つい3つや4つ前のエントリすら戻るのがめんどくさいとおっしゃる有り難き読者の皆様方に、前回のエントリはこちら。
大人の修学旅行~待ってろ甲子園~ しょの1
さて、夢の舞台甲子園を心ゆくまで満喫したいところではあるけれど、今回、せっかく兵庫県西宮市まで足を運んだからには、どうしても足を運んでおきたい場所が同じ西宮市内にあるので、合流した皆さんにお断りを入れ、しばし中座することに。
場所は同じ市内なのに、甲子園駅から直通するバスもないので、阪神と阪急をそれぞれ2駅ずつちび乗りしなければならないのはいかんともしがたいが、元々最寄りの私鉄沿線に住んでいたら、その私鉄沿線以外には、たとえ同じ市内であってもほとんど用事がないのは、関西圏だけに限らず、首都圏近郊でも同じだと思うのだけれど、なにせ南北に2~3キロの圏内に阪神、JR、阪急と走っていて、それぞれの沿線住民は、ほとんどその私鉄以外には用事なく済ますことが出来るのだから、便利というべきか、いざという時に不便というべきか。
まあ、「同じ市内」と言い出すと、西宮は南北に長い都市で、JR福知山(宝塚)線の宝塚の西隣も、西宮市内にあたる「西宮名塩」で、山間に新興住宅地が広がる土地だから、西宮名塩から甲子園に行くのも一手間も二手間もかかるのだが。言ってみれば、横浜や市川と同じような物と考えれば合点がいくだろう。
甲子園駅では、阪神なんば線の開業で、姿を消すと勝手に思っていた、昔ながらの反転式行先案内機、通称「パタパタ」が今なお現役で嬉しいね。
阪神尼崎駅にあった幕式の案内表示はさすがに現役を引退しただろうけれど。
う~ん…。
甲子園で「奈良」の文字を見るとどうも違和感がw
目的の場所は阪急西宮北口駅なので、甲子園から高速神戸行き各駅停車で2つ、今津で阪急今津線に乗り換え。
以前は阪急も阪神も地平にホームがあり、阪神のホームの隣に阪急のホームがあったから、乗り換えは楽々だったのだけれど、都市計画で両者とも高架化されたと共に、阪急のホームは阪神の駅からやや離れ、駅前広場を挟んだ北側に移設された。
その高架化された今津駅から、4年ぶりに乗る阪急電車を記念に1枚。
今津線で2駅、西宮北口駅に着くと、駅は高架化工事真っ最中。
今は阪急神戸線輸送力増強の一環として、今津線は西宮北口で宝塚までの北線と、今乗ってきた今津までの南線に分断されているのだが、元々は宝塚から今津まで直通運転をしており、神戸線とはダイヤモンドクロスで交わっていた。
神戸線特急の10両化が迫られていた折り、このダイヤモンドクロスを潰さないことにはホームが延伸できず、1984年に今津線は南北に分断されている。
今度はその今津南線の高架化工事が進んでいるようで、仮ホームでの発着になっている。
以前はこの写真の左隣に5号線ホームがあった。
さて。
5号線ホームから乗り換えコンコースに上がるエスカレーターとは反対側に、明らかに「昔の遺構」と思われるシャッターを発見。
ユニフォームが白っぽいのと赤っぽいんじゃあ、こりゃもう今は無き阪急ブレーブスっぽいでしょう…。
ちなみに、現駅舎完成前は、このシャッターの奥に、西宮球場方面に向かう改札口があった。
ついでなんで、今津北線の6、7号ホームへも回ってみる。
この先はおいらが宝塚時代慣れ親しんだ乗り換え通路でもある。
そうこうしているうちに電車到着。
方向板車キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
う~ん。
これこそ阪急顔ですよ。
側面の行灯式種別表示器には、行灯が全て点灯して、行き先表示がなされている。
これが本線使用時(もちろん現在は存在しない)には、裏から明かりを一つずつあてて、
特急 急行 準急
と、それぞれ種別を表示できるようになっていた。
さて、阪急電車ウオッチングもそこそこに、目的地へ出かけることにしましょうか。
今日の目的地は、阪急西宮球場跡地に建てられた、「阪急西宮ガーデンズ」。
