児童が次々と「殺害予告」 ネット遊び薄い罪悪感 「注目浴びようと思った」 情報教育重要に(西日本新聞) - goo ニュース
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一応はこのブログの自称「管理人」とは言っておきながら、どこでかようなことを書いたことかすら覚えていないおいらが、このブログを「管理」しているなどとはおこがましくも言えないのだろうが、以前どこかのエントリで、「小学生風情にネットを使いこなさせるなど言語道断」みたいなことを書いて、当ブログの「影の参謀」Fumi氏に「ちょっと言い過ぎじゃねーの?」みたいなことをコメントで書かれてたしなめられた記憶があるのだが、生憎とどこのエントリだったか、いつの出来事だったかは忘れてしまった。エントリを片っ端からひっくり返して調べればでてくるのだろうけれど、そこまでしていられるほどの時間の余裕がありゃしないorz まあ、エントリを書き上げる時に、そこまで調べに調べ尽くしてから書き上げる余裕の一つくらいは持ちたいと思うものなのだが…。
それはさておき、最近、小学生によるネットの「悪戯」が、とんでもない波紋を呼んでいるようで、Yahoo!のトップニュースでも、「小学生が殺害予告で…」という記事を目にして、仕事帰りの疲れた身体と相まって、愕然としたことを思い出す。
思えばネットの世界は恐ろしいもので、ネット上ではパソコンのモニタ上でやりとりされる文面だけで、男が女になることも出来るし、小学生がいっちょまえの大人になりきることも出来る。
現実の世界では、「子供の世界」「大人の遊び場」といった区別は、30年前ほど厳然と区分けされているわけでもなく、ともすればボーダーレスと言われるこのご時世にあっても、未だ区分け自体は残っているのだが、ネット上にはそんな区分けは、あまりされていない。人生の大先輩たる60、70といった世代の人と、20歳前後の若者と、「児童」と区分けされるべき小学生が、同じ土俵に立つことができてしまう、文字通り「自由」な世界。
それだけに、使い方を一つ間違えると、この例のように、小学生ですら犯罪者になってしまう。
おいらがネットを自由に使いこなせる環境にデビューしたのは2002年、パソコンを買って2年目の春のことだった。当時はまだADSLがそれほど普及しておらず、ダイヤルアップ接続もまだまだ一般的だったから、「常時接続」なんていう言葉も残っていた。環境も御多分に漏れずダイヤルアップで、いちいちプロバイダーと契約していくばくかの金を払うことなど面倒くさかったから、無料プロバイダをうたいあげていたLivedoor(堀江が買収して一躍名前が売れたから、この頃は実質別会社と見ていい)と契約して、なかなか繋がらない回線と悪戦苦闘していた毎日は、もう6年も前のことかとつい遠い目になってしまう。
良くも悪くもいろいろとメジャーになった某巨大掲示板群もその頃からお世話になっているのだが、初めてあの掲示板群に接した時の刺激っちゅーか、至る所でユーザ同士がお互いに「氏ね」だの「逝ってよし」(←死語)などと罵倒し合う光景が飛び交っていて、ネットのやりとりというものにある種の幻想を抱いていたおいらは、「なんちゅーゲスな世界なんだ」と、愕然としながらFumi氏につぶやき、「使い方さえ間違えなきゃいいんじゃん?」みたいなことをアドバイスされ、そんなもんかと納得したことを思い出す。
最初の鮮烈な体験が功を奏したのか、個人的には一応有意義にネットは使わせていただいております。
現実の世間の荒波に揉まれまくっている大人でさえ、ネットを害がないように使いこなすには相応の気を遣っているのに、ネットの世界、ましてや現実の世界でさえバランス感覚を保つことが難しい小中学生が、無防備にネットの世界をさ迷い歩くのは、ある意味深夜の歌舞伎町をランドセルを背負ったり中学校の制服を身にまとって一人で歩くのと同じくらいの危険が伴っているのではないだろうか。
もちろん、予め十分な指導、教育の元にパソコンとネットを与えていらっしゃる親御さんも多数おられるだけに、小中学生のネットサーフィンを頭ごなしに否定するつもりはさらさらないのだが、ある意味ネットの世界は、現実の大人の世界より刺激的なものが多数転がっているだけに、ましてや刺激に対してめっぽう弱い年頃の小学校高学年、或いは中学生ともなると、キーボード一つ、或いはクリック一つで「祭り上げられる」ことだって簡単にできてしまうから、こればかりは親御さんのさじ加減一つに賭けるしかないだろう。
即ち、「一つ使い方を誤れば大変なことになる」からこそ、実際に体験させて危険性を有用性の両方を体感させるべく教え込んでいる親御さんだっているはずで、ネットにしてもケータイで簡単にアクセスできてしまうから、そうした親御さんの教育指導が重要なのかな…と思う。
異なる例だけれども、実際に千葉マリンのライトスタンドで、小さい頃からライトスタンドに連れて行って周囲の大人たちと触れ合わせ、野球の面白さや応援の大切さ、楽しさだけではなく、大人たちと小さな頃から触れ合わせることによって、周囲への接し方をきっちり厳しく教育されている親御さんも多数存在するだけに、決して言葉だけで実際は簡単には進まないだろうけれども、子供たちのネットの使い方一つとってしても、家庭で親がどの程度子供に向き合えるのかを試されているような気がするのである。
…がんばれ、俺。
いや、子供ができてネットを使いこなそうという年頃になって、昔はこんなに偉そうな(そう見えたら本当にごめんなさい。そんなつもりはさらさらないんですよorz)講釈をたれやがっていたのに、実際にはてめえの息子一人も満足に教育できねえのかなんて事になったら嫌でございましょ。
