部活動について色々と話題になっています。
部活動の改善についての考え方は、ざっくばらんに言うと、2つです。
1つは、現在の学校の活動としての位置づけを維持しつつ、改善を目指す考え方。
もう1つは、根本的に、学校の活動から部活動を切り離してしまい、地域のクラブ活動にしてしまおうという考え方。
今日は、部活動を学校の活動として残しつつ、改善を目指す考え方のうち
「地域人材にボランティアで部活動指導に参加してもらう」という手立てを提言する人たちに対して、意見します。
結論から言うと、私は大反対です。
教員が多忙化している
→さまざまな活動のうちの、部活動が大きな負担となっているようだ
→だから、教師の部活動指導の負担が減るような方法を考えよう
→地域人材にボランティアで部活動指導をしてもらえば良い!
こうゆう理論らしいですが
ナンセンスきわまりない。
ちなみに、部活動指導がとても大きな負担になるのは、今、私自身痛感していて
去年までは、やったことない競技の運動部の主顧問をやらされていたのですが
今は、基本土日祝や夏休み中は活動しない、まったり系の文化部の顧問をしています。
部活動指導に拘束される時間は圧倒的に少なく、その時間を授業準備や諸々の事務仕事に当てることができますし
何より、怪我のリスクが無いっていうのが精神衛生上すごく良いです。
話を戻します。
人手が足りないからボランティアに入ってもらおう、って発想になんでなるのでしょうか?
簡単です、金が無いんです。
いつも言ってますが、この国は教育に金を出し渋りすぎです。
もちろん、無駄遣いな部分もありますけどね。
現場が求めてないICT教材を導入し、「せっかく買ったんだから遣いなさい」などと訳のわからないことを言う役場とか……
まぁこの話は長くなるのでまた今度。
金をかけずに労働力を手に入れる方法は、そう、ボランティアを募ることです。
ボランティアに頼ることに何が問題かというと
それで新たな仕事が生じるのです。
多忙化解消化のために仕事を増やすなど、本末転倒。
どのような仕事が増えるのでしょうか。
まずは、当然ですが、ボランティアを募集する必要があります。
詳しくは書きませんけれど、「ボランティアしてやろう!」と呼びかけられた人が思うような募集をしないと意味がありません。
すなわち、工夫をする必要があります。
工夫には、手間と時間がかかります。
これは現場の教師の負担になります。
次に、誰かがボランティアに名乗りをあげてくれたら、その人とよく話し合いをしなければなりません。
学校の部活動の方針をまず理解してもらい、それに従ってもらう必要があるからです。
ここで手間を惜しむと、後々困ったことになります。
学校とボランティアの人の間で揉める可能性もあれば
ボランティアの人の指導に対して保護者が納得いかず、そのクレームを学校に言ってくるという可能性もあります。
何にせよ、みんなが不幸になるので、しっかりとお互いの認識をすりあわせなければなりません。
場合によっては、丁重にお断りする必要もあります。
すごく極端な例ですが、昔気質の
「バカヤロー!」と怒鳴りながら、すぐ頭をシバいてしまうようなタイプの指導をする人は、要りません。
そうゆうことをやる人は、学校がやめてくれと言っても「昔はこれが当たり前だった」とか「こんなだから最近の子どもは」などと持論を展開し、やめてくれません。
やめろと言ってやめてくれるような分別のある人は、そもそもこんなことをやりません。
少なくとも、現在の文部科学省はこのような指導を体罰とみなしていますので、こんな人が指導に入ったらトラブルメーカーになるだけです。
そして、そのクレーム対応は学校、もとい教師です。
あとは、もう細かいことなので、具体的には書きませんけれど
ボランティアの人に対しては、基本的に「やっていただいている」という姿勢になるので、色々と気を遣う必要が生じるのです。
もちろん、ボランティアで部活動指導をしてくださっている方すべてを否定するつもりはありませんよ。
好意でやってくださって、こちらの事情もすべてわかった上で参加してくれて、すごく助かる方もいます。
私が言いたいのは、そうゆう学校の活動に理解のある、素敵な方たちの好意を、この問題の解決にむけた突破口にしてはいけないだろう、ということです。
そうゆう人たちに巡り会えたらラッキー、くらいでいないと。
人手が必要なら、ちゃんと金を出して雇う。
それができないなら、業務を縮小する。
当たり前のことじゃないですか?
