近鉄で長年運行していた、三重県と大阪府を魚を運んで走った行商人専用列車、通称「鮮魚列車」が、来月のダイヤ変更で運転終了ということになりそうです。
地元名古屋のNHKニュースでも報じられたということです。
鮮魚列車の歴史は古く、1963年頃から宇治山田~大阪上本町間を走る魚の行商専用列車、いわゆる「鮮魚列車」として、朝5時半過ぎに宇治山田を出発、途中駅で何度か停車や運転停車を繰り返し、朝9時前に大阪上本町に到着すると、荷揚げされた魚が一斉に大阪市内を駆け巡る、というもの。
一日中大阪市内で魚を売り歩いた行商人は、夕方設定された松阪行き鮮魚列車で三重県へ帰り、また深夜から魚を仕入れて鮮魚列車に荷物を積み込む…という毎日だったそうです。
作物の形は違うけれども、千葉県で取れた農作物を都内に売りさばくための行商人専用列車も、その昔京成電鉄に「荷電」として長く残っており、専用列車をやめた後も、長い間、成田発の上野行きと西馬込行き急行列車で「後ろ1両は行商専用車」という扱いが続けられた(行商専用車の取り扱いは押上まで)。
1990年代中盤などは、行商専用車には都営5300形が充当されていたこともあって、それ自体は8両だからまだよかったんですが、上野行き急行はある意味最悪で、通勤ラッシュが終わりかけた準ラッシュの時間帯に6両編成だったものだから、後ろ1両行商専用車で実質5両。まあ混みましたね。後ろ1両以外w
やがて、行商人の数が少なくなると列車も急行から普通列車に変更され、最末期は芝山千代田発上野行き普通列車の最後部1両が行商専用車に指定されていたが、前5両にはそれなりにお客さんが乗っているところへ、貸切の車両にはおばあちゃんが4~5人しか乗っていなかったことも全く珍しくなかったため、2013年3月に、京成電鉄の行商専用車は廃止されている。
実は最末期の一時期、当該列車を毎日通学のために利用していたので、利用率はよく知ってますw
だったらなぜ写真を撮っておかんのだ(´・ω・`)
僕は近鉄利用者でも何でもないので、鮮魚列車自体の乗車率はよくわかりませんが、おそらくは京成の最末期の行商専用車と同じくらいの利用率であったかと思われます。
帰りの松阪行き鮮魚列車など、仕立てられていても、明け荷の荷物も人も誰も乗っていないこともあったそうで、利用率が一緒なら、鮮魚列車廃止もむべなるかな…というところです。
今後はいわゆる「鮮魚列車」という、行商人専用列車としての貸切列車の仕立てはなくなり、同じような時間帯に運転される宇治山田発大阪上本町行き快速急行を、8両から10両編成に増強したうえで、最後部1両と、折り返しの松阪行き快速急行の最前部1両が鮮魚積み込み専用車両として運転されるということです。
同じ行商人専用車両でも、農作物と鮮魚じゃあ…ねえ。
魚だと臭いが残りますから、専用車両でないと、さすがにきついでしょうなあ。
いやあ…。
( ´Д`)y━・~~乗っといてよかったねえw
ブログではちらりと触れる程度にはなっていたんですが、実は昨年6月、クラブツーリズムの鮮魚列車貸切ツアーにこっそりと参加をしておりまして。
普段は乗れない鮮魚列車に乗って、三重県の明星車庫まで行って、撮影会を行い、帰りは明星車庫から名古屋まで2時間半近く、延々休憩なしの修行をしながら帰ってくるという、鉄道趣味者以外はおそらく後半はかなりの苦痛が伴うツアーでありましてw
俺も最初聞いたときはよくわからなかったんですが、明星車庫って伊勢中川よりも南にあるんですね。
運ばれて、帰りは休憩なしだと言われた時はさすがに「修行だ」と思いましたw
鮮魚列車の車内も少々御覧に入れましょう。
床はモロに段差があるので歩行時は注意しましょう。
荷物棚は、今やどこに行っても見ることが難しくなった、本物の「網棚」。
この上に、これまでどんな荷物や人が積まれたんでしょうかねえw
ツアー参加特典として、クラブツーリズム特製の鮮魚列車のサボ(行先板)と記念切符、鮮魚列車ツアーオリジナル弁当もついておりました。
鮮魚列車のサボは、どうせならこういうのがよかった。阪急が出しているミニチュアマグネットみたいなのでもいいからw
三重県は湯の山温泉駅での折り返し休憩中の1枚。
あちらさんは、何系とおっしゃいましたっけ。近鉄の通勤型は系列が多岐にわたりすぎていて、今更網羅するなんて絶対不可能(´・ω・`)
鮮魚列車廃止後の去就はわかりませんが、最後まで達者に走ってほしいと思います。
