お盆前、週末と重なった東京駅ハイウエイバス乗り場は、そりゃもう大変な盛況。
狭いバスプールに、夜行高速バスが同一便で何台も臨時バスを出して客をさばいているのだから、だんだんと客とバスを捌くのが遅れ始め、いつしかバスが出発する時点での遅れが30分以上になっていった。
本当は各地へ向かう夜行バスをさかなに一杯引っかけるつもりが、あまりの混雑ぶりにその気も失せた。
バスは東京23時50分発大阪駅行き「ドリーム大阪9号」を指定してある。つまり、東京駅から各地へ向かう夜行高速バスの最終便である。まだ2時間近くあるし、とりあえずメシでも食おうかなと、八重洲口の駅前通りを歩いて、近所にあった吉野家で豚丼を食べておく。
夜11時過ぎに、仕事を終えて駆けつけたたこすけさんと合流、とりあえず、ホームレスのおっちゃんたちが酒盛りしているその隣で一杯ひっかける。夜行高速バスが発車する場所以外だったら、そんなに混んでいないので、ちょこんと座る場所ならいくらでもある。
しかし、折りからの雷雨の影響もあるのか、夜行バスを捌くのがいまいちうまくないというのかかなり手間取っており、遅れはだんだん40分以上になってきた。夜行高速バスの入線待ちが八重洲通りを塞いでいる影響で、ほかのつくばセンター行きとか、昼行バスにまで影響を及ぼし始めている。夜行高速バスの並びは壮観だが、関係のないところでとばっちりを受けている昼行路線の利用者はさぞ迷惑だろう。この影響で、どう考えてもドリーム大阪9号の発車は日付をまたぐことになるだろう。お、12時か、まあ飲もう飲もう。たこすけさんはウイスキーの瓶をクーッと空けている。夜行バス乗り場では、未だに23時20分に発車予定のバスを案内している。
東京駅から各地へ向かう路線の最終電車も迫ってきて、構内に終電を告げるアナウンスが流れ、ホームレスもそろそろ自分たちのねぐらへ帰ろうかという、日付をまたいだ0時40分頃にようやく「ドリーム大阪9号」の案内があったので腰を上げる。
懸案だった「増3号車」は、結果はハイデッカー車だった。京阪神をつなぐドリーム号は、女性専用を除いて2階建て(ダブルデッカー)が基本なだけに、ハイデッカー車は新鮮。一説によれば、号車指定の所に「増」と書いてあればスーパーハイデッカー、何もなければダブルデッカーということらしい。
なんだかんだ言って案内がべた遅れで、バスが東京駅を発車したのは午前0時50分、この時点ですでに1時間の遅れである。でもまあ深夜だし、このまま順調にいけば、少しは遅れは取り戻せるかな…、と虎ノ門あたりを走っていた頃は思っていたのだが、この浅はかな思いは、首都高速に入ると同時に打ち破られるどころか、とんでもない仕打ちが待っていることになろうとは…。
首都高に入った時点で「霞ヶ関→池尻渋滞15キロ」。
えええええ。参ったな。お盆の入りだし週末だし…と思ったら、さらに下段。
「東名御殿場→沼津渋滞20キロ」
…(゜д゜)ハァ?
