小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

パニック障害のこと

2006-02-10 23:04:06 | リハビリ日誌
親に頼まれごとをしたついでに、船橋まで出て本屋をフラフラしていたら、たまたま目の前に「パニック障害」のことについて書かれた本が目に入ったのでパラパラと読んでみた。
このブログを立ち上げた当初からの古い読者の皆さんか、「小馬太郎兵衛ってどんな奴だろう」と思って過去ログを隅から隅まで全部読んだ人ならお分かりのことと思うのだけれど(いねーよ)、最近は「うつ」の症状のほうがかなりのウエイトを占めている俺だが、先般もちらっと不安障害と触れているとおり、実はもう10年以上前から、パニック障害とみられる症状を持っている。
概要は2004年11月17日のブログに書いたとおりなのだが、せっかくなので、少し発症状況について詳しく書いてみよう。
高田馬場……というより、都電学習院下電停近所にある専門学校に通い出した俺が、当初通学に使っていたルートは京成→船橋→西船橋→地下鉄東西線→高田馬場と通っていた。定期代が安かったこともあるし、なにより一番速そうだったので、自然とこちらのルートを選んで通学していた。
高田馬場に通うからには、一限目から授業があるときは、モロに通勤ラッシュと重なることになるのだが、最初はそんなものはなんともなく平気で通っていた。当時はまだ東葉高速線が未開通で、地下鉄東西線の各駅停車なら、西船橋で一本待てば確実に座れていた時代。
昨今、団塊の世代が定年を迎え、合わせて少子高齢化が進んでいることもあって、相対的に各交通機関の通勤ラッシュの混雑率は緩和傾向にある中、おそらくは東西線に限っては、当時利用していた12年前より、確実に混雑が激しくなっている。東葉高速線開通による流入に加え、妙典駅の開業、葛西地区のマンション開発で沿線人口が増加しており、こと東西線に限ってはラッシュ対策は打つ手がない状況である。12年前当時は、朝ラッシュの快速電車は西船橋~東陽町間無停車(a快速と呼ばれていた)で遠近分散をはかっていた。即ち、西船橋より遠くから来ている人は快速に収容し、沿線の客は各駅停車かc快速(現在の通勤快速、浦安から先が各駅停車)で吸収できていたのだが、現在は葛西で客が収容しきれなくなっており、浦安の客も快速で吸収して凌いでいる状況。こと東西線の混雑率は、今のほうが当時より高いはずである。

と、そんな余談はさておいて、いつも普通にクソ込みのラッシュの電車にもまれていたはずの1994年秋、車内で突然息苦しさを覚え、吐き気、恐怖感、動悸などに襲われ、門前仲町でやむなく途中下車。
ホームでしばらく休んだら落ち着いたので、後続の列車に乗り込んで学校に行った。遅刻したかどうかは覚えていない。降りたのが門前仲町というところが救いで、この先茅場町、日本橋、大手町と、車内は一駅ごとに客が減るから、恐怖感に襲われることはないのだが、これが行徳とか浦安だったら最悪で、これから葛西、西葛西と車内はさらに混んでいって逃げ場がなくなるところだった。

それからというもの、そういった「発作」との戦いになってしまった。
各駅停車で座っていってダメ。
早めに出掛けても東西線はそれなりに混んでいるし、なにより朝早く着いたところで、ヒマを潰す場所もなければ金もかかる。
ならばa快速だったらどうか。
電車が西船橋を出た5秒後にここから出してくれ~!!と心の中で叫びはじめる始末。東陽町までの15、6分が長くて長くて、いつ嘔吐するか分からぬくらい、頭に白髪が生えそうなくらいの恐怖感に苛まれたものだった。

なにもこの発作は満員電車の中でのみ起こるわけではなかった。
当時つきあっていた相方と、新宿シアタートップスに芝居を見に行った時、客席の狭さに息苦しさを感じて発作を起こし、10分間くらい芝居を見ながら死にそうになったことがある。

