一昨日の書きかけ記事
「情報とは色・声・香・味・触・法ですが information はありません」
の続きです。
Stains of the mind 汚れの物語|スマナサーラ長老の初期仏教テーマトーク(23 Jan 2022 ゴータミー精舎)※再配信
〔メモと感想〕
公園にピクニックに出かけ
自然を見て美しいとおもい
気持ち良くなってしまう。
1/24 の記事
「心は物質世界の奴隷になってる(増補版)」
で、次のように書いた。
世間は雰囲気で何となく、
自然は、善心の味方で、
自然を愛でる豊かな心で悟りに近づける
とおもってるし、
「見色明心」は、
そういう意味のありがたい言葉
と受け取ってる。
しかし、
声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず。
と、見色明心を、解脱を妨げる姿勢と断じるのが
仏法だ。
世間はこの事実を嫌悪し拒絶する。
昨日記事にした映画「美しい星」で
作者は登場人物(黒木克己 1時間37分頃)に
自然が美しいのではなく、
自然を美しいと感じるんです、人間が。
しかし、その自然に人間は人間を含めない。…
この矛盾…
と語らせている。
部分的に仏智と繋がってるが、
思い付きレベルで単発的、
不十分で役に立たない。
間違った妄想的思考に陥る。
人間は常に、物欲しそうな探索意識の上で色・声・香・味・触・法を歪めて処理する宿痾がある。
無自覚でautomaticに行なうから容易に気づけない。ようやく気づいても、一切改めず本能的に居直るので、糞の役にも立たん。automaticは楽ちんだからね。
欲にまみれた自我の正当化→手放しの自我神格化までの、いつものワンパターンコースを走り切って滅びる。
「美しい星」は、そういう絶望的寓意物語だとおもう。
パティパダー巻頭法話「知識を汚す判断」
No.263(2017年1月号)
より引用させていただきます。
認識してから判断に行くなら構いませんが、最初から判断にこころを染めて認識するのが世の常です。…
おいしいもの、美しいもの、高価なもの、人気あるもの、金持ちやセレブが使うもの、ブランドの品などを探しているのです。それは「まず判断してから区別する」という区別能力の間違った使いかたなのです。結果として、自分の妄想に閉じ込められた世界で生きることになります。人生は失敗の連続になるし、不幸にも陥るのです。
(以上。引用終)
仏法は宗教ではない。
Understanding and realization
こころの汚れが現象のありさまを客観的に理解し、納得することでなくなるのだ、と釈尊が明言します。
‘‘Jānato ahaṃ, bhikkhave, passato āsavānaṃ khayaṃ vadāmi, no ajānato no apassato.
“知ることで、観ることで、汚れが滅すると私が説きます。” 「知ること、観ることがなければ、汚れが無くならない」とも説かれるので、 それは「他の方法は存在しない」という意味にもなります。
サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
59:06
Step 1 思考の整理
…
既にある 1.kāmāsavo 2.bhavāsavo 3.avijjāsavo が増幅しないように、今こころにない汚れが新たに起きないように思考するべきです。
…
世間は(このような)思考の制御はないんです。…
情報の被害者ですよ。…
ブッダは「思考の自由」を認めません。
ブッダがここから
七覚支
を具体的で実践しやすいように説く。
部分的ではなく
思い付きレベルではなく
単発的ではなく、
必要十分に
体系的に
完璧に説きつくされる。
ブッダにしかできないことだ。
こうでないと役に立たない。
結論
この七つの実践方法を完了した修行者(bhikkhu)は
Sabbāsavasaṃvarasaṃvuto 一切の漏を無くした人
Acchecchi taṇhaṃ 渇愛を切断した人
Vivattayi saṃyojanaṃ 束縛を絶った人
Sammā mānābhisamayā 正しく慢を越えた人
Antamakāsi dukkhassā 苦を終焉した人、と言われるのです。
Step 1 思考の整理
だけで、預流果に達します。
別に
質問に応じる形で、七覚支だけをダイレクトに説いた法話もあり、有益です。
七覚支 真理に達する7つのステップ|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube
(My Favorite Songs)
「夢破れて」