事故から一夜が明けましたが、未だにこのニュースが信じられません…。
三沢さん死す…試合で頭を強打、帰らぬ人に(スポーツニッポン) - goo ニュース
実は昨日は、昼間に飲んだ鼻炎カプセルが効きすぎてくれた影響で、夕食のあとに早々に床に入っており、このニュースに気がついたには今朝方…というより未明の午前3時。
先日のカープ戦のエントリでもちらりと書いたのだけれど、人間、本当に突拍子もない一報に触れた時、とっさにはその言葉、或いは目の前に起きている事態を飲み込めないことがあります。
このニュースは、本当に混乱しました。
ネット上のどこを見ても「三沢さん死す」と書いてある。
「そんなバカな」と否定したい気持ちを持ってはいても、「ネットだしな」と思っていても、どこのポータルサイトにいっても「三沢さん死す」と書いてある。
某SNSからでも、友人から「三沢さん…」というメッセージが入ってくる。
嘘だろうと思っても、嘘だろうと思いたくても、あまりの突然の悲劇に、朝っぱらから言葉を失っております。
あれだけ受け身が上手かった三沢社長が…。
今日は家で眠っているはずの、昔の「全日本プロレス中継」や、1992年から93年頃のプロレス黄金期に、深夜に放送されていた「FULL!スポーツコレクション」の全日の過去の名勝負の映像を見ながら、亡き三沢社長を偲ぶことにしようかな。
三沢社長を生で見たのは、今年3月の武道館が最後になってしまうとは…。
写真もこんなのしか残っていなくて…。
あとは技をしっかり食らっている社長の写真しかなくて…。
三沢社長が、これまた亡きジャンボ鶴田から初ピンフォールを挙げた、1990年6月の武道館も、テレビで見て大興奮したのだけれど、馬場さん逝去後の1999年6月、分裂騒動があった中での三沢小橋戦。43分の戦いを、泣きながら武道館の1階スタンド席で観た試合は、一生忘れることはありません。
そしてノア。
辛いだろうけれど、マジで頑張れ。
一撃必殺のエルボーも、エメラルドフロウジョンも、タイガードライバー91も、もう見ることが出来ないのかと思うと、残念でなりませんし、こう書き連ねて気持ちを落ち着けようとしても、どうしても「嘘だろう」という思いで、どうしようもないのです。
コンビニや駅の売店へ行くと、今日は全紙が三沢さんが一面らしいのですが、そんな光景に触れたって、おそらく「嘘だろう」と思い続けるでしょうし、心のどこかで、ゾンビのごとくカウント2で跳ね返しては立ってくる三沢社長を、期待しているのでしょう。
ですが…。・゜・(ノД`)・゜・。
三沢社長のご冥福をお祈り致します…。
三沢さん死す…試合で頭を強打、帰らぬ人に(スポーツニッポン) - goo ニュース
プロレスリング・ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴(みさわ・みつはる)さんが13日、試合中の事故で広島市内の病院に搬送され、同日午後10時10分、死亡が確認された。46歳。三沢さんは広島グリーンアリーナ小アリーナで行われた広島大会のGHCタッグ選手権の試合中に相手選手の岩石落とし(バックドロップ)を受けて頭部を強打。心肺停止状態に陥った。搬送先の病院では集中治療室で救命処置を受けたものの、帰らぬ人となった。
まさかの事故が起こったのは午後8時半すぎだった。三沢さんは午後8時10分ごろから、潮崎豪と組んでメーンでGHCタッグ王者の斎藤彰俊、バイソン・スミスと対戦。ともに体重120キロ近い大型選手の王者組のパワーの前に苦戦を強いられていた。そして開始25分すぎに異変が起きた。時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、体を「く」の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。
三沢さんはそのまま動かなくなり、レフェリーが異変に気付き試合を止めた。その後は参戦していた佐々木健介や高山善廣ら選手たちがリングに駆けつけて「社長」と声を掛けたが、三沢さんは応じなかった。すでに呼吸をしておらず、心肺停止の可能性が高いことから観戦していた医師やトレーナーらが人工呼吸や心臓マッサージを行ったが、反応はなかった。さらに、しばらくして駆けつけた救急隊員が自動体外式除細動器(AED)で蘇生(そせい)を試みたが、心肺停止のまま広島市内の病院に搬送された。
