結局、あの事件とはなんだったのだろうか…。
「なぜ」語られぬまま オウム裁判終結 遺族むなしさ募る(産経新聞) - goo ニュース
国松元長官銃撃・村井幹部刺殺…まだまだ残る謎 - 読売新聞 - Yahoo!ニュース
1994年、突然松本の閑静な住宅街を襲った松本サリン事件に始まり、阪神大震災の傷跡も生々しい1995年3月に、ラッシュ時の首都の地下鉄という密閉空間を襲った地下鉄サリン事件。
それに付随して発生した、国松長官狙撃事件、報道陣の目の前で起こった、村井幹部刺殺事件。
それら立て続けに起こる事件に、大きく揺り動かされる世論。
あの当時の混乱状況は、いったいなんだったというのか。
もちろん、「なんだったのか」と問われたなら、「テロ組織による組織的な犯罪」の一言で片付けられるのだが…。
オウム側から矢継ぎ早に発信される情報。
真っ向から対峙する論客。
それをいなす情報部長。
当時の流行語にもなった「ああいえば上佑」とは、当時のメディアの混乱をリアルタイムで御存知の方ならば、あまりにも弁が立ちすぎる情報部長の口調に、対峙したならば間違いなく言いくるめられて終了…というイメージを持った方もさぞ多いことだろう。
混乱するメディア。
それに乗じて次々発信される、オウム側の荒唐無稽な主張。
もしあの頃に、インターネットという文明の利器が、一部の人たちだけで使われるものでなく、今のように猫も杓子も簡単にケータイのボタンから支える状況だったならば、彼らのメディア戦略はどう企てていたのか、その戦略に興味がわくところ。
そしてそれら荒唐無稽な主張が、印刷物になり、大きな駅前で冊子として不特定多数に配布され、或いは雑誌として書店に流通し、或いはグッズストアとしてオウムの教団各拠点がグッズストアに早代わりして、知らず知らずのうちに若者を取り込むのに成功したり。
え?
あたし?
雑誌は買いましたがなにか?(・・;)
親には「何バカなもん買ってるんだ」と怒られたけれど、当時通っていた学校の講師達からは、相手の主張がどうであれ、相手の主張を読めるものが売られているのなら主張を読み込むこと自体は決して悪いことではない…と言われていたしねえ。そしてなにより人柱という役(ry
雑誌を手にとって地元の本屋さんのレジに持っていったら、本屋の店主のおじさんが、ヒソヒソ話で「いやこれねえ、実のところ売れてるのよ。いいか悪いかはともかくとして」と小声で囁いてくれたのは今でも忘れない。その本屋は跡形もなく潰れちゃったけど(・・;)
まあ、組織的なテロ集団の主張が堂々と雑誌、書籍として書店に流通したという、ある意味完全に狂っていた時代。
それはテレビ、ラジオ、或いは雑誌とて一緒で、連日テロ集団の主張を「両論併記の原則」をタテにして垂れ流していたのはメディアそのものであるし、雑誌もあからさまに「時代はオウム」として雑誌作りをしていた週刊誌も存在していたほど。
ある意味、情報の取捨の実地授業としては、これ以上ない生の教材ではあったと思う。
あの日、テレビ、ラジオ、或いは雑誌で繰り広げられた、情報取捨の実地授業。
今の自分に、果たして役立っているのだろうか。
テロ組織の主義主張の名のもとに、一般市民が平気で薬物テロの標的にされた時代。
今でも後遺症に苦しむ人、いつまでも癒えない傷を抱えてしまった人も多数いる。
裁判は終結。
教祖様は、下々の人との意思疎通は出来ない状態であるようだ。
あの事件は、二度と繰り返されてはならない。
「なぜ」語られぬまま オウム裁判終結 遺族むなしさ募る(産経新聞) - goo ニュース
■「辛い事実終わらない」
長い長い裁判が終わった。遠藤誠一被告(51)の上告を棄却し、オウム真理教による一連の事件を締めくくった21日の最高裁判決。16年の歳月を費やした裁判でようやく迎えた区切りにも、遺族は問い続けた「なぜ」への答えを見つけられないむなしさを募らせた。なぜ事件は起きたのか。なぜ命を奪われなければならなかったのか。裁判は終わっても、家族を失った現実と向き合う日々は続く。
「これがオウム裁判なんだ、オウムなんだと強く感じた」。営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ケ関駅の助役だった夫、一正さん=当時(50)=を殺害された「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人、高橋シズヱさん(64)は判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、やりきれない胸中を明かした。
最後の被告となったのは、夫を奪ったサリン製造にかかわった遠藤被告。「皮肉にも反省や謝罪のひとかけらもない被告で締めくくられた」と悔しさをにじませた。
地下鉄事件の実行犯、林郁夫受刑者(64)=無期懲役が確定=の初公判から傍聴を重ね、この日で436回目を数えた。
法廷で謝罪や反省の言葉を述べる被告もいた。「私が生きていちゃいけない」。声をあげて泣いた林受刑者の姿は今も脳裏に残る。しかし、一方で「この人の言っていることは本当なのか」との疑問を消すことはできなかった。
遠藤被告の上告審判決は、傍聴席の最前列で見守った。主文を言い渡した裁判長が閉廷を告げると、深々と頭を下げた。
