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東日本大震災【宮城県石巻、仙台空港の地下に幽霊】テレビじゃ伝えない被災地。

2013-03-14 10:33:01 | 東日本大震災
東日本大震災【宮城県石巻、仙台空港の地下に幽霊】テレビじゃ伝えない被災地。

☆石巻の被災地、幽霊騒動が頻発しています【テレビじゃ伝えない被災地】

☆3・11東日本大震災【仙台空港の地下に幽霊】
幼稚園児、父兄が目撃。。黒い着物と、白い着物を着た。。

3・11津波【みんなもっと逃げられた】巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大 !! 今日の驚き
http://kimito39.at.webry.info/201303/article_47.html

happyluckyのブログより
………………………………………

3・11東日本大震災【仙台空港の地下に幽霊】
幼稚園児、父兄が目撃 黒い着物と、白い着物を着た


【仙台空港の地下に幽霊】★幼稚園児、父兄が目撃★

東日本大震災で、被害甚大だった仙台空港の地下。

幼稚園の保育士さんに、聞いた話です。

見学で仙台空港に行った、2012年も春。。

子供たちが、、【黒い着物と、白い着物を着た人が、いっぱいいる、と】

付き添う父兄たちも、口々に。。。。

成仏出来ない人たちか!?

亡くなった事が、まだ、分からない人たちか!?

2012・9・11で、震災から、1年6か月。。復興も、想像以上に厳しい被災地。

福島原発事故被災者も含めて、30数万人以上が、避難生活。

2012・9・12happyluckyのブログより
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11353007347.html

最近の石巻の被災地、幽霊騒動が頻発しています【テレビじゃ伝えない被災地】

2012/09/11

★最近の石巻の被災地、幽霊騒動が頻発しています
★ 【テレビじゃ伝えない被災地】

★全く人の住んでいない南浜町、門脇町なんですが、
タクシーの運ちゃんが夜に客を拾うと 、
「南浜町まで。」なんて事も多い様です。

★その事を問うと、「私死んだんですか?」なんて聞かれるたりも・・・・。

★真夏の頃から、何故か冬物のジャンバーを来ている人が歩いていたとか、
★復活した冷凍食品の加工会社にある休憩室に
★子供が遊んでいたとか言う話を耳にする様になりました 。

※東日本大震災から、今日、2012年9月11日で、
1年6か月。進んでいない復興。

まだ、行方不明のままの方々も、たくさんおられます。
沢山の方々犠牲になった宮城県石巻市、この記事は真実と感じます。

……………………………

【テレビじゃ伝えない被災地】

最近の石巻の被災地はと言うと、
ちょっと紅白の長渕剛の時にも触れましたが、幽霊騒動が頻発しています。

全く人の住んでいない南浜町、門脇町なんですが、
タクシーの運ちゃんが夜に客を拾うと 、
「南浜町まで。」なんて事も多い様です。

その事を問うと、「私死んだんですか?」なんて聞かれるたりも・・・・。

そして、海岸沿いの瓦礫置場には管理人が24時間立っているんですが、
夜間の当番の際には色んな物が見え過ぎて、
とてもじゃないけど怖くてやってられず、 夜間閉鎖の現場が多いとか。

全く更地に近い見通しの良い門脇の道。

「人をひいた。」との事故が頻発しているが、
被害者は全くいなかったりして、 あまりにも多発するので、
日和大橋と言う橋が夜間通行止めになっているとの噂です。

見えない者達が本当にいるとすれば、確実にこの地区には大勢いるんでしょう ね?

真夏の頃から、何故か冬物のジャンバーを来ている人が歩いていたとか、

復活した冷凍食品の加工会社にある休憩室に
子供が遊んでいたとか言う話を耳にする様になりました 。

南浜町に住んでいた自分としては、叔父や叔母もいまだに見付からず、
そうして出てきていると思うと 他人はともかく、
身内に関しては怖いと言うより会いたいと言う気持ちすらありま す。

今でもたまに遺体が出てきているけど、
おんちゃん達、どこに行ったんだかなぁ・・・・。

今やデジカメを向けると、無数の顔認識が表示されると言われる我が故郷。

現時点で、こんな事は絶対にメディアに乗る訳も有りません。

震災当時考えていたのは、「生きてて良かった。」
「これからどうしよう?」 「家の片付け。」
「身内や仲間の安否。」なんて事ばっかりで、
幽霊がどうのなんて考えもせず 、
真っ暗になるまで被災現場にいたりしていました。