その中にある、「阪急西宮ギャラリー」が目的。
そういえば、遡ること4年前の春、2005年3月。
今津南線5号線ホームから、解体作業に入っていた阪急西宮球場を、ホームの柵にもたれて眺めた記憶がある。
今、球場は跡形もなくなり、跡地には、スタジアムより巨大な建物がそびえ立っている。
建物はもとより、駅前周辺の道路も見事な変わりようで、何時の間にか、駅の北側へ通じる地下道が建設されていた。前はバスが行き交うのも一苦労の、狭い通りだったのに…。
目的地は奥まった5階にある。
映画が目的なら、映画館の手前なので目印になりやすい。
以下、ノーキャプションでご覧下さい。
アストロビジョンを再現したスコアボードなんかは、拡大バージョンでご覧いただきます。
高校野球のエントリからご覧いただいている皆様方には、もしかしたらご存じない方もいらっしゃるでしょうから、もう一度書いておきますが、おいらの野球観戦の故郷は、この阪急西宮球場にある。
おいらが初めて見たプロ野球が、1986年3月、小学校6年に上がる前の春休みに見た、阪急対巨人のオープン戦。
アンダースローの山田久志と、江川卓の投げ合いですよ。
そして館内ではこれまた感無量なことに、まさにおいらが西宮球場に出入りしていた頃の、高知キャンプの映像も流れていて、もう何も言うことはありません…。
山田久志も福本豊も佐藤義則も今井雄太郎も、山沖も藤田も石嶺も松永もブーマーも弓岡も簑田も南牟礼もアニマルも、みんなおいらの記憶の中では現役なんですよ…。
もしかしたら読者の皆様方で、この頃にはまだこの世に生を受けていらっしゃらない方もおられるるかもしれないので、「昔話」と取られても仕方ない時代の話だけれど、おいらにも昔話くらいさせてくれよう…。
だって、おいらの野球観戦の故郷にやっと帰ることが出来たんだからさあ…。・゜・(ノД`)・゜・。
お盆にはまだ早いけどね…。
もちろん感無量だったけれど、それ以上の感慨が沸いてこなかったのは、もとより「帰る場所なんてない」と、ずっと腹をくくってきたからか、或いは前夜1時間しか寝ていない疲れがあったのかは、分からない。ともかく、阪急ブレーブスが1988年秋にオリックスに身売りしてからというもの、帰るチームを失ったのは間違いないのだから。
ただ、こうして帰る場所が出来たのは、とても幸せなことだと思う。
他のメモリアルスポットなども見て回り、そろそろ館内からおいとましましょう。
甲子園へ帰るのに、ただ今津線をまっすぐ帰るだけでは面白くないので、阪神電車の駅までバスで出るか、或いは梅田か三宮まで回って帰ろうかどうしようか迷った挙げ句、ここはこんな機会しか乗る機会はないだろうということで、バスに少々乗ってみる。
甲子園方面に少しでも近づくなら、JR甲子園口駅行きのバスもあるのだけれど、甲子園口に着いたところで、阪神バスに乗り換えるか、さもなくば大きな荷物を抱えて炎天下を歩かなければ行けないのでさすがにパス。朝凪町行き阪急バスに乗り、西宮市役所前で降りると、阪神西宮駅東口が至近なのでちょうどいい。特急も止まるし。
阪神西宮で、各停専用の青胴車を思わずぱちり。
ついでに特急の前面につけられた「高校野球」のマークもぱちり。
阪神の駅構内では、何分かごとに、やかましいくらいに「栄冠は君に輝く」を流してくれちゃったりして。
毎日聞かされている方はたまらないだろうけれど、まさか出場校として、甲子園の地を踏むことになるなんて、まるで夢にも思わなかったからねえ…。
で、特急の写真を撮ったくせに、後発の始発の急行で甲子園に戻る(笑)。
だって、特急だと座れなかったんだもん…。特急だと一駅だけなんだけどさ。
とゆーわけで、2時間半ほどで甲子園駅に舞い戻ってまいりました。
駅構内には、高校野球の速報板も用意されていて、まさかのサンテレビと我が母校のコラボがwww
