小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

101レの大いなる旅路

2008-03-14 03:14:02 | 鉄ネタなんてどうよ?
嗚呼、寝台急行「銀河」よ…。

明日、日付上は今夜3月14日をもって、東京~大阪間の寝台急行「銀河」、京都~熊本・長崎間の「なは・あかつき」が廃止される。
明日発車分の夜行列車は、ダイヤ改正の日付を跨いで運転されるため、いわゆる「移り変わりダイヤ」のスジに乗った臨時列車扱いになるから、例えば下り「銀河」の正規の定期列車101列車のスジとしての運行は、前夜13日出発分が最後ということになる。

こんなエントリを立ち上げたおいら、実は今まで、「銀河」と名の付く列車には、たった3回しか乗ったことがない。
しかも定期の寝台急行「銀河」として乗ったことがあるのは1回のみで、残りの2回は全て14系座席客車を使用した臨時列車「銀河81号」だった。
初めて「銀河」と名の付く列車に乗ったのは、高校1年生だった1990年8月初めの夏休み、東京から大阪へ下った「銀河81号」だった。
7月末から2泊3日で、千葉県鴨川市の「鴨川青年の家」で行われていた「高校演劇研修会」だったかに参加して、帰宅した即日に夜行列車で西へ旅立つという、30を過ぎた今、同じ行程で旅をしろと言われても自ら拒否してしまうような日程を怖い物知らずで組んでいたものである。まあ、若気のなんとかってーやつですわ。
あれは旅行系サークルの一泊会を企画して、滋賀県長浜市の旅館に宿を取ったので、実質4泊5日、うち車中泊1泊が一番疲れが来やすい中日3日目に組むという、まさに怖い物知らずの日程だった。
ただ、体力も気力も相当充実していたらしく、研修会の旅の疲れもどこへやら、当時の房総各線を闊歩していたオンボロ113系はほとんどみな非冷房というのに、旅と交流で相当気が昂ぶっていたのか、窓を全開にしてトンネルに入った途端、窓際に置いてあったお菓子がものの見事に客室内にぶちまけられるという、よく考えたら当たり前のハプニングにも見舞われながらの(←またの名を迷惑行為とも言うww)帰り道の外房線各駅停車の2時間の旅は、今思い出してもなかなかに面白かった。あの電車の同じボックスに、今や「ギャグマンガ日和」の声優さんとしてもその筋の方々には知られるようになった、声優、俳優としても頑張っている、「BQMAP」所属の前田剛もいたというのは、あれから18年経って、まさしく隔世の感がする。かたや声優に、俳優にと押されもせぬプロとしての地位を確立した役者さん、かたや「脱フリーター」を目指すしがないブロガーときたら…orz まあ、そう自分を卑下しちゃいかんよ。とほ。

一旦帰宅して荷物を一旦解いて、別の旅への荷物へ転換し、ひとっ風呂浴びていざ出撃。
確かあの時、大和田から乗った京成が3316編成の6連の各停で、当時の3316編成といえばクロスシート試作車、せっかくなのでこいつに揺られ、東中山で特急に乗り継いで上野に向かった記憶がある。一応解説しておくと、この頃の特急は東中山と小岩にも停車しており、両駅が通過扱いとなったのは1991年3月のことである。
特急電車に日暮里に近づくと、12系客車が推進運転で上野駅へ向かっており、時間的に確か急行「津軽」の回送だと記憶している。

銀河81号を待つ東京駅は、喧騒に包まれていた。
そりゃもう青春18きっぷのMAXシーズン、くわえて当時の大垣夜行は救済臨の設定がされてなく、大垣夜行の救済臨が「銀河81号」だった。今でこそ国鉄型特急車両の救済臨が設定されているが、当時は「18きっぷで座ろうなんて思うな」と鉄道会社が思っていたかどうかは知らないが、とにかく、「座りたければ正規の金を払え」という時代だった。実際この列車は全車指定席だった。