そんな予定は今のところないんだけどさ…。
インターネットの掲示板で「殺害予告」をする悪質ないたずらが各地で相次いでいる。今月初め、福岡市内の小学6年男児(12)は「県内の小学生を殺してみる」と書き込み、軽犯罪法違反の非行事実で児童相談所に通告された。2月には関東地区の小学4年女児(10)が同様の事件を起こしたばかり。識者は「子どもにインターネットの危険性を教えなければ、事件は続く」と情報化時代に対応した教育の重要性を訴えている。 (社会部・安部鉄也)
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それはさておき、最近、小学生によるネットの「悪戯」が、とんでもない波紋を呼んでいるようで、Yahoo!のトップニュースでも、「小学生が殺害予告で…」という記事を目にして、仕事帰りの疲れた身体と相まって、愕然としたことを思い出す。
思えばネットの世界は恐ろしいもので、ネット上ではパソコンのモニタ上でやりとりされる文面だけで、男が女になることも出来るし、小学生がいっちょまえの大人になりきることも出来る。
現実の世界では、「子供の世界」「大人の遊び場」といった区別は、30年前ほど厳然と区分けされているわけでもなく、ともすればボーダーレスと言われるこのご時世にあっても、未だ区分け自体は残っているのだが、ネット上にはそんな区分けは、あまりされていない。人生の大先輩たる60、70といった世代の人と、20歳前後の若者と、「児童」と区分けされるべき小学生が、同じ土俵に立つことができてしまう、文字通り「自由」な世界。
それだけに、使い方を一つ間違えると、この例のように、小学生ですら犯罪者になってしまう。
おいらがネットを自由に使いこなせる環境にデビューしたのは2002年、パソコンを買って2年目の春のことだった。当時はまだADSLがそれほど普及しておらず、ダイヤルアップ接続もまだまだ一般的だったから、「常時接続」なんていう言葉も残っていた。環境も御多分に漏れずダイヤルアップで、いちいちプロバイダーと契約していくばくかの金を払うことなど面倒くさかったから、無料プロバイダをうたいあげていたLivedoor(堀江が買収して一躍名前が売れたから、この頃は実質別会社と見ていい)と契約して、なかなか繋がらない回線と悪戦苦闘していた毎日は、もう6年も前のことかとつい遠い目になってしまう。
良くも悪くもいろいろとメジャーになった某巨大掲示板群もその頃からお世話になっているのだが、初めてあの掲示板群に接した時の刺激っちゅーか、至る所でユーザ同士がお互いに「氏ね」だの「逝ってよし」(←死語)などと罵倒し合う光景が飛び交っていて、ネットのやりとりというものにある種の幻想を抱いていたおいらは、「なんちゅーゲスな世界なんだ」と、愕然としながらFumi氏につぶやき、「使い方さえ間違えなきゃいいんじゃん?」みたいなことをアドバイスされ、そんなもんかと納得したことを思い出す。
最初の鮮烈な体験が功を奏したのか、個人的には一応有意義にネットは使わせていただいております。
現実の世間の荒波に揉まれまくっている大人でさえ、ネットを害がないように使いこなすには相応の気を遣っているのに、ネットの世界、ましてや現実の世界でさえバランス感覚を保つことが難しい小中学生が、無防備にネットの世界をさ迷い歩くのは、ある意味深夜の歌舞伎町をランドセルを背負ったり中学校の制服を身にまとって一人で歩くのと同じくらいの危険が伴っているのではないだろうか。
もちろん、予め十分な指導、教育の元にパソコンとネットを与えていらっしゃる親御さんも多数おられるだけに、小中学生のネットサーフィンを頭ごなしに否定するつもりはさらさらないのだが、ある意味ネットの世界は、現実の大人の世界より刺激的なものが多数転がっているだけに、ましてや刺激に対してめっぽう弱い年頃の小学校高学年、或いは中学生ともなると、キーボード一つ、或いはクリック一つで「祭り上げられる」ことだって簡単にできてしまうから、こればかりは親御さんのさじ加減一つに賭けるしかないだろう。
即ち、「一つ使い方を誤れば大変なことになる」からこそ、実際に体験させて危険性を有用性の両方を体感させるべく教え込んでいる親御さんだっているはずで、ネットにしてもケータイで簡単にアクセスできてしまうから、そうした親御さんの教育指導が重要なのかな…と思う。
異なる例だけれども、実際に千葉マリンのライトスタンドで、小さい頃からライトスタンドに連れて行って周囲の大人たちと触れ合わせ、野球の面白さや応援の大切さ、楽しさだけではなく、大人たちと小さな頃から触れ合わせることによって、周囲への接し方をきっちり厳しく教育されている親御さんも多数存在するだけに、決して言葉だけで実際は簡単には進まないだろうけれども、子供たちのネットの使い方一つとってしても、家庭で親がどの程度子供に向き合えるのかを試されているような気がするのである。
…がんばれ、俺。
いや、子供ができてネットを使いこなそうという年頃になって、昔はこんなに偉そうな(そう見えたら本当にごめんなさい。そんなつもりはさらさらないんですよorz)講釈をたれやがっていたのに、実際にはてめえの息子一人も満足に教育できねえのかなんて事になったら嫌でございましょ。
そんな予定は今のところないんだけどさ…。
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