子供の頃にあんなに怖かったお墓だって、そんな意識で見ずに、
倒れた墓石を散らばった瓦礫同様に「 済みませんねぇ。」
なんて心で言いながら踏んづけて歩きました。

考え方を変えれば、不謹慎な言い方ですが、
みんな気持ちや生活が落ち着いてきて、
こんな事を意識できる様になったと言う事かも知れません。

都市計画もボンヤリとした状態で、
今後どうなるかなんてわかる訳も無いんですが、
こんな事態の中、 必死に生きている石巻の住民。

震災で感じたのは、やはり自分の根ざす所は
この石巻以外には考えられないと言う事で す。

今後どうなるか、
自分の思う石巻とこれから子供達の見る石巻は
全く異なった形になるんでしょうね?

頑張れ石巻!!

45CLUBトライアンフ乗りの日記より
(2012・1・11)
http://blogs.yahoo.co.jp/s45club/8170214.htm

happyluckyのブログより
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11351807816.html?

★★★★★★★★

事故直後、政府は福島県に40万人の避難を打診していたが、福島県は拒絶!福島県知事ら=東電だ!
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/b607eeb25b4d3345aae3d7ec1a202b3a

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みんなで南三陸観光に行きましょう!!『 伊勢みずほと行く・新潟出発の東北応援ツアー』

2013-03-13 20:40:41 | 東日本大震災
みんなで南三陸観光に行きましょう!!『 伊勢みずほと行く・新潟出発の東北応援ツアー』

☆南三陸はもともと観光地なんです。 南三陸はお客さんを待っています!!
☆東北応援ツアーが、県外など全国に広がればと。。

伊勢みずほのオフィシャルブログ
2013/03/11より
………………………………………………

■みんなで南三陸観光に行きましょう!!

実は。。。

念願だった新潟出発の東北応援ツアーが

開催決定しましたーーーーー

「伊勢みずほと行く 被災地応援バスツアー」(仮題)

情報オープンになったので、お知らせさせていただきます。

バスの名前は「しあわせの種号」。
BSN本社発で南 三陸を中心に被災地を回ります。
今回のバスは1ヶ月か2ヶ月に1回 の
定期バスを目指すモニターツアーです。
BSNとくれよ んのコラボ企画です。

宮城県の南三陸や気仙沼などを巡って
被災地の今を見たりお話もしっかりきく!!

そして!!

美味しいものをいただき! お土産ショッピングも楽しんで!

夜は私が再三オススメしている
ホテル観洋で海が見える温泉にどっぷりんこ!!

もともと観光地なんです。 南三陸はお客さんを待っています!!

行きましょう!!

■2013年 4月13日(土)~14日(日) 一泊二日
■行き先は 主に宮城県の沿岸地域
■大人お一人様 19800円 (4~5名一室利用の場合。
3名1室はお一人様4,0 00円増し、2名1室は6,000円増し)

■最小定員25名

料金を抑えるため、昼食は自由食です^^

詳しくはFacebookをご覧ください。
http://www.facebook.com/mizuho.ise.1#!/events/145214365645611/

お問い合わせや お申し込みなのですが。。。

3月14日から受付開始です!!

今週木曜日からです!

新潟交通くれよん万代 025-241-1116

是非! ご家族やお友達、お仕事仲間で!
ご検討のほどよろしくお願いいたします

伊勢みずほのオフィシャルブログ
2013/03/11より
http://s.ameblo.jp/isemizufo/entry-11486953700.html
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3・11津波【みんなもっと逃げられた】巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!

2013-03-13 17:55:23 | 東日本大震災
3・11津波【みんなもっと逃げられた】巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!

