小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

臨時特急「ミラフォレスタ号」突撃記

2009-11-30 00:00:01 | それゆけ乗り鉄トラベラーズ
つい3年前までは当たり前の光景だった「赤電」3300形特急。
京成電鉄創立100周年を記念して、青電、赤電、ファイアーオレンジの3色の塗装が復活して、京成線を闊歩する中、公津の杜でのイルミネーションイベント「ミラフォレスタ」を記念して、この中の一編成を使用しての臨時特急「ミラフォレスタ号」が28日土曜日に走るとなっては、地元を走るネタ列車と相まって、そりゃもう出かけてこなければなりませぬ。

イルミネーションイベントでは、公津の杜がある成田市が地元の、千葉ロッテマリーンズの唐川投手をゲストに迎えての点灯式も行われるので、そちらが目的のロッテファンも多数動きそうな気配。

もとよりこの列車は、ミラフォレスタのイベントの一環として、お隣の宗吾参道車庫で行われる、事前応募制の、3色の列車を並べての撮影会への送り込み回送も兼ねていたりする。
臨時特急とはいっても、通常のダイヤを縫ってスジを設定しているので、京成上野を10時36分に出て、途中の市川真間で快速はおろか普通列車にまで抜かれるという「ゆとり」ダイヤで、終点の京成成田には12時21分着。なんとまあ上野~成田間を1時間45分もかけてのんびりと走るのである。
土曜日なので、せっかくだから一旦上野まで出て追いかけてもいいのだけれど、なんとなく家を出遅れて、時計を見たら11時。
実はこの日はもう一つ用事があり、夕方から千葉の中央公園で行われる、これまたイルミネーションイベント「ルミラージュちば2009」の点灯式が行われ、総合司会DJ KOUSAKUの進行の元、マリーンズの西村新監督の挨拶や、千葉県下のご当地キャラクターが一同に会するイベントになるということなので、せっかくなので臨時特急の乗り鉄と合わせて出かけることにした。
気が向けば成田から一旦公津の杜に戻って、京成が出している物販ブースなどをのぞいてもいいだろうし、成田まで来たからには、未乗線である芝山鉄道東成田~芝山千代田間の初乗りを志しても良かろうし、時間があればさらに一旦東成田まで戻り、成田空港第1旅客ターミナルへ移動して、これも未乗のJR成田線成田空港~成田(土屋信号所)の乗り潰しにかけてもよい。
夕方にも用事を抱えていたので、あれやこれやと思案しているうちに、時計は11時。
ミラフォレスタ号はすでに上野はおろか、高砂まで出発しようかという頃合いなので、今家を出れば、京成津田沼で待ち構えられそうだったので、ひとまずそのように出発。
地元の駅で上り列車を待っていると、なぜか謎の赤電3300形の回送列車が。



そんなわけで、京成津田沼。
京成津田沼の下りホーム上野方ホーム端は、いつもはマナーを無視した喫煙者が脂を食らっていて、たばこの吸い殻がおびただしいほど落ちているのだが、今日ばかりはカメコが3~4人、既に待ち構えていた。
こちらは売店でビールを仕入れついでに、試し撮りを試みると、ものの見事に列車が傾いちったorz

そして列車はやって来た。
列車はもちろんのことながら4両。塗装はいわゆる「ファイアーオレンジ」。
1970年代後半から1990年代前半までの、成田空港問題や不動産投資の失敗も相まって、京成が一番苦しかった頃の塗装である。



思えば、4連の優等列車はいつ以来だろうか。
90年代中盤くらいまでの朝の下りに、上野発東成田行き急行列車が存在したのだが、おそらくはそれ以来だろう。
団体臨時列車ではない、一般客も乗れる臨時列車としては、6月30日に青電塗装が復活した時に、上野発金町行きの臨時特急が走ったことがあるが、それをのぞくと、正確にはいつ以来なのかしらん…?
しかも4連の特急が本線を闊歩したとなると…???