頑張って戦線を広げて、無理してそれを維持して、最終的には持ちこたえられなくなって崩壊……
どっかの国がおよそ70年前にやった失敗に似ているなと感じられて仕方がありません。
部活動の改善についての考え方は、ざっくばらんに言うと、2つです。
1つは、現在の学校の活動としての位置づけを維持しつつ、改善を目指す考え方。
もう1つは、根本的に、学校の活動から部活動を切り離してしまい、地域のクラブ活動にしてしまおうという考え方。
今日は、部活動を学校の活動として残しつつ、改善を目指す考え方のうち
「地域人材にボランティアで部活動指導に参加してもらう」という手立てを提言する人たちに対して、意見します。
結論から言うと、私は大反対です。
教員が多忙化している
→さまざまな活動のうちの、部活動が大きな負担となっているようだ
→だから、教師の部活動指導の負担が減るような方法を考えよう
→地域人材にボランティアで部活動指導をしてもらえば良い!
こうゆう理論らしいですが
ナンセンスきわまりない。
ちなみに、部活動指導がとても大きな負担になるのは、今、私自身痛感していて
去年までは、やったことない競技の運動部の主顧問をやらされていたのですが
今は、基本土日祝や夏休み中は活動しない、まったり系の文化部の顧問をしています。
部活動指導に拘束される時間は圧倒的に少なく、その時間を授業準備や諸々の事務仕事に当てることができますし
何より、怪我のリスクが無いっていうのが精神衛生上すごく良いです。
話を戻します。
人手が足りないからボランティアに入ってもらおう、って発想になんでなるのでしょうか?
簡単です、金が無いんです。
いつも言ってますが、この国は教育に金を出し渋りすぎです。
もちろん、無駄遣いな部分もありますけどね。
現場が求めてないICT教材を導入し、「せっかく買ったんだから遣いなさい」などと訳のわからないことを言う役場とか……
まぁこの話は長くなるのでまた今度。
金をかけずに労働力を手に入れる方法は、そう、ボランティアを募ることです。
ボランティアに頼ることに何が問題かというと
それで新たな仕事が生じるのです。
多忙化解消化のために仕事を増やすなど、本末転倒。
どのような仕事が増えるのでしょうか。
まずは、当然ですが、ボランティアを募集する必要があります。
詳しくは書きませんけれど、「ボランティアしてやろう!」と呼びかけられた人が思うような募集をしないと意味がありません。
すなわち、工夫をする必要があります。
工夫には、手間と時間がかかります。
これは現場の教師の負担になります。
次に、誰かがボランティアに名乗りをあげてくれたら、その人とよく話し合いをしなければなりません。
学校の部活動の方針をまず理解してもらい、それに従ってもらう必要があるからです。
ここで手間を惜しむと、後々困ったことになります。
学校とボランティアの人の間で揉める可能性もあれば
ボランティアの人の指導に対して保護者が納得いかず、そのクレームを学校に言ってくるという可能性もあります。
何にせよ、みんなが不幸になるので、しっかりとお互いの認識をすりあわせなければなりません。
場合によっては、丁重にお断りする必要もあります。
すごく極端な例ですが、昔気質の
「バカヤロー!」と怒鳴りながら、すぐ頭をシバいてしまうようなタイプの指導をする人は、要りません。
そうゆうことをやる人は、学校がやめてくれと言っても「昔はこれが当たり前だった」とか「こんなだから最近の子どもは」などと持論を展開し、やめてくれません。
やめろと言ってやめてくれるような分別のある人は、そもそもこんなことをやりません。
少なくとも、現在の文部科学省はこのような指導を体罰とみなしていますので、こんな人が指導に入ったらトラブルメーカーになるだけです。
そして、そのクレーム対応は学校、もとい教師です。
あとは、もう細かいことなので、具体的には書きませんけれど
ボランティアの人に対しては、基本的に「やっていただいている」という姿勢になるので、色々と気を遣う必要が生じるのです。
もちろん、ボランティアで部活動指導をしてくださっている方すべてを否定するつもりはありませんよ。
好意でやってくださって、こちらの事情もすべてわかった上で参加してくれて、すごく助かる方もいます。
私が言いたいのは、そうゆう学校の活動に理解のある、素敵な方たちの好意を、この問題の解決にむけた突破口にしてはいけないだろう、ということです。
そうゆう人たちに巡り会えたらラッキー、くらいでいないと。
人手が必要なら、ちゃんと金を出して雇う。
それができないなら、業務を縮小する。
当たり前のことじゃないですか?
頑張って戦線を広げて、無理してそれを維持して、最終的には持ちこたえられなくなって崩壊……
どっかの国がおよそ70年前にやった失敗に似ているなと感じられて仕方がありません。