東日本大震災で無念の命を落とされた無念の御霊に代わって。。

3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著

☆「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」

☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。
☆津波襲来は近年中に起こる
☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。


歴史学者 飯沼勇義著
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」

さらに、国では

☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、
☆津波の危険性が認識されていたと指摘。

その他、多くの専門家、研究者が予想、警告を
国や地方自治体に警告、訴えていました。

甚大な津波被害にあった宮城県石巻の
私の知人の親類は皆、逃げられました。

知っていたからです。。親類の地震研究者から

『宮城県に近く巨大地震が来る可能性がある
必ず大津波が来るから、すぐ逃げろ』

その人は学者さんですが、専門外で個人的研究で
地層など調べ、警告していたのです。

その親類達は、少し馬鹿にしていましたが
『すぐ逃げろ』が頭に残っていて、
すぐ逃げ、全員、その石巻の知人、親戚は無事だったのです。

宮城県、仙台市も、そして国も東電
原発ムラの経済優先、人命無視の政策が
多くの警告、訴えが、庶民に、隠された。
ちなみに、宮城県には女川原発があります。

国、地方自治体が、少しでも巨大地震の可能性と
【津波が来る、逃げろ】!!と、公表していれば、、。

3・11 【みんなもっと逃げられた!!】
巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!



東日本大震災で無念の命を落とされた数万の御霊に代わって。。


3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著|happyluckyのブログ
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11488668081.html

3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」
1995年、 歴史学者 飯沼勇義著

☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。

☆津波襲来は近年中に起こる

☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。

☆平成6年(1995年)9月、私、飯沼勇義は
☆「仙台平野の歴史津波」の著書をまとめ、 全国発売した。

☆著述した要点は、仙台沿岸は歴史津波によると
☆津波の常襲地帯であるということ。

☆この津波は大規模津波となって仙台沿岸を襲うことになる。
☆波高は 十数メートルを超える事になる。

☆背後に山地を抱えている三陸地方と違い、
☆仙台平野に巨大津波が襲ってきたら逃げ場がないので
☆急いで高台を作る必要がある。

☆しかし、中央防災会議の委員の先生、地元の地震、津波の学者さん、
☆行政側 の方々・・・すべての専門家、防災対応すべき人たちに、
☆この本の記述は虚構だといわれ、無視されてきた。

☆然るに平成23年(2011年)3月11日、私の進言もむなしく、
☆遂に東日本大震災が起こってしまった。
☆甚大な被害については周知のところである。

さらに、国、原発ムラでも。。

☆津波による全電源喪失の危険性は
☆遅くとも二〇〇六年までに把握されており
☆「必要な行政指導や改善・停止命令を怠った」と、
☆国に瑕疵(かし)があったと断じている。

☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、津波の危険性が認識されていたと指摘。

☆2006年には原子力安全・保安院(当時)が
☆中心となった勉強会に、東電も参加し

☆「福島第一原発事故の津波に匹敵する津波想定などの
☆危険性が示されている」と、「想定外」の主張を否定している。

☆国策として原子力政策を進めてきた国に対し、
☆原発建設の差し止めなどを求める訴訟はあったが、
☆国の主張は「安全神話」に守られ続けてきた。

「福島返せ」1650人国を提訴 原発事故、東電も【空間放射線量を事故前と同じ状態に戻せ】|happyluckyのブログ |Ameba (アメーバ)
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11488232034.html

★★★★★★★★★

「仙台平野に巨大津波」1995年に警告本 仙台の郷土史家

河北新報2011年4月5日(火)
……………………………………

飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに
打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師
=仙台市太白区長町4丁目

「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
16年前に警告を発していた郷土史家がいる。

津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた
仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。

東日本大震災の大津波を目の当たりにし、
「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんは元公立学校教諭。
教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、
仙台平野を襲った過去の巨大 津波を研究してきた。

869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。
1611年の慶長津波でも 仙台平野は一帯が冠水。

津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、
薬師如来をまつる 「蛸薬師」の由来にもなった。

飯沼さんは「仙台平野は180~200年の周期で大津波が起きている。

次の大津波は、いつ来て もおかしくない」と警告していた。

1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、
防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。

95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」
(宝文堂)を出版した。

飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で
仙台の沿岸に大きな津波は来ない、と いう根拠のない安心感が、
行政にも住民にもあった」と振り返る。

震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、
インターネットには「津波を予言した内容」と いう書き込みも見られる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。
身を寄せる避難所 で飯沼さんは
「歴史は繰り返す。震災を教訓に、
津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。
(神田一道)