球場前では、開会式で使用した各出場校のプラカードで、ボランティアのおっちゃん達が記念写真を撮ってくれるというサービスが行われている。
そりゃもう、おいらも一枚所望しました。
場外には、出場各高校の宿舎も掲示されております。
んでもって、母校の戦いのエントリは、こちらからご覧下さい。
2009年8月11日付け「狂い咲きの夏が終わりました」
甲子園駅改札前でドラパパさんと、次いで、今日は神戸に住んでいる妹さんのところへ行くというチョコナさんともお別れ。っつーかキミは一人で神戸に行けるのか?w
Fumi氏、あんたはどーするね…と聞いたら、ひとまず帰るかなあ、飛行機あるかなあ…と調べてみたら、伊丹発の飛行機は全て満席だったようで、新幹線で帰るということなので、おいらも今宵の宿は新大阪、一緒に新大阪まで行くことにする。
最終の第3試合が終わって小一時間ほど経つのに、甲子園から乗った直通特急は結構な盛況で、おまけに今日は淀川で花火大会が行われる関係で多客なのか、尼崎手前と梅田手前でそれぞれ少々待たされた。
花火大会でカオス状態の大阪駅を抜けて一駅、新大阪へ。新幹線で帰るFumi氏とはここでお別れ。
一人改札を出て、花火大会を眺めに淀川の河川敷へ向かうカップルさん達を見ながら、今宵の宿「東横イン新大阪駅前本館」にチェックイン。
昼間炎天下でさんざん汗をかいたので、シャワーの一つでも浴びたいところだったけれど、おいら如きのために、関西のマリーンズ応援仲間が新大阪に集まってくれるという話になっているので、一息ついて部屋を出る。う~ん、最初の腹づもりでは、ひとっ風呂浴びる時間はあったはずなのだけれど、試合が終わっても、あっという間に過ぎ去った夢のような空間、夢のような時間に、甲子園に別れを告げるのが惜しくなったのと、阪神電車が予想以上に時間がかかったのが原因で、少々予定が狂った。
しっかし! この日の酒は最高に美味しかった!!
集まって下さった皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m
大人の修学旅行は、一日であっさり終わっても、「関西遠征」は明日もまだまだ続きます。
というわけで続きはまた今度。
大人の修学旅行~待ってろ甲子園~ しょの1
さて、夢の舞台甲子園を心ゆくまで満喫したいところではあるけれど、今回、せっかく兵庫県西宮市まで足を運んだからには、どうしても足を運んでおきたい場所が同じ西宮市内にあるので、合流した皆さんにお断りを入れ、しばし中座することに。
場所は同じ市内なのに、甲子園駅から直通するバスもないので、阪神と阪急をそれぞれ2駅ずつちび乗りしなければならないのはいかんともしがたいが、元々最寄りの私鉄沿線に住んでいたら、その私鉄沿線以外には、たとえ同じ市内であってもほとんど用事がないのは、関西圏だけに限らず、首都圏近郊でも同じだと思うのだけれど、なにせ南北に2~3キロの圏内に阪神、JR、阪急と走っていて、それぞれの沿線住民は、ほとんどその私鉄以外には用事なく済ますことが出来るのだから、便利というべきか、いざという時に不便というべきか。
まあ、「同じ市内」と言い出すと、西宮は南北に長い都市で、JR福知山(宝塚)線の宝塚の西隣も、西宮市内にあたる「西宮名塩」で、山間に新興住宅地が広がる土地だから、西宮名塩から甲子園に行くのも一手間も二手間もかかるのだが。言ってみれば、横浜や市川と同じような物と考えれば合点がいくだろう。
甲子園駅では、阪神なんば線の開業で、姿を消すと勝手に思っていた、昔ながらの反転式行先案内機、通称「パタパタ」が今なお現役で嬉しいね。
阪神尼崎駅にあった幕式の案内表示はさすがに現役を引退しただろうけれど。
う~ん…。
甲子園で「奈良」の文字を見るとどうも違和感がw
目的の場所は阪急西宮北口駅なので、甲子園から高速神戸行き各駅停車で2つ、今津で阪急今津線に乗り換え。
