小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

リバイバル「特急開運号」運転

2006-12-27 19:55:50 | 鉄ネタなんてどうよ?
京成電鉄 - 「特急開運号」リバイバル運転を実施します(PDFファイル)

最初これを見た時、「嘘だろおい」と、思わず口にしていたコーヒーを吹いちまった。

いや、まぢですかいこれは?

3200形で片扉の元特急車といえば、3294Fと3298Fの2本が長らく残っていて、3294Fは1988年にVVVF試作車として改造されたものの、VVVFの老朽化やら足回りの問題やらで2~3年前に廃車され、残る3298Fだけが、京成に残る唯一の片扉車として孤軍奮闘を続けていた。3294Fの廃車直前に、足回り不調で片割れの2両だけを3298Fと連結して6両で運転、足回りがしっかりしている3298Fに比べて、特にブレーキ関連が思わしくない3294Fを混ぜて運転していたため、ファンからは混ぜるな危険と揶揄され、そのくせこのオール片扉の編成が特急運用についたら、沿線はマニア共で埋め尽くされたっけなあ(笑)。

で、このリバイバル運転。
塗装も復元しようとすると、銀の飾り帯も取り付けなければならないので、塗装だけでもかなり大がかりな改造になりそうなのだが…。
これってもしかして最後の花道ですか?
可能性は大いにあるだろう。新3000形が続々デビューすれば、残る赤電グループや3500更新車を4連に組み替えればよいのだし、新3000形投入で余剰廃車へのカウントダウン…と考えれば、このイベントも納得がいく。
写真は1994年10月に、「改軌35周年記念」として、2世代前の塗装に復元された、3050形3062F。ネガプリントをそのままデジカメで撮った代物なので、写真の不出来はご勘弁を。まあ、開運号に復元される3298Fも、このような塗装に戻されますよと。腰回りはやっぱり茶色なんかね?
まあ、いくら廃車前提のイベントだからといって、昔に忠実に復元しようと思えば、冷房も行先表示幕も全部取っ払うなんてことになりかねないので、方向幕もそのまま…というのは致し方なしかと。というより、ライトが腰に付けられているので不可能なのだが、出来ることなら行先板復活щ(゜Д゜щ)カモォォォン!! 芝山千代田やちはら台をどうするか…って話があるから無理だな。失礼失礼。

しかし、開運号か…。
開運号を覚えておいでの皆さんってーのは、間違いなく30代後半以上の世代だからなあ…。
おいらが覚えているのは、青電と荷物電車だけだなあ…。
幼少の頃、親戚が京成小岩駅近くのアパートに住んでいたので、上京するたびに日暮里と小岩の間を京成によく乗っていたっけ。行き交う電車の中に、妙ちきりんな青電が走っていて、なんだこれは…と、同行していたおじいちゃんに聞いていたっけな。あるいは荷物電車だったかもしれない。間にステンレスの車輌がなかったか…なんて聞かないでくれよう。京成の荷物電車とは即ち、「行商専用列車」のことで、今もなお、片道上り1本の各駅停車の1両が、行商専用車として残っている。その列車だけ異様に混雑率が高いんだよなあ。6両なのに実質5両編成だから。
前は押上方面への列車にも残っていて、都営5300形も、行商専用車の任に当たっていた時期がある。
こちらに引っ越してきたのが1988年3月。ぎりぎり2100形が引退を前に青電塗装を施されて引退前のさよなら運転をしていた頃で、目の前で見たことはあるけれど、残念ながら乗ることはなかった。

おそらく、京成がこうしたファン向けのイベントを施すのは、先に触れた1994年のリバイバル塗装以来だろう。
3298Fは4両だから、大和田に住んでいる限り、今ではほとんど乗る機会はないんだよねえ…。千葉線や金町線を探すのもバカバカしいし。

最後に、撮影目的で当日沿線にお越しになる皆様方に一言だけ。

踏切の障害検知装置を作動させるなよ!!

先月3日の都営5200形さよなら運転の時は、撮り鉄が押上線でがっつんがっつん障検装置を作動させて、大ひんしゅくを買ったのだ。ただでさえこのところタイトなダイヤの京成。こうした防護設備を作動させれば、たちまちダイヤが崩れてくるのだから。
あと、運転士に警笛をぶっ放されないようにね。
ここのところ毎日のように、高砂駅の青砥寄りで、警笛がよく聞こえまっせ。

♪ラッパ一発ぶっ放せぇ~
♪ラッパ一発ぶっ放せぇ~

このネタが分かる人は、歳がバレます(^^;)

  
↑特急開運号(*´Д`)ハァハァ


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