作成者 しばけん

河北新報 2011年4月5日(火)
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/asaonet/view/20110405/1302006719
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3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著

2013-03-12 09:51:45 | 東日本大震災
3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著

歴史学者 飯沼勇義著
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」復刻版販売

☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。

☆津波襲来は近年中に起こる

☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。

☆平成6年(1995年)9月、私、飯沼勇義は
☆「仙台平野の歴史津波」の著書をまとめ、 全国発売した。

☆著述した要点は、仙台沿岸は歴史津波によると
☆津波の常襲地帯であるということ。

☆この津波は大規模津波となって仙台沿岸を襲うことになる。
☆波高は 十数メートルを超える事になる。

☆背後に山地を抱えている三陸地方と違い、
☆仙台平野に巨大津波が襲ってきたら逃げ場がないので
☆急いで高台を作る必要がある。

☆しかし、中央防災会議の委員の先生、地元の地震、津波の学者さん、
☆行政側 の方々・・・すべての専門家、防災対応すべき人たちに、
☆この本の記述は虚構だといわれ、無視されてきた。

☆然るに平成23年(2011年)3月11日、私の進言もむなしく、
☆遂に東日本大震災が起こってしまった。
☆甚大な被害については周知のところである。






本田印刷株式会社より 平成23年12月
…………………………………………………

歴史から学ぶ津波の予言 「著者が伝える歴史津波の真実」

歴史学者 飯沼勇義著
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」復刻版販売

エフエムたいはく「しらかしの詩2」3.11からの…1年に紹介記事が載りました。
(PDF 4ページ)

歴史津波早分かり! 著者飯沼先生書下ろしダイジェスト版です
「仙台平野の歴史津波」を読む人も読まない人もぜひご一読ください。

1. 縄文時代には地震のことを「国揺」くにゆりと言い、
津波のことは「龍浪」たつな みと言っていた。

2. 何故、縄文時代の遺跡地はこの大津波の被災から逃れる事が出来たか。
縄文時代に も何度も大津波に見舞われたが、
それに打ち勝つ知恵と苦難があったのである。

3. 縄文の神とは一体何か。縄文の神とは、元来、「人」である。
人が学ぶ事で超人にな り、やがて神格化され、
次第に有形の人間が無形の人間となって「神」となる。

この過程に、人間の営みすべてを一瞬にして破壊する
津波の存在を切り離して考える事 はできない。

日本人の精神世界の形成に津波が大きな影響を与えてきた。
現世の人々は、こうした無形となった神の存在は
科学でないと否定してきたが、
津波で肉 親を失った人が手を合わせ祈る姿に
神への願いや想いがないといえるだろうか。

4. 東日本大震災のような巨大地震と大規模津波は
縄文時代から何十回も繰り返されて きた。

こうした、歴史津波があったこと、
少なくとも1000年間の歴史津波の実態を 知っていたならば、
ある程度の災害を未然に防ぐ事は出来た筈だった。

5. 自然科学の研究、地震、津波の学者は歴史津波を無視し、
明治三陸津波を参考ベー スにして、三陸地方を重点に津波対策を論じてきた。

石巻以南の仙台沿岸の南域は、津波があっても1~2メートルだといって、
行政側を指導してきたため、国の中央防災会議は
津波についての対策を三陸地方に重点をおいて実施してきた。

6. 平成6年(1995年)9月、私、飯沼勇義は
「仙台平野の歴史津波」の著書をまとめ、 全国発売した。

著述した要点は、仙台沿岸は歴史津波によると
津波の常襲地帯であるということ。

この津波は大規模津波となって仙台沿岸を襲うことになる。
波高は 十数メートルを超える事になる。

背後に山地を抱えている三陸地方と違い、
仙台平野に巨大津波が襲ってきたら逃げ場がないので
急いで高台を作る必要がある。

その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。

しかし、中央防災会議の委員の先生、地元の地震、津波の学者さん、
行政側 の方々・・・すべての専門家、防災対応すべき人たちに、
この本の記述は虚構だといわれ、無視されてきた。