裁判の終結が近づくにつれ、毎日のように「あの日」を思い出すという。一正さんが搬送された病院に駆けつけた子供たちが「お父さん。お父さん」と泣いたこと。棺に眠る夫の体はすでに硬く、ろう人形のようだったこと…。
高橋さんは「死刑囚は私たちの苦しみや怒りを想像できていないと思う」と厳しい表情で述べた。
松本サリン事件で次男=当時(23)=を亡くした小林房枝さん(69)も「一日たりとも、息子が亡くなったという事実から解放されたことはなかった。裁判が終わっても私たちはつらい事実と向き合わねばならない」。死刑を言い渡された元幹部らは計13人。「どういうふうに執行されるのかを静かに見守りたい」と静かに語った。
国松元長官銃撃・村井幹部刺殺…まだまだ残る謎 - 読売新聞 - Yahoo!ニュース
地下鉄、松本両サリン事件など4事件で殺人などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けたオウム真理教の元幹部・遠藤誠一被告(51)の上告審判決が21日、最高裁第1小法廷であり、遠藤被告の上告を棄却した。
1995年6月から始まったオウム裁判は、すべて終結した。
オウム裁判は終結したが、事件には多くの謎が残されている。
1995年に起きた国松孝次・元警察庁長官銃撃事件は2004年7月に、警視庁の元巡査長らを逮捕したが、不起訴に終わり、昨年3月、公訴時効を迎えた。同庁はその際、「教団による組織的テロ」とする捜査結果を公表したが、未解決に終わっている。
95年4月に教団の村井秀夫幹部(当時36歳)が刺殺された事件では、現行犯逮捕された男(46)に犯行を指示したとされる元暴力団幹部の男性(64)の無罪が確定。捜査当局内には、「単独犯とは考えられない」との見方が依然強いが、背後関係は判明しなかった。
一方、高橋克也(53)、平田信(46)、菊地直子(39)の3容疑者は地下鉄サリン事件などで特別手配中で、生存しているのかどうかもはっきりしない状況だ。
1994年、突然松本の閑静な住宅街を襲った松本サリン事件に始まり、阪神大震災の傷跡も生々しい1995年3月に、ラッシュ時の首都の地下鉄という密閉空間を襲った地下鉄サリン事件。
それに付随して発生した、国松長官狙撃事件、報道陣の目の前で起こった、村井幹部刺殺事件。
それら立て続けに起こる事件に、大きく揺り動かされる世論。
あの当時の混乱状況は、いったいなんだったというのか。
もちろん、「なんだったのか」と問われたなら、「テロ組織による組織的な犯罪」の一言で片付けられるのだが…。
オウム側から矢継ぎ早に発信される情報。
真っ向から対峙する論客。
それをいなす情報部長。
当時の流行語にもなった「ああいえば上佑」とは、当時のメディアの混乱をリアルタイムで御存知の方ならば、あまりにも弁が立ちすぎる情報部長の口調に、対峙したならば間違いなく言いくるめられて終了…というイメージを持った方もさぞ多いことだろう。
混乱するメディア。
それに乗じて次々発信される、オウム側の荒唐無稽な主張。
もしあの頃に、インターネットという文明の利器が、一部の人たちだけで使われるものでなく、今のように猫も杓子も簡単にケータイのボタンから支える状況だったならば、彼らのメディア戦略はどう企てていたのか、その戦略に興味がわくところ。
そしてそれら荒唐無稽な主張が、印刷物になり、大きな駅前で冊子として不特定多数に配布され、或いは雑誌として書店に流通し、或いはグッズストアとしてオウムの教団各拠点がグッズストアに早代わりして、知らず知らずのうちに若者を取り込むのに成功したり。
え?
あたし?
雑誌は買いましたがなにか?(・・;)
親には「何バカなもん買ってるんだ」と怒られたけれど、当時通っていた学校の講師達からは、相手の主張がどうであれ、相手の主張を読めるものが売られているのなら主張を読み込むこと自体は決して悪いことではない…と言われていたしねえ。
雑誌を手にとって地元の本屋さんのレジに持っていったら、本屋の店主のおじさんが、ヒソヒソ話で「いやこれねえ、実のところ売れてるのよ。いいか悪いかはともかくとして」と小声で囁いてくれたのは今でも忘れない。その本屋は跡形もなく潰れちゃったけど(・・;)
まあ、組織的なテロ集団の主張が堂々と雑誌、書籍として書店に流通したという、ある意味完全に狂っていた時代。
それはテレビ、ラジオ、或いは雑誌とて一緒で、連日テロ集団の主張を「両論併記の原則」をタテにして垂れ流していたのはメディアそのものであるし、雑誌もあからさまに「時代はオウム」として雑誌作りをしていた週刊誌も存在していたほど。
ある意味、情報の取捨の実地授業としては、これ以上ない生の教材ではあったと思う。
あの日、テレビ、ラジオ、或いは雑誌で繰り広げられた、情報取捨の実地授業。
今の自分に、果たして役立っているのだろうか。
テロ組織の主義主張の名のもとに、一般市民が平気で薬物テロの標的にされた時代。
今でも後遺症に苦しむ人、いつまでも癒えない傷を抱えてしまった人も多数いる。
裁判は終結。
教祖様は、下々の人との意思疎通は出来ない状態であるようだ。
あの事件は、二度と繰り返されてはならない。
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