ご無沙汰しております。
夏以降、多忙を極め、ブログどころではありませんでした。
その原因が、「GIGAスクール構想と、それにともなうタブレットの導入」です。
GIGAスクールって何?って思われた方は、これで興味を持っていただければ幸いです。
そしてこの記事を2020年の総括にかえたいと思います。
さて、突然ですが皆さんに質問です。
「電卓が普及したのだから、手計算なんてできなくて良い」
「スマホ等の機器が普及したのだから、漢字の手書きなんてできなくて良い」
この意見に賛成しますか?反対しますか?
こちらで回答して下さい。
もちろん、賛否あるでしょうが、私は賛成できません。
ある程度、手計算も手書きも、できるようになるべきです。
できる人間が、楽をするために電卓等を使うのは良いでしょう。
でも、電卓等は「できるようにならなくて良い理由」になるとは思えません。
本題。
GIGAスクール構想とは何か。
文科省は
・1人1台端末は令和の学びの 「スタンダード」
・多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、 子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質 ・ 能力を一層確実に育成できる教育ICT環境の実現へ
とうたっています。
詳しくはこちらを見て欲しいのですが
(https://www.mext.go.jp/content/20200625-mxt_syoto01-000003278_1.pdf)
要するに
やりたいことは「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、 子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質 ・ 能力を一層確実に育成すること」
その手立てとして「教師-生徒間、生徒-生徒間の双方向性を高めた学びに転換する」
それを実現するハードウェアとして「タブレット等のICT機器を導入する」
こんな感じでしょうか。
一見良いことばかりのようですが、そんなことはありません。
いくつか問題点を書いていきます。
まず、教師と子どもの負担です。
新しい、しかも今までに無い端末を使用するには、まずその機器に慣れる必要があります。
「タブレットで学びを深める」ためには、そもそも「タブレットの使い方に慣熟する」必要があるのです。
また、目的は学習です。テキトーにいじってyoutubeを見られれば良いというものではありません。
本校では、ロイロノートというソフトウェアを使って学びを深めるそうです。
(https://n.loilo.tv/ja/)
こいつの使い方も教師は指導しなければならず、子どもは修得しなければなりません。
そうしないと学びのスタート地点にたてないのです。
これは正直負担です。
そして、IDとパスワード管理も大変です。
本校の場合、子どもたちは、端末そのもののIDパスと、学習用ソフトウェア2種、計3種のIDパスの管理を求められています。
例えば、部活を禁止にしてその時間をICTに充てるとかならまだわかります。
でもそうじゃ無い。
ここで最初の質問に戻ります。
文科省は「タブレットがあるから、手計算も手書きも学ばなくて良いよ」なんて言ってません。
「従来の学習は当然大切」「部活も今まで通り頑張れ」「加えてICTもやれ!」では教師も生徒も回るわけがないと思うのです。
次の問題点は、システムの管理運用です。
目的は学習です。家で寝転がりながらyoutubeを見るのとは訳が違います。
大多数の人間が、規律を持って特定の作業をするわけです。システムエラーのリスクは排除されません。
ここで先ほど紹介した文科省のリーフレットをもう一度見て欲しいのですが
ICTシステムを管理運用保守する人間についてわずかしか触れられていないことがおわかりいただけますか。
「ICT支援員 4校に1人配置」と書いてあります。
そうです、各学校に1人、常勤の職員がいるわけではないのです。
つまり、民間の会社で言うところのシステム保守部員のような人が、学校に登用されるわけではないのです。
結果、教師というICTの門外漢が、保守運用するわけです。
もちろん市町村が契約した外部業者もいますが、学校に常駐するわけではないので、対応には時間がかかります。
実際本校では、先月、何故かいきなりフィルタリングが無力化されるという事案がありました。
その日中に改善することはありませんでした。
こんなので本当に生徒の安全を担保した学びが展開できるのでしょうか。