然るに平成23年(2011年)3月11日、私の進言もむなしく、
遂に東日本大震災が起こってしまった。
甚大な被害については周知のところであ る。

7. 震災後、私は被災したが命は助かった。
そして今16年前に書いたこの本が見直 され てきた。
どうしてこの津波を予告する事ができたのか、
全国各地から問い合わせが きている。

8. これまでの歴史は或る特定の事件を取り上げて検証し、
遺跡地の発掘から得た検証 などを構成したものが主流だった。
しかし、全く逆の方向からの研究をおこなった のである。
地方に残された書かれていない歴史叙述、
つまり「空白の歴史」から得る研究である。

9. 或る時代で特定の地域から突然、人がいなくなったのはなぜか。
人間の大量死、集団移転、植物も育たない大地となってしまったのは・・・。

10. この空白の時代をもたらしたのは大規模津波だったのである。
大規模津波が定期的 に襲来してきた
歴史を克明に研究する学問を「歴史津波学」という。

拙著「仙台平野の歴史津波」は歴史津波学の原点といえる。

特定の地震について調べるのではなく、
長い期間にわたる規則性に着目して研究する事で
今回の震災を予見するに至ったので ある。

11. 東日本大震災以前から歴史津波の重要性について
指示提唱してきた偉大な歴史・地理 を専門とする学者先生方をここに紹介したい。

入間田 宣夫 (いるまだ のぶお)先生 東北大学名誉教授
・山形芸術工科大学院長・全大学文化研究センター所長
「平泉の文化遺産」世界遺産登録推薦書作成委員会委員。 NHK大河ドラマ「炎立つ」の監修

平川 新(ひらかわ あらた)先生
東北大学教授・東北大学防災科学研究拠点代表・
東北アジア研究センター
「1611慶長地震津波400周年シンポジウム」開催の主宰代表

宮原育子(みやはら いくこ)先生
東京大学大学院理学部博士課程終了
宮城大学事業構想学部事業計画学科教授 地域連携センター副センター長
地域交流事業・地域資源論の研究

蝦名 裕一(えびなゆういち)先生
東北大学東北アジア研究センター教育研究 国際文化博士
「1611年慶長地震津波400周年シンポジウム」における講演者
演題は“1611年慶長奥州地震津波を読み直す”

平成23年12月 飯沼 勇義

本田印刷株式会社より
http://www.hondainsatsu.co.jp/pg113.html






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原発 福島に負の連鎖 県外避難5万7000人【東京新聞、原発関連死】

2013-03-11 15:46:09 | 東日本大震災
原発 福島に負の連鎖 県外避難5万7000人【東京新聞、原発関連死】

☆避難生活だけが関連死の原因ではない。
☆復興庁の分析では、
☆原発事故のストレスによる肉体的・精神的負担などが、
☆死と直結する人も福島県に三十三人いた。

☆死亡にいたる経過として
☆「原子力災害により心身ともに著しいストレスを受けた」
☆「放射能の 不安、今後の家族を心配しつつ体調悪化」などの例を挙げている。

☆<取材班から>「原発事故死ゼロ」は本当か

☆震災の避難生活で体調を崩すなどして死亡した場合、震災関連死と認められる。
☆ならば、「震災の避難生活」を「原発事故の避難生活」と言い換えれば、
☆「原発関連死」と定義できるのではないか。
☆こうした考えから、今回の取材は始まった。

原発関連死789人 避難長期化、ストレス 福島県内本紙集計【原発事故は、収束していない】
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/06011f0abb71f6fc7ab7e63254ac1039

image

東京新聞 2013年3月11日 朝刊
…………………………………………………………

■原発 福島に負の連鎖 県外避難5万7000人

image

東日本大震災による震災関連死は
福島、宮城、岩手の被災三県で二千五百 五十四人が認定され、
その半数以上となる千三百三十七人を福島が占める。

背景には、原発事故で膨れ上がった避難者数と避難の長期化がある。

「原発事故は避難者の分母が大きいから関連死という分子も増える。
さらに元の家に戻って生活再建ができないところにも厳しさがある」。

福島県避難者支援課の原田浩幸主幹は、県内の関連死が多い理由を分析する。

復興庁がまとめた二月現在の避難者数は、
宮城の十一万七千人、岩手四万二千人に 対し、福島は十五万四千人。
宮城、岩手は県内での避難が大半だが、
福島は五万七千人が県外に避難し慣れない生活を送っている。