さて、銀河81号に乗り込むと、指定された席は普通車だったが満席。
ところが、隣の車両を見ると、これが禁煙車でほとんど人が乗っていない。
これも時代が違うと言われてしまえばそれまでなのだが、当時は「普通車」といえばまず喫煙席が当たり前で、タバコが嫌なら「禁煙で」と申し出なければ喫煙席が割り当てられていた時代で、またそれがごく普通だった。ただ、この頃は鉄道車両の喫煙事情の転換点でもある時期で、東海道本線全区間で禁煙になったのもこの時代の前後ではなかったか。その頃から種村先生は「タバコをくゆらせた」と書いて、喫煙者なりの反撃をしており、この頃から列車内で急速に禁煙が広まった。
それはそうと、座っている車両がほぼ満席なのに、禁煙車が無人なら、肩身の狭いシートできつい一夜を過ごすくらいなら、当然車両を移るべしと、車掌の元へ申し出たら、おいらの顔を見た車掌さん、開口一番、

「あー、いいですけど、タバコは吸えませんけどいいですかね?」


…orz

まあ、当時から万事こんな調子ですたい。
でも、当時高1なら、もちっと若く見てくれてもいいんでないかい?
伊達に中2の頃から、床屋のダンナに「おたく、今日は会社は休みですか?」なんて言われちゃいねーさ。けっ。

早速勇躍隣の車両に移り、誰も来ないことをいいことに、ボックスを組んで足を投げ出してみる。

しかし、この14系座席車。
ってーことは、当然シートは国鉄純正簡易リクライニングシートなんですよ。
この簡易リクライニングシートというのは、肘掛け下のつまみをひくと座席が申し訳程度に倒れるものの、体重をかけないとすぐにバタンバタンと戻ってしまうという代物。
しかもどーゆー風の吹き回しか、おいらの座った席は、体重をかけただけでシートがバタンと倒れるという壊れた安楽椅子状態で、これじゃあ眠るのも一苦労。っていうか全く眠れやせず、一晩中苦しめられた。光GENJIが「パラダイス銀河」なんてローラースケートを滑らせて婦女子をバコンと叩いてく素晴らしい歌があったが、これじゃあ「ボロなイス銀河」だよなあ…と、眠れぬ頭で愚にも付かぬシャレを飛ばしては自己嫌悪に陥ったっけ。

2回目に「銀河」のお世話になったのは、それから8年が経過した1998年8月。
芝居仲間の高校が演劇の全国大会に出ることになり、仲間内で急遽誰か応援に行かないか…という話になったものの、いかんせん場所が鳥取ってあーた…。
話が出たのが7月下旬、大会は8月上旬では、夜行バスは元より、寝台急行「銀河」も満席で、仕方なく座席夜行の「銀河81号」を押さえたのだ。乗車当日まで寝台のキャンセルが出ないものかとみどりの窓口を当たったが取れず。
結局8年前のリベンジを果たすことなく一睡も出来ずに、そのまま智頭急行回りの「スーパーはくと」に乗り継いだら、智頭急行線内で耳つんに悩まされるという有り様で、あれはマジで堪えた。
ただ、雲一つ無い抜けるような青空の下、鳥取駅で合流した、鳥取出身の同じ大学に通う女性と交際していた仲間と出かけた鳥取砂丘の美しさは、今でも忘れることはない。あんなに綺麗な砂丘を拝めたのは、苦労した末に鳥取にたどり着いた、よい旅の思い出の1シーンだ。
ちなみにその仲間は、芝居仲間の全国大会観劇にかこつけて、交際していた女性の家族との顔合わせも画策していたようで、当日は宿の手配から食事に至るまで、何から何までお世話になりっぱなしだった。

そして1999年4月、神戸グリーンスタジアムに、ブルーウェーブ対マリーンズの開幕戦を見に、やっと本家寝台急行「銀河」に乗ったのだった。
あの時は寝台とあって実によくぐっすり眠れ、爽快な朝を迎え勇躍神戸に乗り込み、ものの見事に返り討ちにあっておいら涙目。
翌日は阪神競馬に出かけ、阪神の負けを中山で穴を取って取り返す暴挙に出たっけな。メインがサイレントハンターが勝った産経大阪杯の日で、前日は何十年ぶりかの厩務員ストで開催取りやめになった週でもあった。

