哲学日記

強迫神経症 気づくと常になにかよそ事を考えている

 迷中の思考はゴミだ。 

 

悟る前の人間の思考は、どんな立派そうにおもえてもすべて不浄なもので、なんの値打ちもないもの。

 

それを一言で表現すればゴミ。 

 
 おれはこの事実に対する信念が全然足りない。
 
それで人生を空費している。
 
  歩きながらでも、車を運転しながらでもヴィパッサナー実践はできるが、ヴィパッサナー実践中の思考は無価値であるだけでなく有害だ。 
 
思考はゴミという確固たる信念がなければヴィパッサナー実践は徒労に帰す。
 
  頭で理解し受け入れたつもりでも、骨身に染み付いたDNAレベルの古癖はそれを瞬時に打ち消してしまう。 
 
おれという人間は、歩いている時も、車を運転している時も、眠りに落ちつつあるときでさえも、気がつくと常になにかよそ事を考えている。 
 
自分が生きている実感を得るために、常になにか思考することが必要だと強く思いこんでいる。 
 
自分の思考になんらかの価値があると盲目的に信じている。 
 
それは強迫神経症となって、日々を空費させ続けている。
 
 さあいよいよ死ぬというその時に起きる「ああ、しまった!」の悲惨な後悔を一度は知ったはずなのに、未だにこのテイタラクから抜けられない。
 
 
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