お前、ちょっと、あの、いや、あちゃー…。だって、午前1時だよ。そんな時間にこんなに混んでいるの?これはちょっと予定外…。俺としたことが…。
首都高の渋滞を抜けるのに30分くらいかかり、東名に入れば3車線だから走りは順調。ちょっとまどろみながら、最初の休憩地、足柄サービスエリアに着いたのは午前2時半。別に眠気を覚ますわけではないけれど、タバコが吸えない俺は、つい、寝ようとしているのに缶コーヒーで一息ついてしまうのだ。
さあ、一息入れてバスに戻り、バスが快調に動き出し、さあ寝ようか…と思った矢先、御殿場インターで案の定渋滞につかまる。しかもこれが動かない。見事なまでの車の列。
参ったな、こりゃ大阪に着くのは何時になるんだろ。まあ1時間くらいは遅れるかなと思っていたら、とんでもないことになりそうだ。ここで渋滞に捕まるということは、多分名古屋通過が朝になりそうで、ここでも渋滞に捕まるだろうし、大阪近辺に近づいたら、中国道の渋滞が名神にまで伸びているだろうし、全く時間が読めなくなってきた。
少々まどろんだと思ったら午前4時。窓の外を見ていたら…。
まだ沼津にも着いちゃいねえ。。。
まあ寝よう、寝よう。そのうちバスは渋滞を抜けたらしく快調に走り出し、焼津近辺で車両点検のため停車しているところでふっと起きたがまた寝る。
目が覚めたら明け方5時半。浜名湖にほど近い三ヶ日で乗務員交替のために停車している時だった。高速道路の方は順調に流れているらしい。
名古屋インターすぎまでは順調に流れてはいたが、この先でまた雲行きが怪しくなる。この先一宮まで18キロの渋滞だと。これでは本当に大阪着が何時か、読めなくなってきた。予定では12時から関西の仲間内との話し合いが予定されていたのだが、どうにもこうにも身動きが取れないので、何とか明日にしてもらえないだろうかと、関西のメンバーにメールで連絡を取り合う。
そのうちバスは予定外の、一宮にほど近いパーキングエリアに入って休憩を取ることになった。運転士の話では、間違いなく大阪着はお昼を回るとのことなので、コンビニ併設だったパーキングだったのをこれ幸い、こんな時は一服より食糧確保が第一である。とにかくメシだメシだー、メシよこせメシー、おにぎり、サンドイッチー!! 手近なものを握りしめてレジに突き出す。鉄道でもそうだが、異常時はとにかく食糧確保が第一。お昼を回るなんて、半日絶食はいくらダイエットに効果があっても御免被る。
渋滞を抜け、名神も快調に流れ出し、名神から京滋バイパスに入り、いよいよ大阪府が見えてきた天王山トンネル手前で、今度は中国道西宮山口トンネルを先頭とした40キロの渋滞に嵌ってしまう。ああ、真下に見えるJRに乗り継げば、大阪はすぐそこなのよー!!
結局渋滞を抜け、大阪市街に入ったのは午後1時。丸半日乗っていたことになる。
ここで一計を案じ、宿が新大阪で一度チョックインしていきたいから、新大阪に行くのなら、大阪駅まで行ってしまうより千里ニュータウンで降りてしまえば、北大阪急行桃山台駅が目の前だから、新大阪まで1本で行けるので、千里ニュータウンで降りてしまおう。
やっと解放されますた(泣)。
しかし、半日もバスにつきあってしまえばなんとなく親近感というか、別れるのも名残惜しいような気がしないでもない。
とにかくひとまず新大阪へ行って、ホテルにチェックインしてしまおう。
チェックインした後、地元大阪に住む観戦仲間と合流。十三でそばを食べ、阪急電車で三宮から、地下鉄で神戸スカイマークスタジアムのある総合運動公園へ。
開場の4時前後になって突然大粒の通り雨にやられ、折りたたみの傘は持ってきていたものの、二人で入っていたために半分ずぶ濡れに。風邪に気をつけなければ。試合は、ブログにも書いたとおり、花火大会にも負けぬ大花火大会。ビールを飲んで酔っぱらっていたのもあるのだけれど、何本ホームランが出たのか、現地にいながら数えられないのも道理、両手でも数えられない両チーム合計11本が乱れ飛ぶ有様。仮にもエースと言われている直行が6失点じゃあ…。
しかし、4番サブローは度肝を抜かされたな。しかも任された4番に恥じぬ活躍ぶり。ってゆーか、正直申し上げて、誰が4番を打ってもいいようなチームな気がするぞ。
1999年4月に来たときは負けていたので、これで神戸初勝利ということになる。
