膝元、東京駅丸の内地下中央口改札には、こんな案内が残っていた。
この案内を見ると、改札がまだ有人だった頃を思い出しますなあ…。
今の20歳以下の方は、もしかすると、改札と言えば駅員が改札口でキップにパンチを入れていた…というところからして想像し得ない姿なのかもしれない。
丸の内北口に通じる階段には、こんな案内板も。
これなんかはモロに国鉄フォントですな。
この案内サインがしぶとく残っている場所と言えば、手近なところでは船橋駅。
もうあちらこちらに残ったままです。
以下、ノーキャプションでお楽しみ下さい。
話は変わって、最近は列車案内装置「ATOS」の普及により、駅のホームで見かけることが出来た、列車接近表示も、最近では首都圏では見る機会が急速に減ってきた。
で、列車が近くの信号を通過したかすると、この行灯が光るという、原始的かつシンプルな案内装置になっている。
下の写真は、2003年頃に撮影した、山手線日暮里駅の接近表示で、日暮里駅には現在、もうありません。
似たような接近表示は、大宮以北の高崎線辺りに出かけると、まだ残っている…はず(笑)。
先日南浦和の駅に行ったらば、国鉄形式のサインがまだ至る所に残っていてびっくり。
探さないと残ってないのだけれど、探せば実は残っているところには残っていたりするんですなあ…。
下の写真の階段のサインは、もしかしてあまり残っていないんじゃないかなあ…?
みどりの窓口の看板も、キップ関係の文字はオレンジで表示されているところが、なんとも国鉄らしい。
…と驚いたのもつかの間、お隣の武蔵浦和駅には、オレンジ色の地の「きっぷうりば」というサインがさりげなく残ってました。
まだまだ至る所に残されている「国鉄」。
普段皆さんが使う駅で、何気ないところに、意外と「国鉄」の痕跡が未だに残っているかもしれませんね。
普段全く気にもかけないような場面で、思わぬ発見をすると、その瞬間に、今まで隠れていた世界がぱーっと広がる体験が、もしかしたら出来るかもしれませんね。
真冬の高架駅ひっと~り~ 横切ったよ~♪
え~。
大きなニュースが入ってきたと思ったら、だいたいはその後はネタ切れになるのでございます。
あたしごときがオバマ新大統領就任式が云々と始めたところで、あまり面白くもおかしくもございませんでしょ。
テリトリーのストライクゾーンだけは人よりかなり広いくせに、なんで女の一人や二人ストライクゾーンに来たら打てないんだと散々罵られているおいらも(言っておきますが、罵られているのは実話ですorz)、当ブログの本当のオフシーズンである年明けから2月、3月アタマくらいまでの季節は、実は本当にネタ探しの毎日でございまして、無理矢理ネタをこじつけては、「お目付役」Fumi氏にお小言を食らうことも往々にしてございまして。
ネタのない夜は、どうせなら過去に渡って撮り貯めてきた写真達から、蔵出し半分でネタになりそうなものを引っ張り出してきて書こうじゃないかと。
とゆーわけで、昨年の同じ時期から暖め続けていた…というより、ただ単にネタを放出する時機を逸したともいうこのネタで、ひとときをお楽しみ頂ければと存じます。
さて、国鉄が分割民営化でJR6社に分割されたのが1987年4月のこと。
実にもう22年近い時が過ぎようとしております。
そりゃそうだ。
なにせ今年の成人式からは、平成元年の早生まれの人達まで混じっちゃうのだから。
そりゃ年も取るわけだよなあ…。
そうでなくてもおそらく、国鉄が分割民営化された1987年4月の段階で、まだこの世に生を受けていらっしゃらない読者の皆さんも、少なくはない数でおいでになるかと思うのだ。
JRが発足して20年あまり。
徐々に「国鉄形式」と言われてきた車両もその数を減らし、首都圏では通勤輸送を支えた103系が過去帳入りとなり、「省エネ電車」201系も、首都圏では中央線と京葉線で最後の活躍を続けている。房総地区を走り続ける113系も、京浜東北線から209系が転入する噂が流れており、中央本線筋の115系と併せて予断を許さない状況にある。
国鉄形車両が減ってきていると同時に、実は駅の案内サインなどでも、国鉄形式の表示が、徐々に消えつつある。
駅の案内サインなどは、最初は国鉄の形を受け継ぎ、JRオリジナルの案内サインが生まれたのはJRが生まれて半年経ったあたりからで、以降20年にわたり、徐々に「国鉄形サイン」も数が減りつつある。その証拠に、京葉線などはモロに国鉄形サインの牙城だったが、近年はあっという間にJR形の案内サインや看板に取り替えられてしまった。
そこで今日は、駅に残る「国鉄」の痕跡を探して、記録と記憶にとどめようじゃないかという、鉄ヲタ以外の皆様方をまったく放り出した企画をお見舞いしようという所存でございます。
この国鉄形の案内サインは、まだ探そうと思えば首都圏各所にも意外と残されている。
首都圏のお膝元、東京駅丸の内地下中央口改札には、こんな案内が残っていた。
この案内を見ると、改札がまだ有人だった頃を思い出しますなあ…。
今の20歳以下の方は、もしかすると、改札と言えば駅員が改札口でキップにパンチを入れていた…というところからして想像し得ない姿なのかもしれない。
丸の内北口に通じる階段には、こんな案内板も。
これなんかはモロに国鉄フォントですな。
この案内サインがしぶとく残っている場所と言えば、手近なところでは船橋駅。
もうあちらこちらに残ったままです。
以下、ノーキャプションでお楽しみ下さい。
話は変わって、最近は列車案内装置「ATOS」の普及により、駅のホームで見かけることが出来た、列車接近表示も、最近では首都圏では見る機会が急速に減ってきた。
で、列車が近くの信号を通過したかすると、この行灯が光るという、原始的かつシンプルな案内装置になっている。
下の写真は、2003年頃に撮影した、山手線日暮里駅の接近表示で、日暮里駅には現在、もうありません。
似たような接近表示は、大宮以北の高崎線辺りに出かけると、まだ残っている…はず(笑)。
先日南浦和の駅に行ったらば、国鉄形式のサインがまだ至る所に残っていてびっくり。
探さないと残ってないのだけれど、探せば実は残っているところには残っていたりするんですなあ…。
下の写真の階段のサインは、もしかしてあまり残っていないんじゃないかなあ…?
みどりの窓口の看板も、キップ関係の文字はオレンジで表示されているところが、なんとも国鉄らしい。
…と驚いたのもつかの間、お隣の武蔵浦和駅には、オレンジ色の地の「きっぷうりば」というサインがさりげなく残ってました。
まだまだ至る所に残されている「国鉄」。
普段皆さんが使う駅で、何気ないところに、意外と「国鉄」の痕跡が未だに残っているかもしれませんね。
普段全く気にもかけないような場面で、思わぬ発見をすると、その瞬間に、今まで隠れていた世界がぱーっと広がる体験が、もしかしたら出来るかもしれませんね。
そういえば、どっかの駅でE電って表示をみたなぁ……と思ったら、JRになってからの表記だったんだね。
そのE電って表示があったのはどこ?
仕事を放り出してでも調べに行くぜ←ぉ
どこの駅だったろう。。。
埼京線・山手線・京浜東北線のいずれかの駅なんだろうな~。
池袋・新宿・大崎・品川・田町・東京・神田・上野・田端・飯田橋・蒲田あたり?
端っこにある階段を「降りる」駅ってーと…?
東京、新宿、池袋か…。
どこも残ってなさそうなんだけど…。