こりゃいかんと、年末くらいに親に相談してみたら、「通学経路を変えてみたら?」と。
そうか、京成から日暮里経由の山手線で行けばいいのか。
年が明けた頃に早速試してみたら、通勤特急(当時)さえ使わなければ、相当楽な経路であることが判明。急行(当時)は船橋までは激込みだけれど、それさえ乗り越えれば後は楽。当時は東葉高速が開業しておらず、船橋までの混雑は相当なものだったのだが、それさえ乗り越えれば、各駅停車に乗れば船橋から足を投げ出しながら座れるのだから楽ちん。混雑率を勘案し、比較的空いていた東中山止まりの急行を東中山で各駅停車で乗り継いで行けば、時間はかかるけれども一番楽なこともわかった。
2年になったら、1限から始まる授業が少なくなったので、通学で負う精神的な負担も少しは楽になったのだが、当時はパニック障害という言葉も知らず、地元の駅の近所に精神科はあったものの受診してみようとはこれっぽっちも思わなかったので、ほったらかしていた。ごく一時的な発作で、しばらくすれば治まっていたのも、受診から遠ざかった要因である。
精神的には少しは楽になったかもしれないが、その後もことあるごとに発作は続いた。がら空きの電車の中でも、事故で電車が駅間で止まってしまったりしたときにも発作が起きたし、95年12月に、自分にとっては初めての2階建て夜行高速バス「ドリーム神戸」号に乗ったら、天井の狭さに発作を起こしたこともあった。京成が事故でダイヤが乱れたとき、京成上野駅手前で満線の為に30分くらい地下の中で閉じこめられた時も、生きた心地がしなかった。

専門学校を卒業して、アルバイトとして舞浜のホテルに勤めだしてからも、この発作との戦いは続く。
なにが嫌かって、朝7時以降の西船橋発武蔵野線東京方面行きの混雑は半端ではなかった。しかも高谷の信号所で必ず信号待ちをするから、ダイヤに異常がなくても生きた心地がしなかった。
要は西船橋から武蔵野線に乗るから混むのであって、そこを回避すればさほど混んでいない。
ホテル裏の道路がフリーで車を止められたときは、車で出勤したこともあったし、そうでなくても、船橋競馬場で京成を降りて15分歩き、京葉線南船橋へ行けば、各駅停車はさほど混んでいなかった。それでも時間が余る9時出勤みたいなときは、新浦安で一旦下車してマックでコーヒーを飲んで時間を潰したこともある。
朝7時出勤など、朝のラッシュを回避できる状況だったから、発作に苛まれることはそれほど多くはなかったのは救いではあった。

しかし、運がいいのか、満員電車の中で駅間で閉じこめられる恐怖を味わったことがないのは、徹底的に止まりそうな線を避けているからだろう。間違っても中央快速線なんて使おうとも思わないし。
また、自宅近くに京成と東葉高速、2本のルートがあって選べるというのも、発作を和らげている要因である。一方のルートがダメなら代替ルートがあるので、人混みに押されずに済んでいるのは幸運である。
これが間違って小田急沿線あたりに住もうものなら…。
俺にとっては、下北沢~新百合ヶ丘間無停車の快速急行という奴は、拷問に等しい列車だな。

今は、ひとまずピーク時の京成の特急なら乗れるところまで回復はしている様子。他の線区にいったらわからないけどね。あと、総武線各駅停車も大丈夫だった。9月に両国国技館に行ったときに試したら意外と空いていた。
2階建てバスは、2003年6月に乗った「東海道昼特急大阪号」で克服済み。
こと満員電車に限っては、一つずつ緩解させていっている状況である。なるべく事故が起こりやすいJRに乗らないような生活ができるのが一番いいのだが…。
一つずつ、階段を昇っている、こと満員電車のみに限っては、そんな状況である。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
統合失調症 (はたやん)
2006-02-11 01:37:50
 私の会社時代、始業時刻が8時15分ということで、通勤の1時間は「ラッシュ以前」の時間帯でした。

