あれだけリハビリに次ぐリハビリで頑張ってらっしゃったのに…。
【西城秀樹さん死去】永遠の“ヤングマン” 脳梗塞後もステージに熱い思い(産経新聞) - gooニュース
<blockqupte>数々のヒット曲、情熱的なステージで人気を誇り、昭和歌謡曲の黄金期を築いた西城秀樹さんが16日、63歳で死去した。脳梗塞に2度見舞われながら、ステージへの熱い思いからリハビリに励み、約1カ月前にもコンサートで熱唱。力強く歌う姿を見せ、ファンを喜ばせたばかりだった。
高校1年生で上京し、デビュー2年後、昭和49年に「傷だらけのローラ」がヒット。同年末にはNHK紅白歌合戦に初出場した。細身の長身、肌を露出した衣装、ウエーブのかかった長髪、何よりも叫ぶように歌う情熱的な歌唱スタイルが若い女性の心をつかみ、「ブーメランストリート」「ギャランドゥ」などヒット曲を連発した。
54年の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は、星条旗をモチーフにした派手な衣装と両腕で「Y・M・C・A」とアルファベットを表す振り付けが受けて大流行。世代を超えて一緒に歌える曲として親しまれた。市場調査会社「オリコン」によると5月13日までに約81万枚を売り上げ、西城さんの最大のヒット曲となった。
俳優として出演したテレビドラマ「寺内貫太郎一家」(49年)では、父親役の小林亜星さん(85)と毎回激しい親子げんかを繰り広げる演技が話題に。ハウス食品「バーモントカレー」のテレビCMに長く出演し、決めぜりふの「ヒデキ、感激!」は流行語になった。
平成15年と23年に脳梗塞を発症。25年に大阪府内で行った講演では、右半身に障害があることを明らかにし、「やるという姿勢が大切」「あきらめたら終わり」とリハビリの大切さを強調。軽い運動など心がけていることを紹介し、「こうやって話せるのが生きがい」と話していた。
昨年10月に東京・中野サンプラザで行ったコンサートでは、ほとんど動かないまま歌っていたが、「ヤングマン」を歌うときはおなじみの振り付けを披露、観客をわかせた。言語障害も残っていたはずなのにパワフルなステージを見せ、その後の取材に「歌になると楽に声が出る」と不屈の精神を示した。
今年の誕生日の翌日、4月14日に栃木県で開かれたコンサートで、最後に熱唱したのは「ヤングマン」。“永遠のヤングマン”を全うした人生だった。
最近のいつだったかのテレビ番組、24時間テレビだったかなんだったか、西城秀樹の復活ライブを放送していて、脳梗塞になって半身が全くうまく使えない状況ながらも「しっかり」歌う姿に、本当に心を打たれたんですよ。
それを見た当時から今の福祉職の生活をしていたから、余計に秀樹の頑張りが身に染みて理解できたんですが…。
脳梗塞を2度やって、半身まひが残ってもなお、歌とステージに出てくる気力があるというのが凄いんだと。
「病は気から」といは言うけれど、病があっても気があれば、歌も歌えるようになるし、ステージにも立つことが出来るんだ。
本当に心が打たれました。
急性心不全ですか…。
あまりにも突然で言葉が出ません。
あたしにとっての西城秀樹は、たまに「8時だよ!全員集合」に出てきて歌を歌う人、或いはバーモンドカレーの「リンゴとはちみつ恋をした♪」の人。
他にもヤングマンなど数々の名曲を残された方。
ヤングマンや原曲のYMCAは、今でも日ハム戦の東京ドームの5回裏で、チアとグランド整備員合同でトンボを回して踊る姿が今でも健在だし、マリーンズも昔は5回裏あたりに流していたかな。いっつもYMCAの「C」の向きが困っちゃうの。どっちだっけw
謹んで、西城秀樹さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

【西城秀樹さん死去】永遠の“ヤングマン” 脳梗塞後もステージに熱い思い(産経新聞) - gooニュース
<blockqupte>数々のヒット曲、情熱的なステージで人気を誇り、昭和歌謡曲の黄金期を築いた西城秀樹さんが16日、63歳で死去した。脳梗塞に2度見舞われながら、ステージへの熱い思いからリハビリに励み、約1カ月前にもコンサートで熱唱。力強く歌う姿を見せ、ファンを喜ばせたばかりだった。
高校1年生で上京し、デビュー2年後、昭和49年に「傷だらけのローラ」がヒット。同年末にはNHK紅白歌合戦に初出場した。細身の長身、肌を露出した衣装、ウエーブのかかった長髪、何よりも叫ぶように歌う情熱的な歌唱スタイルが若い女性の心をつかみ、「ブーメランストリート」「ギャランドゥ」などヒット曲を連発した。
54年の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は、星条旗をモチーフにした派手な衣装と両腕で「Y・M・C・A」とアルファベットを表す振り付けが受けて大流行。世代を超えて一緒に歌える曲として親しまれた。市場調査会社「オリコン」によると5月13日までに約81万枚を売り上げ、西城さんの最大のヒット曲となった。
俳優として出演したテレビドラマ「寺内貫太郎一家」(49年)では、父親役の小林亜星さん(85)と毎回激しい親子げんかを繰り広げる演技が話題に。ハウス食品「バーモントカレー」のテレビCMに長く出演し、決めぜりふの「ヒデキ、感激!」は流行語になった。
平成15年と23年に脳梗塞を発症。25年に大阪府内で行った講演では、右半身に障害があることを明らかにし、「やるという姿勢が大切」「あきらめたら終わり」とリハビリの大切さを強調。軽い運動など心がけていることを紹介し、「こうやって話せるのが生きがい」と話していた。
昨年10月に東京・中野サンプラザで行ったコンサートでは、ほとんど動かないまま歌っていたが、「ヤングマン」を歌うときはおなじみの振り付けを披露、観客をわかせた。言語障害も残っていたはずなのにパワフルなステージを見せ、その後の取材に「歌になると楽に声が出る」と不屈の精神を示した。
今年の誕生日の翌日、4月14日に栃木県で開かれたコンサートで、最後に熱唱したのは「ヤングマン」。“永遠のヤングマン”を全うした人生だった。
最近のいつだったかのテレビ番組、24時間テレビだったかなんだったか、西城秀樹の復活ライブを放送していて、脳梗塞になって半身が全くうまく使えない状況ながらも「しっかり」歌う姿に、本当に心を打たれたんですよ。
それを見た当時から今の福祉職の生活をしていたから、余計に秀樹の頑張りが身に染みて理解できたんですが…。
脳梗塞を2度やって、半身まひが残ってもなお、歌とステージに出てくる気力があるというのが凄いんだと。
「病は気から」といは言うけれど、病があっても気があれば、歌も歌えるようになるし、ステージにも立つことが出来るんだ。
本当に心が打たれました。
急性心不全ですか…。
あまりにも突然で言葉が出ません。
あたしにとっての西城秀樹は、たまに「8時だよ!全員集合」に出てきて歌を歌う人、或いはバーモンドカレーの「リンゴとはちみつ恋をした♪」の人。
他にもヤングマンなど数々の名曲を残された方。
ヤングマンや原曲のYMCAは、今でも日ハム戦の東京ドームの5回裏で、チアとグランド整備員合同でトンボを回して踊る姿が今でも健在だし、マリーンズも昔は5回裏あたりに流していたかな。いっつもYMCAの「C」の向きが困っちゃうの。どっちだっけw
謹んで、西城秀樹さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。






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