気分良く球場を後にして、観戦仲間と三宮で一杯引っかけて新大阪の宿へ戻る頃にはもうくたくた。バスの中でもあんまり寝ていないし…。
しかし、ブログの更新はやんなきゃいかんよなあ。
最近アクセス数が90~100あたりで推移しているから、新しい読者様を付けたのは確実で、この人たちに今後も読まれるようなブログを作らねば。
しかし眠い像…。
狭いバスプールに、夜行高速バスが同一便で何台も臨時バスを出して客をさばいているのだから、だんだんと客とバスを捌くのが遅れ始め、いつしかバスが出発する時点での遅れが30分以上になっていった。
本当は各地へ向かう夜行バスをさかなに一杯引っかけるつもりが、あまりの混雑ぶりにその気も失せた。
バスは東京23時50分発大阪駅行き「ドリーム大阪9号」を指定してある。つまり、東京駅から各地へ向かう夜行高速バスの最終便である。まだ2時間近くあるし、とりあえずメシでも食おうかなと、八重洲口の駅前通りを歩いて、近所にあった吉野家で豚丼を食べておく。
夜11時過ぎに、仕事を終えて駆けつけたたこすけさんと合流、とりあえず、ホームレスのおっちゃんたちが酒盛りしているその隣で一杯ひっかける。夜行高速バスが発車する場所以外だったら、そんなに混んでいないので、ちょこんと座る場所ならいくらでもある。
しかし、折りからの雷雨の影響もあるのか、夜行バスを捌くのがいまいちうまくないというのかかなり手間取っており、遅れはだんだん40分以上になってきた。夜行高速バスの入線待ちが八重洲通りを塞いでいる影響で、ほかのつくばセンター行きとか、昼行バスにまで影響を及ぼし始めている。夜行高速バスの並びは壮観だが、関係のないところでとばっちりを受けている昼行路線の利用者はさぞ迷惑だろう。この影響で、どう考えてもドリーム大阪9号の発車は日付をまたぐことになるだろう。お、12時か、まあ飲もう飲もう。たこすけさんはウイスキーの瓶をクーッと空けている。夜行バス乗り場では、未だに23時20分に発車予定のバスを案内している。
東京駅から各地へ向かう路線の最終電車も迫ってきて、構内に終電を告げるアナウンスが流れ、ホームレスもそろそろ自分たちのねぐらへ帰ろうかという、日付をまたいだ0時40分頃にようやく「ドリーム大阪9号」の案内があったので腰を上げる。
懸案だった「増3号車」は、結果はハイデッカー車だった。京阪神をつなぐドリーム号は、女性専用を除いて2階建て(ダブルデッカー)が基本なだけに、ハイデッカー車は新鮮。一説によれば、号車指定の所に「増」と書いてあればスーパーハイデッカー、何もなければダブルデッカーということらしい。
なんだかんだ言って案内がべた遅れで、バスが東京駅を発車したのは午前0時50分、この時点ですでに1時間の遅れである。でもまあ深夜だし、このまま順調にいけば、少しは遅れは取り戻せるかな…、と虎ノ門あたりを走っていた頃は思っていたのだが、この浅はかな思いは、首都高速に入ると同時に打ち破られるどころか、とんでもない仕打ちが待っていることになろうとは…。
首都高に入った時点で「霞ヶ関→池尻渋滞15キロ」。
えええええ。参ったな。お盆の入りだし週末だし…と思ったら、さらに下段。
「東名御殿場→沼津渋滞20キロ」
…(゜д゜)ハァ?
お前、ちょっと、あの、いや、あちゃー…。だって、午前1時だよ。そんな時間にこんなに混んでいるの?これはちょっと予定外…。俺としたことが…。
首都高の渋滞を抜けるのに30分くらいかかり、東名に入れば3車線だから走りは順調。ちょっとまどろみながら、最初の休憩地、足柄サービスエリアに着いたのは午前2時半。別に眠気を覚ますわけではないけれど、タバコが吸えない俺は、つい、寝ようとしているのに缶コーヒーで一息ついてしまうのだ。
さあ、一息入れてバスに戻り、バスが快調に動き出し、さあ寝ようか…と思った矢先、御殿場インターで案の定渋滞につかまる。しかもこれが動かない。見事なまでの車の列。
参ったな、こりゃ大阪に着くのは何時になるんだろ。まあ1時間くらいは遅れるかなと思っていたら、とんでもないことになりそうだ。ここで渋滞に捕まるということは、多分名古屋通過が朝になりそうで、ここでも渋滞に捕まるだろうし、大阪近辺に近づいたら、中国道の渋滞が名神にまで伸びているだろうし、全く時間が読めなくなってきた。