この塗装を身にまとっていた頃からは、種別方向幕は変わったけれど、行き先方向幕はやっぱりこの色が似合う。



筆記体のロゴも、この色に混ざると、昔を懐かしんで少々威張り気味かも(笑)。
っていうか、威張ってない京成なんて、京成じゃないから(笑)。



4両編成、追い抜きのない臨時特急、しかもこの列車の告知は、ミラフォレスタのイベントの中吊り広告の中に見事に埋没していた関係もあってか、乗車率は、運転席後ろの部分だけが乗車率150%という中、他の車両は楽に座れるくらいにガラガラで、おいらとしてはひじょーに有り難いのだけれど、京成の中の人的にはいかがなものだったのだろうか(笑)。
中間車両に楽々座を占めて、いつもとはなんだか違う京成電車の、小さな小さな旅。
なぜに中間車両に座を占めたかといえば、空いているのはもちろんのこと、3300形は、両端の車両と中間車両では、ブレーキの緩解音に違いがあり、先頭車両は車体更新工事の時にブレーキに手が加えられたのか、音が違うのだけれど、中間車両は、昔からそのまんまのブレーキ緩解音がするので、座を占めるなら、京成を昔から知っているならむしろこちらの方がよかったりして。
そんなわけで、小馬太郎兵衛、酒に酔う。京成電車の揺れに酔う(笑)。

八千代台から乗ってきて、おいらの隣に座を占めたおばさんと娘さんかお孫さんか。
この列車を「昔はこんな色だったよねえ~」などと懐かしみ、「これでよく下市場の親戚のウチへ行ったのよ」と、娘さんに語り出して、まったくアカの他人なのに、ついついご同慶の至りと聞き耳を立ててしまう。
そんなおばあさんの会話を聞いていると、ついつい中学、高校時代の青春時代を思い出しちゃうねえ…。
デートの思い出なんかないけれど、こいつを見ながら勝田台近辺をよく歩いたとか、中学生の頃の学習塾はこいつに乗って一駅通学、行った駅でクラスメイトや部活の後輩とバッタリ会うことも珍しくはない。今でも八千代台のユアエルムの歩道橋を歩いていると、おいらの名前を呼んではケタケタ笑っていた後輩の女の子のことを思い出す。
専門学校時代もこの色だった。専門学校時代になると、順次現行塗色に塗り替えられていた頃で、ファイアーオレンジは少数派になっていたけれど、中学時代のクラスメートともまだ朝の電車でばったり会うことが多かった頃。それから13年、卒業して20年近く、あの頃バッタリ会うことが多かったクラスメートが、実はおいらのことを気に入っていた…という話を人づてに聞いたのは、つい2年くらい前のこと。ああ、頼むからもう15~6年前に聞いておけば(以下略)。村下孝蔵の「初恋」が流れてくるぞこんちきしょうめ。

Youtube - 村下孝蔵・初恋

そいつとよくばったり会ったのは、決まって地元の駅を朝の8時18分に出る上野行き急行。船橋から必ず特改の車掌が「ご面倒様です~」とやってきて、乗り越し精算を行っていた。おいらもなんどか長い短冊のような車内補充券を鋏でパチパチやってもらったことがある。
高砂で神奈川新町行きに接続していて、おいらは高田馬場へ向かうためにこのまま乗り通し、都営線方面に出かける彼女は高砂で乗り換え。

ああ青白き青春時代。
こういうおいらもおっさんになったな…。

この色の電車に揺られると、当時のことがあれやこれやと巡ってくる。
特急だからなおのこと。

特急で思い出したけれど、今でこそ京成の一般特急は20分ヘッドだが、成田空港新線開業の1991年以前は40分ヘッドだったのだが、特急が40分ヘッドではお正月の成田山輸送を乗り切ることが出来ず、お正月だけは土日は臨時特急が走っていたっけ。当時は8両編成は朝夕ラッシュ時にしか稼働していなかったので、休日の真っ昼間に8両編成に乗れるまたとないチャンスでもあった。
20分ヘッドになった今では臨時特急は走っていないが、特急の混雑緩和のため、正月中はうすい止まりの普通列車が成田まで延長運転されて今に至っている。

赤電と、佐倉の印旛沼のほとりの風車。



そして、赤電にはこんな風景がよく似合う(笑)。
これが噂の大佐倉。



大佐倉に関しては、こちらの過去ログもご参照下さい。

2006年11月18日付「いけいけ大佐倉探検隊」

酒一本で、昔の思い出と相まって、ものの見事に出来上がったおいら。
成田に到着して、さてどうしようか…と思案していると、どうやら14分の連絡待ちで、13時35分発の芝山千代田行きがあるというので乗ってみることに。40分ヘッドの芝山千代田行きで、14分の連絡待ちなど「連絡待ち」とは言わぬ(笑)。



