建設中の東京スカイツリーのお膝元、東武鉄道業平橋駅が、改称に動き出すようです。
とうきょうスカイツリー駅に=12年開業時、最寄り駅名改称―東武鉄道(時事通信) - goo ニュース
「とうきょうスカイツリー」ですか。
「東京」という名前をわざとひらいたのも議論の的になりそう。
まあ、わけの分からない住宅開発地の地名よりはマシのような気が、個人的にはしますわな。
ただ、わざわざ「東京」をひらがなにする必要までは…とは思う。
業平橋の駅名の由来が、在原業平の伊勢物語、都鳥から来ているのを知っている、周辺住民からもかなりの異論が寄せられそう。。。
業平橋駅自体も、存在の浮き沈みがとても激しい歴史を積み重ねてきた駅。
開業当初は吾妻橋駅として開業するも、東京都心へのアクセス路線として東武亀戸線ができると一時閉鎖の憂き目に。貨物、旅客の順に営業が再開されると、今度は「浅草駅」として旅客駅の一翼を担う。
昭和6年に今の浅草駅が開業すると「業平橋駅」となり、主に東武の貨物、特にセメント輸送のメインターミナルとして機能することになる。
一時期貨物輸送も隆盛を極めたのもつかの間、だんだん貨物輸送もトラック輸送中心に転換されると、今度は空いた貨物用の敷地の一部を、もはや手詰まり感があった北千住口のラッシュ対策に振り向けた。
即ち、浅草駅が一部ホームが8両対応の他は6両対応なので、北千住まで10両でやってきた列車を、そのまま浅草に乗り入れることはできなかったので、業平橋駅の一つ北千住寄りの曳舟で折り返し、または編成の一部を増解結して乗り切っていた。
この10両編成を、空いた貨物用地の一部にホームを設けて昼間は留置し、ホーム東端から地下通路で京成・都営浅草線の押上駅まで結び、北千住から日比谷線や千代田線に向かっていた通勤客を、少しでも押上経由に誘導しようという苦肉の策が取られていた。この北千住迂回ルートは、浅草から銀座線のルートも推奨されていた。
内閣改造で運輸大臣(現国交相)が交代するたびに、朝ラッシュ視察と称しては東武伊勢崎線北千住駅のホームに立つ姿は、ある意味「日本の朝ラッシュの象徴」という意味合いさえあった。
そして、今。
2003年に半蔵門線が押上まで延び、曳舟から押上へ行くルートが開業(手続き上は曳舟~業平橋駅間の複々線化)すると、昼間寝ていた10両編成の列車は、全て半蔵門線へ行くことになり、業平橋駅でお昼寝する必要はなくなった。
やがて、通勤電車が昼寝をむさぼっていたホームは綺麗に撤去されると、2008年ごろからはその跡地で大々的な工事が始まった。
それが、東京スカイツリー。
さまざまな浮き沈みを経て、今また脚光を浴びようとしている。
なんだか休日ともなると、周辺道路は渋滞で大変らしいですが。
っていうか、大型観光バスの駐車場とかマジでどうするんだろう、あの近辺。
今は建設中だからまだいいけれど、開業したら大型バスの駐車場はあっという間にオーバーフローになると思うけど…。。。
どうせだったらさあ…。
ちょいと「とうきょうスカイツリー」に手を加えて、「とうきょうスカイツリー前」でいいじゃん。
「国鉄千葉駅前」みたいな。みたいな。
東武と京成はいろんな意味で仲間だろ、俺達wwww
だめ?