以前は阪急も阪神も地平にホームがあり、阪神のホームの隣に阪急のホームがあったから、乗り換えは楽々だったのだけれど、都市計画で両者とも高架化されたと共に、阪急のホームは阪神の駅からやや離れ、駅前広場を挟んだ北側に移設された。
その高架化された今津駅から、4年ぶりに乗る阪急電車を記念に1枚。
今津線で2駅、西宮北口駅に着くと、駅は高架化工事真っ最中。
今は阪急神戸線輸送力増強の一環として、今津線は西宮北口で宝塚までの北線と、今乗ってきた今津までの南線に分断されているのだが、元々は宝塚から今津まで直通運転をしており、神戸線とはダイヤモンドクロスで交わっていた。
神戸線特急の10両化が迫られていた折り、このダイヤモンドクロスを潰さないことにはホームが延伸できず、1984年に今津線は南北に分断されている。
今度はその今津南線の高架化工事が進んでいるようで、仮ホームでの発着になっている。
以前はこの写真の左隣に5号線ホームがあった。
さて。
5号線ホームから乗り換えコンコースに上がるエスカレーターとは反対側に、明らかに「昔の遺構」と思われるシャッターを発見。
ユニフォームが白っぽいのと赤っぽいんじゃあ、こりゃもう今は無き阪急ブレーブスっぽいでしょう…。
ちなみに、現駅舎完成前は、このシャッターの奥に、西宮球場方面に向かう改札口があった。
ついでなんで、今津北線の6、7号ホームへも回ってみる。
この先はおいらが宝塚時代慣れ親しんだ乗り換え通路でもある。
そうこうしているうちに電車到着。
方向板車キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
う~ん。
これこそ阪急顔ですよ。
側面の行灯式種別表示器には、行灯が全て点灯して、行き先表示がなされている。
これが本線使用時(もちろん現在は存在しない)には、裏から明かりを一つずつあてて、
特急 急行 準急
と、それぞれ種別を表示できるようになっていた。
さて、阪急電車ウオッチングもそこそこに、目的地へ出かけることにしましょうか。
今日の目的地は、阪急西宮球場跡地に建てられた、「阪急西宮ガーデンズ」。
その中にある、「阪急西宮ギャラリー」が目的。
そういえば、遡ること4年前の春、2005年3月。
今津南線5号線ホームから、解体作業に入っていた阪急西宮球場を、ホームの柵にもたれて眺めた記憶がある。
今、球場は跡形もなくなり、跡地には、スタジアムより巨大な建物がそびえ立っている。
建物はもとより、駅前周辺の道路も見事な変わりようで、何時の間にか、駅の北側へ通じる地下道が建設されていた。前はバスが行き交うのも一苦労の、狭い通りだったのに…。
目的地は奥まった5階にある。
映画が目的なら、映画館の手前なので目印になりやすい。
以下、ノーキャプションでご覧下さい。
アストロビジョンを再現したスコアボードなんかは、拡大バージョンでご覧いただきます。
高校野球のエントリからご覧いただいている皆様方には、もしかしたらご存じない方もいらっしゃるでしょうから、もう一度書いておきますが、おいらの野球観戦の故郷は、この阪急西宮球場にある。
おいらが初めて見たプロ野球が、1986年3月、小学校6年に上がる前の春休みに見た、阪急対巨人のオープン戦。
アンダースローの山田久志と、江川卓の投げ合いですよ。
そして館内ではこれまた感無量なことに、まさにおいらが西宮球場に出入りしていた頃の、高知キャンプの映像も流れていて、もう何も言うことはありません…。
山田久志も福本豊も佐藤義則も今井雄太郎も、山沖も藤田も石嶺も松永もブーマーも弓岡も簑田も南牟礼もアニマルも、みんなおいらの記憶の中では現役なんですよ…。
もしかしたら読者の皆様方で、この頃にはまだこの世に生を受けていらっしゃらない方もおられるるかもしれないので、「昔話」と取られても仕方ない時代の話だけれど、おいらにも昔話くらいさせてくれよう…。
だって、おいらの野球観戦の故郷にやっと帰ることが出来たんだからさあ…。・゜・(ノД`)・゜・。
