ボチボチ、こうした話が出てくるような季節になりました…。
ロッテのマーフィーが帰国=プロ野球(時事通信) - goo ニュース
この時期の帰国ということは、この報道では「契約は未定」とはされているが、おそらくはもう…。
マーフィーに限らず、マリーンズに来る外人選手は総じてファンに優しい人ばかりで、手を振れば簡単に振り返してくれるし、ファンの間を平気で自転車で突っ切っていくような選手ばかり。
マーフィーも御他聞に漏れず、愛妻家の一面も持ち、ナタリー夫人と共に一つのキャラを確立した感さえある。
マツダスタジアムでのあの怪我がなければ、或いはもう少し投げられたか成績を残せたはずだろうと思うし、来季へ向けての成績も、それなりには残せたのだろうとは思うのだけれど…。
でもなあマーフィー…。
あんなヒゲでも実はまだ30なんだぞ。
あの貫禄のあるヒゲで、彼の第一印象の年齢は、いい意味でみんな跳ね上がっているはずww
もうあのヒゲと、恐妻家いやいや愛妻家の一面を持つマーフィーの姿は、見られないのだろうか。
寂しい話ではあるけれど、プロである以上残った成績が全てになってしまう。
そしてもう一つ、ベイスターズからリリースが。
2007年からマリーンズで3年間プレーし、ベイスターズに移籍していた早川「部長」が、引退することに…。
横浜・早川、今季限りで引退「自慢の足が…」 - SANSPO.COM
今年はほとんど一軍での活躍を聞く事はなかったから、ある程度は覚悟していたけれど、やはり早川も引退ですか…。
マリーンズにやってきた2007年当時。
最初はなぜ前監督が取ってきたのか、その意図はさっぱり分からなかったのだけれど、2007年4月の北九州、ブキャナンとズレータが一触即発になったのに端を発したあのあつーいプレーで、一夜にしてチーム、ファンのハートを鷲掴みにした記憶は、今でも薄れることはない。
Youtube - 早川のあつーいプレー
これだけ闘志を前面に出す選手は、当時のマリーンズには一人もいなかったということもあり(今でもいないけど(´・ω・`))、この一瞬のプレーでファンは男女訳隔てなく、早川が出しまくるアドレナリンにイチコロになった。
雨のそぼ降るマリンでローズが里崎を殴りつけたとき、ほぼ全員がホームベース上でもみ合う中、一人だけ檻ッ鉄ベンチに殴り込みをかけようとして、前年まで同僚だった平野恵一や大西、ユウキ達に懸命に止められていた姿もあったっけなあ( ̄▽ ̄;)
あの時のテレビ画面を写した写真が過去ログにも残っているけれど、檻ッ鉄に平野恵一も大西もユウキもいなくなっちゃった(´・ω・`)
4年という年月は、チームカラーも確実に変えていくものなんですな…。
人工芝なのもいとわずに打球に向かうことも数知れず、お立ち台に立てば修学旅行生に「いい夢見ろよ」と語りかけたり、おそらくは某S瀬R太氏と思われる兄ちゃんに「きつい声援を送ってくれてありがとう」などとやり返したり、頭も切れるが弁も立つ、宴会部長の名に恥じない活躍ぶり。
おそらく早川がマリーンズにトレードでやって来なければ、果たしてここまでファンの記憶に残る数々のプレーを残すことが出来ただろうか…と思うところ。
2009年限りでトレードに出されてしまったのは残念だったが、このトレードも、フロントとの政治闘争渦で、早川がホンダ出身だったので長野絡みで出されたんじゃないかとか、影ではいろいろ言われたものだった。
もちろん、そうした雑音は、早川をトレードに出した代わりにドラフトで取ってきたオギタカの大車輪の活躍を前に、「トレードに出した意味が分かった」と封印せざるを得ない状況ではあったが。
思い返せば2007年。
この年は、北九州の早川のあのプレーで、チームの士気が一変したのではなかったか。
4年前は惜しくもプレーオフ最終決戦、ダルビッシュと成瀬が投げ合うという触れ込みで、プロ野球ファンがこぞって対決を煽りまくったシーンが展開され、個人的にも負けたけれどもとても満足がいくシーズン、シリーズだったと思うのだけれど、チームが浮上していくきっかけになったのが、あの試合のあのプレーではなかったか。
おいらは今でもそう固く信じている。
あの年、マリーンズを浮上させたのは、間違いなく早川大輔のプレーだった。
あれがなければ、チームの士気が高まることも、もしかしたらなかっただろうし、2位という成績を残せたかどうかも分からない。
18日のベイスターズ本拠地最終戦では出場予定だということで、おそらくこの日は、早川部長最後の雄姿を一目見ようと、バファローズファン、マリーンズファンもこっそりながら大挙して横浜スタジアムに押しかけそうな気配である。
記録より、記憶に残る選手。
早川は、間違いなくそう言われる資格を持った選手。
最終戦の出場があるけれど、早川選手、10年間お疲れ様でした。
…で、来年は早川町の早川学習塾の塾長ですか?ww
小田原の隣の。
みかん畑に囲まれたいいところですぜww←おい
ロッテのマーフィーが帰国=プロ野球(時事通信) - goo ニュース
ロッテは6日、ビル・マーフィー投手が米国に帰国したと発表した。来季の契約は未定。昨季は12勝(6敗)を挙げたが、今季は右太もも裏の故障もあり2勝5敗、防御率3.98だった。
この時期の帰国ということは、この報道では「契約は未定」とはされているが、おそらくはもう…。
マーフィーに限らず、マリーンズに来る外人選手は総じてファンに優しい人ばかりで、手を振れば簡単に振り返してくれるし、ファンの間を平気で自転車で突っ切っていくような選手ばかり。