それ以来、「銀河」にお世話になっていなかったのは、唯一の心残りでもある。

そんな心残りを少しでも満たそうと、仕事明けに、祭り状態の東京駅に出かけてみた。



今日でさえこんな光景なのだから、明日の事を考えると空恐ろしい。









この表示を見るのも、もう見納め。





機関車が連結される先頭部分は、報道機関も交えてそりゃもう大変な騒ぎ。
東北・上越新幹線20番ホームから狙う人も大勢います。



この並びも、今日で見納めかと思うと…。

発車を告げる機関車の長声一発のホイッスルに、思わずホロリと来た。
あのホイッスルに身を任せて夜行に乗ったあの日を思い出す。
夜景に消されていくホイッスルも、過去帳入りするのは、そう遠くはない未来のことなのか。
そのうち「夜行列車」という言葉自体が、死語になる日が来るのかもしれない。




  

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ワイキキビーチ!? (クラ)
2008-03-14 08:49:39
あのギャグマンガ日和の!?!?

あっ…食いつく場所違いましたね。
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自称鉄子なら (小馬太郎兵衛)
2008-03-14 10:56:13
もうちょっと違うところに突っ込んでおくれよorz

そう、あのギャグマンガ日和。
あれ好きなんだよねえ。
あの不条理さがたまらん。
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明日未明に勝負します (安城マリーンズ)
2008-03-14 12:59:03
実はここ数週間、最終日の撮影に備えて試行錯誤中。
もちろん駅撮りや終着駅近くでの撮影なんてありふれたことはしません。
深夜の走行シーンを激写します。
通過時間は上り1:20下り4:00。
真っ暗闇の中で撮影するプランは出来上がりました。(もちろんフラッシュは使いませんよ)
撮り鉄歴25年の全てをかけての勝負に乞ご期待。
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名古屋から乗った事も? (MM723線)
2008-03-15 01:19:02
2度乗った事あります。

2000年は、モーニング娘。の大阪野外コン(ATCオープンエアスタジアム)~GAEAの試合(IMPホール)といった連戦。
2005年は、松浦亜弥豊橋コン~ZONE大阪コンの帰り・・・名古屋駅で、モーニング娘。関連の袋を肩に掛けてうろうろしてる輩をかなり見ましたよ。

東京駅八重洲口のバスターミナルで、19日からオバちゃん連中(東方神起mania)がウヨウヨします。
http://toho-jp.net/index.html
返信する
成果をお待ちしております (小馬太郎兵衛)
2008-03-15 06:07:01
>安城マリーンズ様

雨には降られましたか?
成果をお待ちしております。
お風邪を召されませぬように。

>MM723線さん

銀河は、もちろんこのような人達にも愛用されたのでしょうが、イメージが沸かないんですよねえ…。
ながらとかドリーム号とかなら、占拠されるイメージが浮かぶのですが。
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平成版“夜汽車” (陀羅尼助丸(雪解け・ごろごろ水))
2008-03-16 17:17:39
コメントを書き込むには遅いのですが…。
残念ながら、私の場合は‥銀河には一度も乗った事が無いんですよねぇ…。
九州出身でもある私は、度々‥「なは」は利用してました。
寝台も‥座席(レガートシートも)。
初めて乗ったのは、小学生の頃で…今は無き「明星」でした。「なは」と全く同じスジなのに愛称名が違うのに違和感がありましたなぁ。
でも、トンネルが多く~耳がツーンとなる新幹線が嫌いな私は‥九州帰省時にはなるべく「なは」を利用する!と決めてただけに、廃止は寂しい限りです。
時代の流れとは言え…昭和の時代と変わらない料金システムと昭和風の設備が受け入れられなかったんかなぁ…。
で、数年後には“サンライズ銀河とかムーンライト銀河”で定期運行が復活!
とか…“夜汽車・銀河とか夜汽車・なは&あかつき”が新体制で復活デビュー!等の展開にならないかなぁ(-_☆)ゞ。
この夜汽車シリーズは例えば、東京~大阪間の場合‥スタンダード(カーペット敷き・仕切り付き・毛布&枕付き=ドリームバスより若干高めの\9000)
当然!1人用個室寝台や2人用個室もあり…展望型ロビーカー&ラウンジカーも連結して、新幹線利用時よりも若干安め位の料金設定にして…。
当然!切符は「夜汽車専用切符」なんで指定列車以外は利用は出来ません…etc。
等の条件は全然OKなんで、新システムの“平成版・夜行列車”を沢山?走らせて欲しい(-人-)。
これ以上!夜行列車の灯火を消さないで欲しい(-人-)。
…と願う今日、この頃であります…orz。
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