お盆にはまだ早いけどね…。
もちろん感無量だったけれど、それ以上の感慨が沸いてこなかったのは、もとより「帰る場所なんてない」と、ずっと腹をくくってきたからか、或いは前夜1時間しか寝ていない疲れがあったのかは、分からない。ともかく、阪急ブレーブスが1988年秋にオリックスに身売りしてからというもの、帰るチームを失ったのは間違いないのだから。
ただ、こうして帰る場所が出来たのは、とても幸せなことだと思う。
他のメモリアルスポットなども見て回り、そろそろ館内からおいとましましょう。
甲子園へ帰るのに、ただ今津線をまっすぐ帰るだけでは面白くないので、阪神電車の駅までバスで出るか、或いは梅田か三宮まで回って帰ろうかどうしようか迷った挙げ句、ここはこんな機会しか乗る機会はないだろうということで、バスに少々乗ってみる。
甲子園方面に少しでも近づくなら、JR甲子園口駅行きのバスもあるのだけれど、甲子園口に着いたところで、阪神バスに乗り換えるか、さもなくば大きな荷物を抱えて炎天下を歩かなければ行けないのでさすがにパス。朝凪町行き阪急バスに乗り、西宮市役所前で降りると、阪神西宮駅東口が至近なのでちょうどいい。特急も止まるし。
阪神西宮で、各停専用の青胴車を思わずぱちり。
ついでに特急の前面につけられた「高校野球」のマークもぱちり。
阪神の駅構内では、何分かごとに、やかましいくらいに「栄冠は君に輝く」を流してくれちゃったりして。
毎日聞かされている方はたまらないだろうけれど、まさか出場校として、甲子園の地を踏むことになるなんて、まるで夢にも思わなかったからねえ…。
で、特急の写真を撮ったくせに、後発の始発の急行で甲子園に戻る(笑)。
だって、特急だと座れなかったんだもん…。特急だと一駅だけなんだけどさ。
とゆーわけで、2時間半ほどで甲子園駅に舞い戻ってまいりました。
駅構内には、高校野球の速報板も用意されていて、まさかのサンテレビと我が母校のコラボがwww
球場前では、開会式で使用した各出場校のプラカードで、ボランティアのおっちゃん達が記念写真を撮ってくれるというサービスが行われている。
そりゃもう、おいらも一枚所望しました。
場外には、出場各高校の宿舎も掲示されております。
んでもって、母校の戦いのエントリは、こちらからご覧下さい。
2009年8月11日付け「狂い咲きの夏が終わりました」
甲子園駅改札前でドラパパさんと、次いで、今日は神戸に住んでいる妹さんのところへ行くというチョコナさんともお別れ。っつーかキミは一人で神戸に行けるのか?w
Fumi氏、あんたはどーするね…と聞いたら、ひとまず帰るかなあ、飛行機あるかなあ…と調べてみたら、伊丹発の飛行機は全て満席だったようで、新幹線で帰るということなので、おいらも今宵の宿は新大阪、一緒に新大阪まで行くことにする。
最終の第3試合が終わって小一時間ほど経つのに、甲子園から乗った直通特急は結構な盛況で、おまけに今日は淀川で花火大会が行われる関係で多客なのか、尼崎手前と梅田手前でそれぞれ少々待たされた。
花火大会でカオス状態の大阪駅を抜けて一駅、新大阪へ。新幹線で帰るFumi氏とはここでお別れ。
一人改札を出て、花火大会を眺めに淀川の河川敷へ向かうカップルさん達を見ながら、今宵の宿「東横イン新大阪駅前本館」にチェックイン。
昼間炎天下でさんざん汗をかいたので、シャワーの一つでも浴びたいところだったけれど、おいら如きのために、関西のマリーンズ応援仲間が新大阪に集まってくれるという話になっているので、一息ついて部屋を出る。う~ん、最初の腹づもりでは、ひとっ風呂浴びる時間はあったはずなのだけれど、試合が終わっても、あっという間に過ぎ去った夢のような空間、夢のような時間に、甲子園に別れを告げるのが惜しくなったのと、阪神電車が予想以上に時間がかかったのが原因で、少々予定が狂った。
しっかし! この日の酒は最高に美味しかった!!