ちなみに、鉄ネタ関係でお越しの皆様には申し上げるまでもございませんが、途中にある「東成田」こそ、1991年3月に成田空港へのアクセス新線が開通するまでの玄関口、「成田空港」そのものである。
列車は空港線を爆走し、駒井野信号所を直進。左に折れれば空港第2ビル。
東成田は成田空港の玄関口としての任を解かれ、なんとも言葉にしようがないほどうらぶれた雰囲気。使われなくなったホームには、未だに「なりたくうこう」の文字が健在である。
この東成田から、意外なことに2~3人乗ってきた。
もとより東成田は空港関係者が利用する駅で、利用する人がいるのは知っているが、東成田から芝山千代田行きに乗ってくるというのもまた意外。
しかも、客だけではなくて、警官も容赦なく乗ってくる。
別に何を怖がるわけでもないのだけれど、置かれた状況がよく分かるというもので。
東成田から芝山千代田までは、わずか2.2㎞。
つまりは「日本で一番短い鉄道」である。
新線なのだから、東成田から芝山千代田までまっすぐ貫けば良さそうに見えるが、速度制限のかかるカーブをうねうねと曲がるあたり、成田空港の土地収用問題の難しさを感じずにはいられない。これはなにも鉄道だけではなくて、並行して走る道路もまた、なんでもないところでの急カーブを強いられる。
それでも、地上に出れば点検中の飛行機の姿を間近に見ることが出来る。



そしていきなり終点の芝山千代田へ。
この辺はノーキャプションでお楽しみ下さい。









駅前にはこんなでかでかとした看板が。


↑※クリックで無駄に拡大します。

おや…?
看板の上に見える飛行機は…?

そんなわけで、無駄に写真をでかくしてお楽しみ頂こうかとw。

しかし、この看板は3700形ですかの?
残念ながら、リースされて来たのは3600形でしたの。


(2009年7月撮影)

さて、ここからは特にどこに出るアテもないし、東成田の様子をうかがいに行くのなら、このまま折り返して東成田で降りて、空港第2ビルまで歩くのも手だし、或いはこのまま公津の杜まで戻っても良いのだけれど、バスのロータリーを眺めてみたら、ちょうど折良く12時55分に、三里塚経由成田駅行きのJR関東バスがあるとなれば、こりゃもう乗らなきゃだめっしょ。



バスは航空博物館まで回り込んだ後、旧296号を三里塚まで走って、寺台回りで成田へ。
三里塚といえば、今でこそ成田空港問題の代名詞的な土地柄になってしまったが、その昔は御料牧場があった土地で、このあたりは競走馬の牧場も点在している。
三里塚バス停近くにある三里塚の記念公園には、1935年~40年にかけてのリーディングサイヤーだった、トウルヌソルの記念碑がある。
同じ三里塚の御料牧場には、1941年に、日本競馬史上初となる三冠馬セントライトを送り出した種牡馬ダイオライトもいて、ダイオライトを称え、今でも船橋競馬場では「ダイオライト記念」という交流重賞が残されている。
あと、これは後に聞いた話だが、おかんは子供の頃、この三里塚の地へ疎開していたという。

さて。
芝山千代田から30分ちょいで成田駅着。
バス代は520円。電車より高い。しかし、100いくらしか安くないってーのは…。
成田に着いたので、おとなしくJRで千葉に移動するとしますかね。

折良く10分とない待ち時間で千葉行きがあり、ひとまずコンビニで性懲りもなくもう一本所望、電車の中で空けてやろうかと思ったら、時刻表を見たらあいにく5両編成なのでロングシート211系確定。ありゃ。さてどーするかね…と、ひとまずホームをフラフラしていたら、どこからともなく…、

「あれえ小馬さん、こんなところで何してるの!?」

の声に、思わず約13秒ほどきょとん。
えーっと、どなただっけどなただっけ、学校関係者でも演劇関係者でもないな、えーっと、顔に見覚えはあるけど髪型に見覚えがないってあーっ!!

なんのことはない、いつも千葉マリンで仲良くさせてもらっている、別のグループの観戦仲間だった。
どうもJRの成田駅は、個人的に誰かにとっ捕まりやすい駅なのかしら。
15年前の某サークルの乗り継ぎイベントに出かける時も、成田在住の芝居仲間にいきなりとっ捕まって面食らったことがあったしねえ…。
いやはや、悪いことは出来ませぬ。別に何も悪いことはしていないけどさ。

なんでも千葉で午後4時から飲むのだとか。
だったらあんたも中央公園にいらっしゃいよ。
そんな馬鹿話をしながら千葉へ。
さて、中央公園まで移動しましょうかね。
(続きは別エントリで書きますよ)


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