さらに、これに適応できない子はさらに苦しみます。
繰り返しになりますが、やりたいことはタブレットを使うことでは無く、「教師-生徒間、生徒-生徒間の双方向性を高めた学びに転換すること」なのです。
実はこれ、新学習指導要領が目指す「主体的対話的な学び」と、ほぼ同じだと思いませんか。
要は、新学習指導要領と、GIGAスクール構想、似たようなものを目指してるんです。
まあ、当たり前と言えば当たり前ですが。
そうすると、私が以前書いた「新学習指導要領による懸念」はGIGAスクール構想でブーストされるわけです。
不登校が増えないか、心配です。
文科省は、こんなサイトを立ち上げました。
StuDX Style GIGAスクール構想を浸透させ学びを豊かに変革していくカタチ
(https://oetc.jp/ict/studxstyle/)
ただ一方で、私は現場の人間として、中学生にもなって、例えば寒暖という漢字が書けなかったり、小数の割り算の筆算ができなかったりする生徒を何人も見ています。
そしてその子たちは、別に特支学級の生徒という訳でもないし、学習障害があるわけでもありません。
そんな「読み・書き・計算」で四苦八苦している子たちに、さらにタブレットを与え
「さあこれの使い方も覚えろ!それで話し合いを深めろ!」
ってのは無理がある気がしてなりません。
そして、そんな子たちを支援する支援員は、「4校に1人」です。
焼け石に水ですよね。
こんなことで、本当に「誰一人取り残すことない教育」ができるのでしょうか?私は強い疑問を感じます。
タブレットにwifiの整備……こんなことに金をかけるなら、古くて汚くて臭いトイレを改修したり、空気清浄機を買ったり、老朽化した廊下や壁を補修したり、放課後の学習補充講座を開いたりした方が優先ではないか、と思っています。
保護者の方の意見を見ると
「タブレットが導入された!すごい!」
「これでコロナがひどくなっても、オンラインで授業してもらえる!」
というようなものが散見されます。
この状況は危険です。
「タブレット」という枝葉の部分に注目するのではなく、「新学習指導要領」「GIGAスクール構想」という根幹の部分に注目し、場合によっては批判する必要があると思います。
この話題について、みなさんの意見を発信して下さい。
ご意見はこちらまで。
夏以降、多忙を極め、ブログどころではありませんでした。
その原因が、「GIGAスクール構想と、それにともなうタブレットの導入」です。
GIGAスクールって何?って思われた方は、これで興味を持っていただければ幸いです。
そしてこの記事を2020年の総括にかえたいと思います。
さて、突然ですが皆さんに質問です。
「電卓が普及したのだから、手計算なんてできなくて良い」
「スマホ等の機器が普及したのだから、漢字の手書きなんてできなくて良い」
この意見に賛成しますか?反対しますか?
こちらで回答して下さい。
もちろん、賛否あるでしょうが、私は賛成できません。
ある程度、手計算も手書きも、できるようになるべきです。
できる人間が、楽をするために電卓等を使うのは良いでしょう。
でも、電卓等は「できるようにならなくて良い理由」になるとは思えません。
本題。
GIGAスクール構想とは何か。
文科省は
・1人1台端末は令和の学びの 「スタンダード」
・多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、 子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質 ・ 能力を一層確実に育成できる教育ICT環境の実現へ
とうたっています。
詳しくはこちらを見て欲しいのですが
(https://www.mext.go.jp/content/20200625-mxt_syoto01-000003278_1.pdf)
要するに
やりたいことは「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、 子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質 ・ 能力を一層確実に育成すること」
その手立てとして「教師-生徒間、生徒-生徒間の双方向性を高めた学びに転換する」
それを実現するハードウェアとして「タブレット等のICT機器を導入する」
こんな感じでしょうか。
一見良いことばかりのようですが、そんなことはありません。
いくつか問題点を書いていきます。
まず、教師と子どもの負担です。
新しい、しかも今までに無い端末を使用するには、まずその機器に慣れる必要があります。