 当時から、ソフトウェア産業では一般的に「9時スタート」のところが多い中、私の会社は「工場」のサイクルで動いていました。実際、顧客は「工業部門」でしたし。



 パニック障害は、最近では他の類似した症状も含めて「統合失調症」と呼ばれているようです。

 勤めている学校では、これに似た症状が起きる生徒がいます。なにやら、生徒指導とは違う次元のメンタルサポートが必要な生徒が多く、自身の勉強にはなるけど疲れます。



 夜行バスに乗ったことがないのですが、トイレが近い私にとってバスは「乗ったら便利かもしれないけど無理に乗ろうと思わない」乗り物です(笑)。
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パニック障害は (小馬太郎兵衛)
2006-02-11 14:21:19
若い人でもなりやすいと聞きます。

こういったメンタル的な疾患を抱えている苦しみは罹った本人でないと分からないことだらけ、というより罹った本人でさえも分からないことだらけなので、周囲の人の気遣いは相当なものだと思います。

事実、自分自身も病気であると認識する前は、病気の人との距離をうまく保てなくて困ったこともありましたし。
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久々にパニック (はたやん)
2006-02-11 21:19:52
 神戸淡路鳴門自動車道・舞子トンネルを走行中、突然エンジンから「パン!」という轟音。その後加速が鈍くなり、淡路ICの料金所で停止したときにエンジンも停止してしまいました。



 トンネル内ではパニック寸前で、とにかくATのセレクターを上下させながら負荷を維持しました。

 その間、エンジンからは「カラカラ」と、チェーンが切れたときのような音が鳴り続けていました。



 業者に引き取ってもらい修理に出しましたが、「タイミングチェーンが切れた」可能性があるとのこと。

 道中ではなく料金所で停まっただけでも、「不幸中の幸い」と思い、気を取り直しました。
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それは (小馬太郎兵衛)
2006-02-11 22:58:39
災難でしたねえ…。

幸運にも走行中の故障には巡り会ったことがないので、事故などの対処には慣れていないのが不安なところです。

事故でなくてなによりでした。
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運が良かった? (はたやん)
2006-02-12 20:59:57
 常々「運が悪い」と信じて止まない私ですが、今回の件を振り返ると「そんなこともない」かもしれません。



 宝くじやパチンコが当たらない分、こういうところでカバーしているのかも。

 ということは、昨日の件で一応「たまった運を使い切った」?(笑)



 かつてタイミングベルトが切れたときは、音も無くヤンワリと、ガソリンが切れたときのように静かに・・・

 但しマニュアル車だったのでセルスターターで前進でき、幸運にも50m先にディーラーがあり、そのままセルで乗り付けました。



 AT車は、「おしがけ」や「セルスターターで前進」といった芸当が出来ません。

 運転が楽な分、リスクも大きいAT。



 いっそ、マニュアル車との間を取って、F1のような「セミオートマチック」を採用するのが、最悪の事態を逃れる策につながるかもしれませんね。

 初期のセミオートマなら、クラッチペダルがあるけど「始動時だけ踏む」ものだったらしく、1速だけマニュアルにすればセルスターターで前進可能です。

 あるいは、ATでも「機械的に繋がるためのボタン」くらいあって良いかも。
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私は (小馬太郎兵衛)
2006-02-13 00:09:06
多分今はマニュアルは運転できないでしょうね。免許はマニュアルで取ったんですが、教習所以来もう10年近くマニュアルに乗ってませんから。

ATも便利な反面、故障すると厄介ですからねえ…。

せめてセルスターターで動かせるようにはならないでしょうか。無理そうですが。
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タイミングチェーン断裂 (はたやん)
2006-02-14 00:15:05
結局、タイミングチェーンが断裂していることが判明しました。

というわけで、度重なるトラブルと14万4千キロという積算走行距離から「更なるトラブルの可能性」を示唆され、車を看取ることになりました。



チェーンが断裂した状況にありながらも、私の命をつなぐために、トンネルから料金所まで、よくぞ走ってくれました。

もし混雑している時間帯ならトンネル内で散っていたかもしれないと思うと、車が「身代わり」で最後の命を使い果たしてくれたのだと、今は感謝の言葉しか出ません。
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いい話です (小馬太郎兵衛)
2006-02-14 01:09:42
その車の行く末を最後まで見届けられたのですから、その車にとっても本望だったのではないでしょうか。

車に感謝、感謝ですね。
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