今朝のローカルラジオで、札幌にある豊平館(ほうへいかん)と言う建物の設計家の話題が取り上げられていました。
考えて見ると、まだまだ未開の札幌で洋風建築物の設計は、どなたがしたのか、当時はそういう技術がない事を考えると興味深い話題でした📻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/fd/68a1faa8d6cd084c9d9afc1afca6b5a6.jpg)
拝借画像
開拓使営繕御用係の安達喜幸と言う方により設計されたそうで、西洋式のホテルは日本にほとんどなかったとの事。時計台も設計されたそうで調べて行くうちに、タイトルの”お雇い外国人”と言う馴染みのない言葉が出て来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/1b/be2865016fd2ebf5b2c79ff60a14f993.png)
拝借画像
日本の近代化に必要な西欧の先進技術や知識をあらゆる分野にもたらし、日本滞在を通して日本人に海外の生活習慣を紹介し、また反対に日本の文化を海外に紹介する役割を果たし厚遇されたとの事。
明治政府は幕府が計画していた鉄道網の建設構想を大々的に推進するために工部省を創設し、そこに大勢の技術系外国人(お雇い外国人)を雇用したそう…
成程…
明治から戦前までは、政府も外国人も日本の繁栄の礎を築くために真摯に取り組んでいた様子がうかがえる。
いい意味で雰囲気のある建築物は、外国人の手によるものだったと言うのが分かったと同時に、随所に日本の建築様式も取り入れられたと言う事も記録されていて、とても参考になりました。