冷たい人、自分のことしか考えない人はいったい誰か【仏教の教え】 - YouTube
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〔聞法と感想〕
この法話に引用されてるように、漱石は「平生はみんな善人なんです。 少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」と書いた。
この指摘に対して、現代人は
「そうですけど何か問題でも」
と思考停止で居直る段階に落魄してる。
こうなると滅びは間近だ。
漱石は別のところでこうも言ってる。
「わが身が危うければどんな無理なことでもしなければなりません。
そんな無法があるものかと力んで居る人は死ぬばかりであります。だから
現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もの…」
日常人は、ほんとのことだけは絶対言わない。
そのために、ほんとのこと以外は何でも言う。
理性は、貪欲に誘惑され、説得され、結局ほとんど常に屈服する。
理性は、今や屈服した我が身を取り繕い弁護するためだけに働き、あらゆる嘘をつきまくる。
この法話で列挙されてる、ホモサピエンスの不埒な悪行三昧に対しても、やがて奴隷理性が「どれもこれも実は素晴らしい偉業なのだ」と嘘八百を破廉恥に並べ立て、みんなが感涙にむせび拍手喝采する日がやってくる。
人間は、
骨の髄からの本能的嘘つきだ。
…この
確信犯的不正直
は、人類の精一杯の知恵でもあって、ひとくちに悪だと断罪できない。
これは、
生きるための必要から善悪以前に割り出された、止むに止まれぬ命がけの大嘘だし、生命の実際は(人間といえども通常)DNAレベルのプログラムが、そのつどの刺激に対して自動反応しているだけだからだ。
しかし、厄介なことに人間には、貧弱ながら自由意志が備わってるので、他の生き物のように無罪とはならない。
ボルヘスは、人間の運命について「見知らぬ者を裁き、その者に死刑を宣言し、そののち《汝がその者なり》という啓示を聞く」と、元ナチス党員に仮託して描いた。
……身も蓋もない感想ですみません。