以前紹介した型破り映画「ハードコア」が今
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未視聴の方は是非どうぞ。
ハードコア(R15+)吹替版
GYAO!情報より引用させていただきます。
ウィキペディア『ハードコア』ストーリー
より引用させていただきます。
近未来。主人公であるヘンリーはロシア高空に存する研究施設で目を覚ます。極度の重傷を負い、記憶を失っていた彼はエステルという自分の妻を名乗る女性によってサイボーグ手術が施され、切断された手足の修復などが行われていた。
失った声帯の修復が行われようとしていた矢先、研究所がエイカンという念力を扱える男と重武装した彼の部下たちによって襲撃され、ヘンリーはエステルと共に地上に脱出するも待ち構えていたエイカンの部下によってエステルは拉致され、自分は追われる身となる。 声帯を失っており、声すら出せず訳もわからない状況で彼はジミーという男に窮地を救われる。エイカンの部下の追撃によってジミーはすぐに死亡してしまうが直ぐに全く性格の違うジミーが現れ、ヘンリーをサポートする。
ジミーは過去にエイカンの元で働いていたがエイカンの手によって全身麻痺の後遺症が残るほどの重傷を負い、復讐のために自分のクローンを量産していたのだった。
ジミーの話でエイカンが死人をサイボーグに改造して量産することで世界を牛耳ろうと目論んでいたことを知ったヘンリーはジミーと協力し、エステルを奪回するためにエイカン一味に戦いを挑む。
映画『ハードコア』は(同ウィキペディア『ハードコア』より引用)
「全編一人称視点で作られた映画である」
「ほぼ全シーンが主人公・ヘンリーの視界として、スタントマンの頭部に固定されたGoPro Hero 3を用いて撮影されている」
「2015年、トロント国際映画祭の「ミッドナイト・マッドネス」にてプレミア上映。観客賞を受賞した」
(引用終)
この映画の
意外に深い本質
を理解するために
ゆる言語学ラジオ初期の名作
「英語は荒野行動!?日本語に「時制の一致」が要らない理由 #5 」
の学びが、画期的に役に立つ。
[メモと感想]
英語は荒野行動であり、日本語はCall of Dutyである。
日本語と英語の違いを生んだのは「神の視点」があるかどうか。
日本語はカメラを切り替えるので時制の一致が要らない。
日本語は一人称視点。自然中心的。
日本人は基本
自分を客観視することを好まない。
それが西洋的唯一絶対神を
頑固に受け付けない根底的理由だ。
英語は第三者視点。人間中心的。
西洋人は基本
唯一絶対神を喜んで受け入れる。
我が勝って、神を自分の奴隷にしがち。
(いずれにしても
人間は我欲の貪瞋痴で、
認知を汚し尽くすので、
どっちもどっちの評価になる)
以上の学びによって、
日本人には言語レベルで齟齬のない、
「ハードコア」の一人称視点描写が、
英語圏の観客には、より新鮮に感じられた
と理解できる。
ワイルド・チェリー。
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」
(過去記事統合増補編集再録)