「タブレットで学びを深める」ためには、そもそも「タブレットの使い方に慣熟する」必要があるのです。
また、目的は学習です。テキトーにいじってyoutubeを見られれば良いというものではありません。
本校では、ロイロノートというソフトウェアを使って学びを深めるそうです。
(https://n.loilo.tv/ja/)
こいつの使い方も教師は指導しなければならず、子どもは修得しなければなりません。
そうしないと学びのスタート地点にたてないのです。
これは正直負担です。
そして、IDとパスワード管理も大変です。
本校の場合、子どもたちは、端末そのもののIDパスと、学習用ソフトウェア2種、計3種のIDパスの管理を求められています。
例えば、部活を禁止にしてその時間をICTに充てるとかならまだわかります。
でもそうじゃ無い。
ここで最初の質問に戻ります。
文科省は「タブレットがあるから、手計算も手書きも学ばなくて良いよ」なんて言ってません。
「従来の学習は当然大切」「部活も今まで通り頑張れ」「加えてICTもやれ!」では教師も生徒も回るわけがないと思うのです。
次の問題点は、システムの管理運用です。
目的は学習です。家で寝転がりながらyoutubeを見るのとは訳が違います。
大多数の人間が、規律を持って特定の作業をするわけです。システムエラーのリスクは排除されません。
ここで先ほど紹介した文科省のリーフレットをもう一度見て欲しいのですが
ICTシステムを管理運用保守する人間についてわずかしか触れられていないことがおわかりいただけますか。
「ICT支援員 4校に1人配置」と書いてあります。
そうです、各学校に1人、常勤の職員がいるわけではないのです。
つまり、民間の会社で言うところのシステム保守部員のような人が、学校に登用されるわけではないのです。
結果、教師というICTの門外漢が、保守運用するわけです。
もちろん市町村が契約した外部業者もいますが、学校に常駐するわけではないので、対応には時間がかかります。
実際本校では、先月、何故かいきなりフィルタリングが無力化されるという事案がありました。
その日中に改善することはありませんでした。
こんなので本当に生徒の安全を担保した学びが展開できるのでしょうか。
さらに、これに適応できない子はさらに苦しみます。
繰り返しになりますが、やりたいことはタブレットを使うことでは無く、「教師-生徒間、生徒-生徒間の双方向性を高めた学びに転換すること」なのです。
実はこれ、新学習指導要領が目指す「主体的対話的な学び」と、ほぼ同じだと思いませんか。
要は、新学習指導要領と、GIGAスクール構想、似たようなものを目指してるんです。
まあ、当たり前と言えば当たり前ですが。
そうすると、私が以前書いた「新学習指導要領による懸念」はGIGAスクール構想でブーストされるわけです。
不登校が増えないか、心配です。
文科省は、こんなサイトを立ち上げました。
StuDX Style GIGAスクール構想を浸透させ学びを豊かに変革していくカタチ
(https://oetc.jp/ict/studxstyle/)
ただ一方で、私は現場の人間として、中学生にもなって、例えば寒暖という漢字が書けなかったり、小数の割り算の筆算ができなかったりする生徒を何人も見ています。
そしてその子たちは、別に特支学級の生徒という訳でもないし、学習障害があるわけでもありません。
そんな「読み・書き・計算」で四苦八苦している子たちに、さらにタブレットを与え
「さあこれの使い方も覚えろ!それで話し合いを深めろ!」
ってのは無理がある気がしてなりません。
そして、そんな子たちを支援する支援員は、「4校に1人」です。
焼け石に水ですよね。
こんなことで、本当に「誰一人取り残すことない教育」ができるのでしょうか?私は強い疑問を感じます。
タブレットにwifiの整備……こんなことに金をかけるなら、古くて汚くて臭いトイレを改修したり、空気清浄機を買ったり、老朽化した廊下や壁を補修したり、放課後の学習補充講座を開いたりした方が優先ではないか、と思っています。
保護者の方の意見を見ると
「タブレットが導入された!すごい!」
「これでコロナがひどくなっても、オンラインで授業してもらえる!」
というようなものが散見されます。
この状況は危険です。
「タブレット」という枝葉の部分に注目するのではなく、「新学習指導要領」「GIGAスクール構想」という根幹の部分に注目し、場合によっては批判する必要があると思います。
この話題について、みなさんの意見を発信して下さい。
ご意見はこちらまで。