集まって下さった皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m
大人の修学旅行は、一日であっさり終わっても、「関西遠征」は明日もまだまだ続きます。
というわけで続きはまた今度。
阪神線で小豆色+白色のツートンカラーの車両が走ってるし…、奈良県内で行き先表示が“三宮”の文字を見ると‥未だに!違和感を抱きます(^_^;)。
奈良県民にとって“海&港町”は遠くにある存在。
奈良県民は海を見ると歓声を上げるのが特徴ですから(笑)。
そんな奈良県民が乗り換え無しで港町・神戸へ行けるのは、革命的な事なんですよね(≧▽≦)ゞ。
阪神なんば線の存在は偉大です。
で、私自身…90年に西宮球場へ⇒オリックスブレーブスvsロッテオリオンズ戦に参戦して以来!西宮北口へは行って無いので是非!近い内に行ってみたいp(^-^)q~てな気持ちになりました。
自身の幼き頃、西宮球場へ行った時の記憶では⇒ダイヤモンドクロスのポイントがあった記憶があるので、82年に藤井寺球場で野球生観戦とロッテオリオンズに出会ってから~なんで…83年か84年頃の記憶なんでしょうね。
模型とはいえ…西宮球場のバックスクリーン⇒懐かしいッス。
当時の阪急の応援歌メロディーが脳裏に流れましたよ(#^-^#)。
ブーマーやアニマルや弓岡に福良・福本…、みんな好きだったなぁ~…ロッテファンなのに(^_^;)ゞ苦笑。
ああ、こんなに素晴らしい球場だったんだ…
ライトスタンドがレフトより大きかったって往時は知りませんでしたよ
自分はやや高齢なので、阪急がいちばん強い頃のスコアボードは朱色の手動式=福本大熊加藤秀長池マルカーノウイリアムス島谷中沢大橋山口高志…
70年代のブレーブスは信じられないほど強かった…
西宮… 阪急・JR・阪神、沿線ごとに文化が分断されてますね、確かに
5月交流ロッテ戦前、阪急ギャラリー見たあと甲子園まで歩きました(電車代ケチって) 歩くのが大好きな方以外はおすすめしませんw
阪神沿線であの小豆色を見ると、どうしても違和感が(笑)。しかも阪神車より近鉄車の方が大きいですしね…。
別のエントリでも触れますが、日本橋で「甲子園」「三宮」の文字を見た時も、違和感が拭えません…。
なにせ大阪近郊に住んだことがある身からすれば、キタとミナミは全く別の街ですから、その商圏自体がクロスするだなんて、アタマでは分かっていてもなかなか飲み込めないんですよね…。
ダイヤモンドクロスのご記憶があるとは羨ましい…。
>JR京阪さん
そうでしたね!
昔のスコアボードは朱色でしたね。
昭和40年代の福本豊の記録映像などを見ていると出てきますね。私はさすがに映像でしか知り得ませんが…orz
野球は見やすかったと思うのですが、競輪は見にくかった…。
どこから見ても死角が出来る競輪場は、おそらく西宮だけだったでしょうね。仮設バンクの宿命です。
西宮北口から甲子園は…。
歩けそうで結構距離がありませんか?
今津までを思えば歩けそうなんですが、今津と甲子園が微妙に遠い(笑)。