地元名古屋のNHKニュースでも報じられたということです。
鮮魚列車の歴史は古く、1963年頃から宇治山田~大阪上本町間を走る魚の行商専用列車、いわゆる「鮮魚列車」として、朝5時半過ぎに宇治山田を出発、途中駅で何度か停車や運転停車を繰り返し、朝9時前に大阪上本町に到着すると、荷揚げされた魚が一斉に大阪市内を駆け巡る、というもの。
一日中大阪市内で魚を売り歩いた行商人は、夕方設定された松阪行き鮮魚列車で三重県へ帰り、また深夜から魚を仕入れて鮮魚列車に荷物を積み込む…という毎日だったそうです。
作物の形は違うけれども、千葉県で取れた農作物を都内に売りさばくための行商人専用列車も、その昔京成電鉄に「荷電」として長く残っており、専用列車をやめた後も、長い間、成田発の上野行きと西馬込行き急行列車で「後ろ1両は行商専用車」という扱いが続けられた(行商専用車の取り扱いは押上まで)。
1990年代中盤などは、行商専用車には都営5300形が充当されていたこともあって、それ自体は8両だからまだよかったんですが、上野行き急行はある意味最悪で、通勤ラッシュが終わりかけた準ラッシュの時間帯に6両編成だったものだから、後ろ1両行商専用車で実質5両。まあ混みましたね。後ろ1両以外w
やがて、行商人の数が少なくなると列車も急行から普通列車に変更され、最末期は芝山千代田発上野行き普通列車の最後部1両が行商専用車に指定されていたが、前5両にはそれなりにお客さんが乗っているところへ、貸切の車両にはおばあちゃんが4~5人しか乗っていなかったことも全く珍しくなかったため、2013年3月に、京成電鉄の行商専用車は廃止されている。
実は最末期の一時期、当該列車を毎日通学のために利用していたので、利用率はよく知ってますw
だったらなぜ写真を撮っておかんのだ(´・ω・`)
僕は近鉄利用者でも何でもないので、鮮魚列車自体の乗車率はよくわかりませんが、おそらくは京成の最末期の行商専用車と同じくらいの利用率であったかと思われます。
帰りの松阪行き鮮魚列車など、仕立てられていても、明け荷の荷物も人も誰も乗っていないこともあったそうで、利用率が一緒なら、鮮魚列車廃止もむべなるかな…というところです。
今後はいわゆる「鮮魚列車」という、行商人専用列車としての貸切列車の仕立てはなくなり、同じような時間帯に運転される宇治山田発大阪上本町行き快速急行を、8両から10両編成に増強したうえで、最後部1両と、折り返しの松阪行き快速急行の最前部1両が鮮魚積み込み専用車両として運転されるということです。
同じ行商人専用車両でも、農作物と鮮魚じゃあ…ねえ。
魚だと臭いが残りますから、専用車両でないと、さすがにきついでしょうなあ。
いやあ…。
( ´Д`)y━・~~乗っといてよかったねえw
ブログではちらりと触れる程度にはなっていたんですが、実は昨年6月、クラブツーリズムの鮮魚列車貸切ツアーにこっそりと参加をしておりまして。
普段は乗れない鮮魚列車に乗って、三重県の明星車庫まで行って、撮影会を行い、帰りは明星車庫から名古屋まで2時間半近く、延々休憩なしの修行をしながら帰ってくるという、鉄道趣味者以外はおそらく後半はかなりの苦痛が伴うツアーでありましてw
俺も最初聞いたときはよくわからなかったんですが、明星車庫って伊勢中川よりも南にあるんですね。
運ばれて、帰りは休憩なしだと言われた時はさすがに「修行だ」と思いましたw
鮮魚列車の車内も少々御覧に入れましょう。
床はモロに段差があるので歩行時は注意しましょう。
荷物棚は、今やどこに行っても見ることが難しくなった、本物の「網棚」。
この上に、これまでどんな荷物や人が積まれたんでしょうかねえw
ツアー参加特典として、クラブツーリズム特製の鮮魚列車のサボ(行先板)と記念切符、鮮魚列車ツアーオリジナル弁当もついておりました。
鮮魚列車のサボは、どうせならこういうのがよかった。阪急が出しているミニチュアマグネットみたいなのでもいいからw
三重県は湯の山温泉駅での折り返し休憩中の1枚。
あちらさんは、何系とおっしゃいましたっけ。近鉄の通勤型は系列が多岐にわたりすぎていて、今更網羅するなんて絶対不可能(´・ω・`)
鮮魚列車廃止後の去就はわかりませんが、最後まで達者に走ってほしいと思います。
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