マーフィーも御他聞に漏れず、愛妻家の一面も持ち、ナタリー夫人と共に一つのキャラを確立した感さえある。
マツダスタジアムでのあの怪我がなければ、或いはもう少し投げられたか成績を残せたはずだろうと思うし、来季へ向けての成績も、それなりには残せたのだろうとは思うのだけれど…。
でもなあマーフィー…。
あんなヒゲでも実はまだ30なんだぞ。
あの貫禄のあるヒゲで、彼の第一印象の年齢は、いい意味でみんな跳ね上がっているはずww
もうあのヒゲと、恐妻家いやいや愛妻家の一面を持つマーフィーの姿は、見られないのだろうか。
寂しい話ではあるけれど、プロである以上残った成績が全てになってしまう。
そしてもう一つ、ベイスターズからリリースが。
2007年からマリーンズで3年間プレーし、ベイスターズに移籍していた早川「部長」が、引退することに…。
横浜・早川、今季限りで引退「自慢の足が…」 - SANSPO.COM
横浜は6日、早川大輔外野手(36)の今季限りでの現役引退を発表した。今後は未定で本拠地最終戦となる18日の中日戦に出場する予定。
立大から本田技研を経て2002年にドラフト5巡目でオリックス入り。07年からロッテに移籍し、昨年から横浜でプレーした。今季の1軍出場はなく、通算631試合で425安打、76盗塁。
早川は「自慢の足が言うことを聞かなくなった。精いっぱい取り組むことができたので満足」とのコメントを出した。(共同)
今年はほとんど一軍での活躍を聞く事はなかったから、ある程度は覚悟していたけれど、やはり早川も引退ですか…。
マリーンズにやってきた2007年当時。
最初はなぜ前監督が取ってきたのか、その意図はさっぱり分からなかったのだけれど、2007年4月の北九州、ブキャナンとズレータが一触即発になったのに端を発したあのあつーいプレーで、一夜にしてチーム、ファンのハートを鷲掴みにした記憶は、今でも薄れることはない。
Youtube - 早川のあつーいプレー
これだけ闘志を前面に出す選手は、当時のマリーンズには一人もいなかったということもあり(今でもいないけど(´・ω・`))、この一瞬のプレーでファンは男女訳隔てなく、早川が出しまくるアドレナリンにイチコロになった。
雨のそぼ降るマリンでローズが里崎を殴りつけたとき、ほぼ全員がホームベース上でもみ合う中、一人だけ檻ッ鉄ベンチに殴り込みをかけようとして、前年まで同僚だった平野恵一や大西、ユウキ達に懸命に止められていた姿もあったっけなあ( ̄▽ ̄;)
あの時のテレビ画面を写した写真が過去ログにも残っているけれど、檻ッ鉄に平野恵一も大西もユウキもいなくなっちゃった(´・ω・`)
4年という年月は、チームカラーも確実に変えていくものなんですな…。
人工芝なのもいとわずに打球に向かうことも数知れず、お立ち台に立てば修学旅行生に「いい夢見ろよ」と語りかけたり、おそらくは某S瀬R太氏と思われる兄ちゃんに「きつい声援を送ってくれてありがとう」などとやり返したり、頭も切れるが弁も立つ、宴会部長の名に恥じない活躍ぶり。
おそらく早川がマリーンズにトレードでやって来なければ、果たしてここまでファンの記憶に残る数々のプレーを残すことが出来ただろうか…と思うところ。
2009年限りでトレードに出されてしまったのは残念だったが、このトレードも、フロントとの政治闘争渦で、早川がホンダ出身だったので長野絡みで出されたんじゃないかとか、影ではいろいろ言われたものだった。
もちろん、そうした雑音は、早川をトレードに出した代わりにドラフトで取ってきたオギタカの大車輪の活躍を前に、「トレードに出した意味が分かった」と封印せざるを得ない状況ではあったが。
思い返せば2007年。
この年は、北九州の早川のあのプレーで、チームの士気が一変したのではなかったか。
4年前は惜しくもプレーオフ最終決戦、ダルビッシュと成瀬が投げ合うという触れ込みで、プロ野球ファンがこぞって対決を煽りまくったシーンが展開され、個人的にも負けたけれどもとても満足がいくシーズン、シリーズだったと思うのだけれど、チームが浮上していくきっかけになったのが、あの試合のあのプレーではなかったか。
おいらは今でもそう固く信じている。
あの年、マリーンズを浮上させたのは、間違いなく早川大輔のプレーだった。
あれがなければ、チームの士気が高まることも、もしかしたらなかっただろうし、2位という成績を残せたかどうかも分からない。
18日のベイスターズ本拠地最終戦では出場予定だということで、おそらくこの日は、早川部長最後の雄姿を一目見ようと、バファローズファン、マリーンズファンもこっそりながら大挙して横浜スタジアムに押しかけそうな気配である。
記録より、記憶に残る選手。
早川は、間違いなくそう言われる資格を持った選手。
最終戦の出場があるけれど、早川選手、10年間お疲れ様でした。
…で、来年は早川町の早川学習塾の塾長ですか?ww
小田原の隣の。
みかん畑に囲まれたいいところですぜww←おい
ららぽーとのトークショウで司会の話を全然聞いてなかったというのは覚えてます(^^;)
あらためて、このカッコよさは世界レベル。
記事読んで、
そういえば私、部長とハイタッチしたことある!
って思い出して、追記できました。
乱闘で、いちばん最初にベンチから飛び出す部長。(*´艸`*)
(私は見てないのですけど)
浦和で、トンボで素振りしてた部長(*≧m≦*)
いくらでも伝説でてくる選手、
なかなかいないですよね(^^)