哲学日記

高齢者の手術についておもうこと

 2007年、当時80歳目前の母は、年相応の持病を人なみにだかえていたが、ふだんは元気でふつうに生活できていた。
しかし検診で腎臓がんが発見された。

すでに肺に転移していたが、腎臓の摘出手術をすれば、非常に稀だが肺がんも治った事例があると医者に言われた。

母とおれは悩んだすえ摘出手術を受けると決めた。


手術自体は成功したが、体調が一気に悪くなり、以後入退院を繰り返し、精神状態も著しく不安定になった。

その年の8月、病院で死亡。

 

手術は母も納得して決めたのだが、おれが反対して止めればよかった。

もし自分がこの立場ならたぶん受けないだろうと感じていたのだ。

しかしそれは言わず、母の人生は母が決めるべきだと言い、責任を引き受けることから逃げた。

結果論だが、手術は術後の母のQOLを著しく下げ、徒に寿命を縮めただけだった。

 

  数%でも助かる可能性があると医者に言われれば、患者はそれにすがってしまうものだ。
たとえ親子でも、それについてとやかく言いがたい。

おれは、母との体験から、この悩ましい事実を思い知った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs)   
笑福亭 仁鶴。
「おばちゃんのブルース」

♪ピカピカ光る床のように、汚れちゃいない人生さ♪
このフレーズが光り輝いてるね。


おばちゃんのブルース(笑福亭仁鶴)

 
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