少々まどろんだと思ったら午前4時。窓の外を見ていたら…。
まだ沼津にも着いちゃいねえ。。。
まあ寝よう、寝よう。そのうちバスは渋滞を抜けたらしく快調に走り出し、焼津近辺で車両点検のため停車しているところでふっと起きたがまた寝る。
目が覚めたら明け方5時半。浜名湖にほど近い三ヶ日で乗務員交替のために停車している時だった。高速道路の方は順調に流れているらしい。
名古屋インターすぎまでは順調に流れてはいたが、この先でまた雲行きが怪しくなる。この先一宮まで18キロの渋滞だと。これでは本当に大阪着が何時か、読めなくなってきた。予定では12時から関西の仲間内との話し合いが予定されていたのだが、どうにもこうにも身動きが取れないので、何とか明日にしてもらえないだろうかと、関西のメンバーにメールで連絡を取り合う。
そのうちバスは予定外の、一宮にほど近いパーキングエリアに入って休憩を取ることになった。運転士の話では、間違いなく大阪着はお昼を回るとのことなので、コンビニ併設だったパーキングだったのをこれ幸い、こんな時は一服より食糧確保が第一である。とにかくメシだメシだー、メシよこせメシー、おにぎり、サンドイッチー!! 手近なものを握りしめてレジに突き出す。鉄道でもそうだが、異常時はとにかく食糧確保が第一。お昼を回るなんて、半日絶食はいくらダイエットに効果があっても御免被る。
渋滞を抜け、名神も快調に流れ出し、名神から京滋バイパスに入り、いよいよ大阪府が見えてきた天王山トンネル手前で、今度は中国道西宮山口トンネルを先頭とした40キロの渋滞に嵌ってしまう。ああ、真下に見えるJRに乗り継げば、大阪はすぐそこなのよー!!
結局渋滞を抜け、大阪市街に入ったのは午後1時。丸半日乗っていたことになる。
ここで一計を案じ、宿が新大阪で一度チョックインしていきたいから、新大阪に行くのなら、大阪駅まで行ってしまうより千里ニュータウンで降りてしまえば、北大阪急行桃山台駅が目の前だから、新大阪まで1本で行けるので、千里ニュータウンで降りてしまおう。
やっと解放されますた(泣)。
しかし、半日もバスにつきあってしまえばなんとなく親近感というか、別れるのも名残惜しいような気がしないでもない。
とにかくひとまず新大阪へ行って、ホテルにチェックインしてしまおう。
チェックインした後、地元大阪に住む観戦仲間と合流。十三でそばを食べ、阪急電車で三宮から、地下鉄で神戸スカイマークスタジアムのある総合運動公園へ。
開場の4時前後になって突然大粒の通り雨にやられ、折りたたみの傘は持ってきていたものの、二人で入っていたために半分ずぶ濡れに。風邪に気をつけなければ。試合は、ブログにも書いたとおり、花火大会にも負けぬ大花火大会。ビールを飲んで酔っぱらっていたのもあるのだけれど、何本ホームランが出たのか、現地にいながら数えられないのも道理、両手でも数えられない両チーム合計11本が乱れ飛ぶ有様。仮にもエースと言われている直行が6失点じゃあ…。
しかし、4番サブローは度肝を抜かされたな。しかも任された4番に恥じぬ活躍ぶり。ってゆーか、正直申し上げて、誰が4番を打ってもいいようなチームな気がするぞ。
1999年4月に来たときは負けていたので、これで神戸初勝利ということになる。
気分良く球場を後にして、観戦仲間と三宮で一杯引っかけて新大阪の宿へ戻る頃にはもうくたくた。バスの中でもあんまり寝ていないし…。
しかし、ブログの更新はやんなきゃいかんよなあ。
最近アクセス数が90~100あたりで推移しているから、新しい読者様を付けたのは確実で、この人たちに今後も読まれるようなブログを作らねば。
しかし眠い像…。
初の4番で頑張った人あり、
若いもんにゃぁ負けねぇぜとばかりに3試合HRのご老体いたりで
終わってみれば3タテでしたからそれだけが救いでしたね。
試合後にもブログの更新、頭が下がります。
ワシなんて、石川の試合後帰ってきたら書く元気もなく、無事帰ってきたことのみ書いて、詳細は次の日に…。
それにしてもアクセス数が90~100、凄いなぁ~。
まあ、珍道中というか缶詰というか、まあ無事だったし3タテだったし、よしとしますかね。
タケ様
読み手が一人でも増えると心強くなりますよ。
アクセス数が増えると書く方も緊張する(笑)。でも、それだけ読まれていると思うわけで…。
しかしあの日はへろへろでした。