あっそうorz
とうきょうスカイツリー駅に=12年開業時、最寄り駅名改称―東武鉄道(時事通信) - goo ニュース
東武鉄道は27日、2012年春の東京スカイツリー開業に合わせ、最寄り駅の伊勢崎線業平橋駅(東京都墨田区)を「とうきょうスカイツリー」駅に改称すると発表した。
同社によると、業平橋駅は1902年、吾妻橋駅として開業。10年、浅草駅に改称された後、31年に現在の浅草駅開業とともに業平橋駅と名称変更された。
東京スカイツリーへは徒歩1分。現在、改札口はツリーと反対側の1カ所だが、新たにツリー側にも設けるなど改修する。業平橋駅単独での乗降客数は集計していないが、「ツリー開業で相当増えると予想される」(東武鉄道)という。
「とうきょう」をひらがなにした理由について、同社は「漢字の東京駅や東京テレポート駅との区別や親しみやすさを考えた」としている。
「とうきょうスカイツリー」ですか。
「東京」という名前をわざとひらいたのも議論の的になりそう。
まあ、わけの分からない住宅開発地の地名よりはマシのような気が、個人的にはしますわな。
ただ、わざわざ「東京」をひらがなにする必要までは…とは思う。
業平橋の駅名の由来が、在原業平の伊勢物語、都鳥から来ているのを知っている、周辺住民からもかなりの異論が寄せられそう。。。
業平橋駅自体も、存在の浮き沈みがとても激しい歴史を積み重ねてきた駅。
開業当初は吾妻橋駅として開業するも、東京都心へのアクセス路線として東武亀戸線ができると一時閉鎖の憂き目に。貨物、旅客の順に営業が再開されると、今度は「浅草駅」として旅客駅の一翼を担う。
昭和6年に今の浅草駅が開業すると「業平橋駅」となり、主に東武の貨物、特にセメント輸送のメインターミナルとして機能することになる。
一時期貨物輸送も隆盛を極めたのもつかの間、だんだん貨物輸送もトラック輸送中心に転換されると、今度は空いた貨物用の敷地の一部を、もはや手詰まり感があった北千住口のラッシュ対策に振り向けた。
即ち、浅草駅が一部ホームが8両対応の他は6両対応なので、北千住まで10両でやってきた列車を、そのまま浅草に乗り入れることはできなかったので、業平橋駅の一つ北千住寄りの曳舟で折り返し、または編成の一部を増解結して乗り切っていた。
この10両編成を、空いた貨物用地の一部にホームを設けて昼間は留置し、ホーム東端から地下通路で京成・都営浅草線の押上駅まで結び、北千住から日比谷線や千代田線に向かっていた通勤客を、少しでも押上経由に誘導しようという苦肉の策が取られていた。この北千住迂回ルートは、浅草から銀座線のルートも推奨されていた。
内閣改造で運輸大臣(現国交相)が交代するたびに、朝ラッシュ視察と称しては東武伊勢崎線北千住駅のホームに立つ姿は、ある意味「日本の朝ラッシュの象徴」という意味合いさえあった。
そして、今。
2003年に半蔵門線が押上まで延び、曳舟から押上へ行くルートが開業(手続き上は曳舟~業平橋駅間の複々線化)すると、昼間寝ていた10両編成の列車は、全て半蔵門線へ行くことになり、業平橋駅でお昼寝する必要はなくなった。
やがて、通勤電車が昼寝をむさぼっていたホームは綺麗に撤去されると、2008年ごろからはその跡地で大々的な工事が始まった。
それが、東京スカイツリー。
さまざまな浮き沈みを経て、今また脚光を浴びようとしている。
なんだか休日ともなると、周辺道路は渋滞で大変らしいですが。
っていうか、大型観光バスの駐車場とかマジでどうするんだろう、あの近辺。
今は建設中だからまだいいけれど、開業したら大型バスの駐車場はあっという間にオーバーフローになると思うけど…。。。
どうせだったらさあ…。
ちょいと「とうきょうスカイツリー」に手を加えて、「とうきょうスカイツリー前」でいいじゃん。
「国鉄千葉駅前」みたいな。みたいな。
東武と京成はいろんな意味で仲間だろ、俺達wwww
だめ?
あっそうorz
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