哲学日記

架空鼎談3

キリスト者
特に、世界の中で今の日本は相対的に平和ですからね。
平和な日本の中で生きる者の多くは「このように安定した社会で、不満をいうのは贅沢だ」とも思っている。


仏教者
彼らの認識は最悪ではないが、まだ低い段階に止まったままですね。
人の世は永遠の変化のうちにあることを思わないんだから。


現実主義者
歴史的に見ても、平和で安定した時代なんてまれですしね。


仏教者
ええ、めったにない相対的安定の中で、自分に与えられた幸運な時間を、成金が遊里で金をばらまくように蕩尽してしまうのでは、せっかく人として生まれてきたチャンスがなんのかいもなく過ぎ去ってしまう。
それなら、そんな連中は人間じゃなくて、犬や猫の役回りで十分間に合ってしまうじゃないか(笑)


キリスト者
なるほど。


現実主義者
だけど、これだけは言っておきたい。
「生きてることは、ただそれだけでお祭りだ」という歌がある。
そうに違いないと思うんですよ。人間の義務とかいう前に。


キリスト者
うーん。


現実主義者
「生きるだけでお祭りだ」
だから、逆に、どう生きるべきかなんて二の次になる。


キリスト者
分かりますよ。つまり、まず生きることが大切だと…


現実主義者
そうなんです。
生きるために、どう生きるべきかも大切なのであって、どう生きるべきかのために生きてはつまらないし、どう生きるべきかのために悩んで死んだりするのは、もっとつまらない。


仏教者
それはそう。


現実主義者
だいたい若いうちから、あんたらみたいに辛気臭いことに興味を持ったら変だと思うな(笑)


仏教者
(憮然として)まあ、若いうちにしかできないことはたしかにあるよ。
しかし…一生をかけなければできないこともあるんだ。
どちらを、より大切にするか。
それは人による。



現実主義者
いや、人によるんじゃなくて…ぼくはこうだと思う。
人間、年とれば目はかすんでくる、耳は遠くなる、すべての感覚的な快感は年とともに失われてしまう。
で、この避けられない事実によって、若者は二通りの努力を平行して心がけるべきだと(笑)
若くて元気なうちだけの感覚的経験を、できるだけ積極的にすべきである。
年老いて、ないも同然のぼんやりしたものになる感覚的快感の世界を脱け出ても、なお失われない理性的で霊的な快感を手に入れるべきである。


キリスト者
あんたは快楽主義者なんですね。


現実主義者
(平然と)そうです。


キリスト者
ぼくは、このごろ思うんです。
感覚なんかいくら刺激してみてもしょうがないんじゃないかって。


現実主義者
それじゃあ、ぼくとま逆だ(笑)


キリスト者
だから、たとえば音楽を聞いても、かって心地よかったものでも、今は興味が失せたし、他の感覚的愉快すべてにも空しさをおぼえてしまうので、ほとんど楽しむことがないですね。


現実主義者
なんだかなあ、そういうのって…分からんなあ。





(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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