復興庁は二〇一二年三月までに震災関連死した千二百六十三人の抽出調査をしてい る。
九割が六十六歳以上で、災害弱者に大きなしわ寄せが生じたことを物語る。

浪江町の佐藤良樹福祉こども課主幹は
「病院をたらい回しされたり、施設機能が止まった病院で
数日間とどまることを余儀なくされたりした人もいたようだ」と明かす。

南相馬市は県内で医療・介護の中核施設が多く、
入院患者千六十七人と六百七十 九人の施設入所者がいた。
津波被害でいったん市内に避難した後、
原発事故で市外避難を迫られた人も多く、
長距離移動が死期を早める原因となった。

ある町では、介護の必要な両親を抱え、
震災後の食料不足に悩んでいた男性が、
原発事故で栃木県に退避。避難所に到着と同時に急死した。
担当者は「原因は震災と原発が半分ずつ」と指摘する。

避難生活だけが関連死の原因ではない。
復興庁の分析では、
原発事故のストレスによる肉体的・精神的負担などが、
死と直結する人も福島県に三十三人いた。

死亡にいたる経過として
「原子力災害により心身ともに著しいストレスを受けた」
「放射能の 不安、今後の家族を心配しつつ体調悪化」などの例を挙げている。

<取材班から>「原発事故死ゼロ」は本当か

震災の避難生活で体調を崩すなどして死亡した場合、震災関連死と認められる。
ならば、「震災の避難生活」を「原発事故の避難生活」と言い換えれば、
「原発関連死」と定義できるのではないか。
こうした考えから、今回の取材は始まった。

福島、宮城、岩手の三県で、津波や建物倒壊などの
直接的な原因で亡くなった人数 の中に占める福島の人の割合は10%。

ところが、震災関連死となると52%に跳ね 上がる。
この数字の異常さこそ、原発事故の恐ろしさを示している。
放射能で身体をむしばまれる死だけが、「原発事故による死」ではない。

今回、関連死とした死のほかにも、原発にかかわる死はある。

二〇一一年七月、福 島で二人が自殺した。
「避難中の自殺は原発事故が原因」として、
東電相手に損害賠 償請求訴訟を起こしているそれぞれの遺族は、
関連死の認定を申請していない。

遺族の代理人は取材に「(弔慰金が支給される)関連死認定なんて意味はない。
金の問題じゃなく、
なぜ死ななければならなかったのか問うているんだ」と語った。

この二つの死は、本紙調べの七百八十九という数字に積み上げられていない。

「原発事故で死者はいない」とする人たちが見つめようとしない多くの死。
その重さを考えることなく、原発は必要か、という問いに答えを出すことはできない。

(飯田孝幸)

image

東京新聞 2013年3月11日 より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031102000137.html
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3・11東日本大震災の2日前の3月9日も宮城に震度5弱の地震がありました。

2013-03-09 11:04:03 | 東日本大震災
3・11東日本大震災の2日前の3月9日も宮城に震度5弱の地震がありました。

あの日の2日前、3月9日の震度5弱の地震の事は
あまり知られていませんが、、

3・11の予兆現象だったのでしょうか?!!



3・11東日本大震災「岩手日報」の画像です。



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石巻で撮ったのは片方の幼児用ズック靴【悲惨な光景にレンズを向けることができず・・ 】写真家六田知弘