この間、約2300人の観衆で埋まった会場は騒然とした状況になった。リングサイドのファンからは「三沢コール」がわき起こり、女性ファンの悲鳴に似た叫び声も上がった。搬送直後には、選手会長の森嶋猛がリングに上がりマイクを握って「三沢社長の状態が分かりません。選手一同無事を祈っています」などと、硬い表情で状況を説明した。
病院に到着した三沢さんは集中治療室に運ばれ、懸命な処置が施されたが、午後10時10分、帰らぬ人となった。
三沢さんは、昨年1月にも日本武道館で行われた森嶋とのGHCヘビー級タイトル戦で首を強打して病院に搬送されたことがある。また関係者によると、今年3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから「体調が悪い」と漏らしていたという。
三沢さんは81年にデビュー、全日本時代には2代目タイガーマスクとして活躍し、3冠ヘビー級王者などエースの地位を確立した。新団体のノアを設立後には社長に就任、トップ選手として活躍を続けていた。プロレス界は大きな柱を失った。
実は昨日は、昼間に飲んだ鼻炎カプセルが効きすぎてくれた影響で、夕食のあとに早々に床に入っており、このニュースに気がついたには今朝方…というより未明の午前3時。
先日のカープ戦のエントリでもちらりと書いたのだけれど、人間、本当に突拍子もない一報に触れた時、とっさにはその言葉、或いは目の前に起きている事態を飲み込めないことがあります。
このニュースは、本当に混乱しました。
ネット上のどこを見ても「三沢さん死す」と書いてある。
「そんなバカな」と否定したい気持ちを持ってはいても、「ネットだしな」と思っていても、どこのポータルサイトにいっても「三沢さん死す」と書いてある。
某SNSからでも、友人から「三沢さん…」というメッセージが入ってくる。
嘘だろうと思っても、嘘だろうと思いたくても、あまりの突然の悲劇に、朝っぱらから言葉を失っております。
あれだけ受け身が上手かった三沢社長が…。
今日は家で眠っているはずの、昔の「全日本プロレス中継」や、1992年から93年頃のプロレス黄金期に、深夜に放送されていた「FULL!スポーツコレクション」の全日の過去の名勝負の映像を見ながら、亡き三沢社長を偲ぶことにしようかな。
三沢社長を生で見たのは、今年3月の武道館が最後になってしまうとは…。
写真もこんなのしか残っていなくて…。
あとは技をしっかり食らっている社長の写真しかなくて…。
三沢社長が、これまた亡きジャンボ鶴田から初ピンフォールを挙げた、1990年6月の武道館も、テレビで見て大興奮したのだけれど、馬場さん逝去後の1999年6月、分裂騒動があった中での三沢小橋戦。43分の戦いを、泣きながら武道館の1階スタンド席で観た試合は、一生忘れることはありません。
そしてノア。
辛いだろうけれど、マジで頑張れ。
一撃必殺のエルボーも、エメラルドフロウジョンも、タイガードライバー91も、もう見ることが出来ないのかと思うと、残念でなりませんし、こう書き連ねて気持ちを落ち着けようとしても、どうしても「嘘だろう」という思いで、どうしようもないのです。
コンビニや駅の売店へ行くと、今日は全紙が三沢さんが一面らしいのですが、そんな光景に触れたって、おそらく「嘘だろう」と思い続けるでしょうし、心のどこかで、ゾンビのごとくカウント2で跳ね返しては立ってくる三沢社長を、期待しているのでしょう。
ですが…。・゜・(ノД`)・゜・。
三沢社長のご冥福をお祈り致します…。
今朝になっても信じられないよ。
実は世間を丸め込んでカウント3を奪っているのは三沢社長のような気が、今でもしていて信じられないのです。
あれから1週間しか経ってないのに…残念です。
しかし、一週間前ですか…。
残念です…。
追悼興行を行うとの噂もあります。
必ず足を運び、この目で確かめようと思います。
その時は付き合ってもらいますよ。
馬場さんの時はなんだかんだで足を運べなかったからなあ…。。。