哲学日記

二の矢を受けず(一切皆苦への至高の態度)

(雑阿含経10 闡陀経)より引用 
苦は生ずる時生じ、滅する時滅せん。 (引用終)
 
 
 
 釈尊ほどの無我の聖者といえども受苦をまぬがれることはないということだ。 ただ最初の受苦に対して一切妄想せず相手にしないだけだ。  同じ雑阿含経に
二の矢を受けない
という教えがある。 
おれは以下のように解釈する。 
人生において、失敗は避けられない。 避けられない失敗は、実はまだぜんぜん失敗ではない。一の矢 
その避けられない最初の失敗を、さらに大きな失敗になるまでなんの対策もうたず放置することだけが、本当の失敗だ。これが二の矢 
それは避けることが可能な失敗だから。 

 なんか書いてみるとあたりまえのことだけど、これがなかなか実行できない。 
しかも、「第二の矢」に関する釈尊の本当の教えは 
身受を受けても心受を受けず 
という非常に深遠な内容のものだ。 
実行には刹那の反応が必要で、おれなんかにできるものではない。 
だけど、この境地、なんとか、ちょっとだけ真似したいのだ。 
 それで、この記事では「二の矢を受けない」を、おれでもギリ実行できる程度に思い切り浅~く解釈した。
想定したのはたとえば、値上がりすると思って買った株が逆に下がったと(第一の矢)。
すぐ売るべきなのに、そのうち上がるかもしれないと思いなんの手もうたず、暴落して損をさらに大きくする(第二の矢)。
みたいな話だ。
…これちょっと浅すぎて釈尊の教えと違うかも。
(それに、おれは株も買ったことないし)
 
 
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