2013-03-06 17:00:58 | 東日本大震災
石巻で撮ったのは片方の幼児用ズック靴【悲惨な光景にレンズを向けることができず・・ 】写真家六田知弘

3・11東日本大震災から、もうすぐ1年・・・

☆失われた命を、家を、ふるさとを追慕する祈りの一葉一葉。

☆六田さんは「 モノには、被災者の魂がこもっている」と言う。



第2ホール特別催事 六田知弘写真展「3.11 時のイコン 東日本大震災の記憶」


河北新報/河北春秋 2013年03月06日より
………………………………………………………

東日本大震災から3週間後、写真家六田知弘さん(56)は、
仙台市の荒浜地区に入っ た。

悲惨な光景にレンズを向けることができず、東京に帰った。

9カ月後、再び被災地に 立った際、発見があった。

▼地面に目をやると、津波にのまれたものが散乱していた。

「『 この世に存在していたことを記録しておいて』と訴えているようだった」。

白紙の上に載せ、夢中でシャッターを切った

▼石巻で撮ったのは片方の幼児用ズック靴。
地面からは雑草が力強く生えていた。
ボロボロの教科書や折れ曲がったフォーク、
朽ち果てる寸前の空き缶もあった。

▼これまで、世 界各地の仏像や仏教遺跡を撮影してきた。
追求してきたテーマは堆積した時間の重さ。

被災地に残されていたモノにも、人と共にあった記憶が眠っていた。
「がれき」などではなかった

▼『時のイコン』と名付けた写真展がきのう、
東京・丸の内の相田みつを美術館で始まった。

被災3県に何度も足を運んで撮り続けた約50点を展示。
無機的なはずの遺物が、 物語を奏でる。

▼失われた命を、家を、ふるさとを追慕する祈りの一葉一葉。

六田さんは「 モノには、被災者の魂がこもっている」と言う。

細部に着目することで見えてくる被災の 実相があることを知る。

31日まで。

河北新報2013年03月06日河北春秋より
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20130306_01.htm



石巻市・津波被害写真集はコチラ↓↓
宮城県石巻市・津波被害
http://tetunakaya.o.oo7.jp/indexharu20110503.html
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東日本大震災2年、1次産業 浜再起、道のり険しく【放射能汚染も忍び寄る】

2013-03-02 17:21:53 | 東日本大震災
東日本大震災2年、1次産業 浜再起、道のり険しく【放射能汚染も忍び寄る】


image

☆組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
☆前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。

☆管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
☆30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。

☆市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
☆前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と10月の2回とも中止だった。

☆福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
☆定置網に掛かったマダラ、スズキは、、、。


河北新報 2013年03月02日より
…………………………………………………

東日本大震災2年 1次産業 浜再起、道のり険しく

<ホヤ種苗成長>
金づちと貝殻がぶつかる音が、なぎの海に響く。
ホヤ養殖をなりわいにする漁業者にとって 、再起の「つち音」だ。

2月25日朝、牡鹿半島東部の石巻市前網浜 。
沖合数百メートルにホヤの養殖いかだが浮かぶ。

そばで作業するのは前網漁業生産組合の定 置網船「オリエント丸」。
クレーンでいかだを引き上げると、
半年前は豆粒大だったホヤの種苗が一口大にまで成長していた。

金づちを握った組合員たち。
ホヤにこびりつ いたフジツボやムール貝をたたき、そぎ落とす 。
「こうしねえと、ホヤにも栄養がいかねえのさ」。
鈴木信男組合長(61)が言う。順 調に育っている種苗に、漁師たちの目が輝く。

<定置網で収入>
前網浜を含む半島東部は「裏浜」と呼ばれ、
東日本大震災前は日本一のホヤ生産地だっ た。

生産量は前網浜だけで年間70~80トン。
生活していた23世帯全てが漁業で生計 を立てていた。

震災の大津波は、そんな小さな集落から全てを奪った。
ホヤの養殖いかだも漁船も。

逆境に挑んだのは、30~70代の8人。
2011年12月に生産組合を設立した。
昨年8月にはホヤ養殖を再開できたが、出荷まで3年程度はかかる。

それまでの収入源とし て見いだしたのが定置網だった。
国の補助を活用して約8000万円の定置網船を買い上げ、
昨年10月に漁を再開した。 再生への船出は、決して順風満帆ではない。

組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。

管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。

オリエント丸は全長約20メートル。別の船が接岸中は沖で待機を強いられる。
「これ では満足に水揚げができねえ」。喜彦さんはため息をつく。

市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と 10月の2回とも中止だった。

<汚染忍び寄る>
福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
定置網に掛かったマダラ、スズキは国の出荷停止を受けていた。
(マダラは1月解除)。

東京電力に賠償申請する予定だが、風評被害に神経をとがらせる。
「こっからが本番だけど、どう転ぶか…」と喜彦さん。

浜を包む希望と不安。この2年は、
対照的な二つの感情がめまぐるしく入れ替わる日々だった。
養殖いかだでの作業を終えたオリエント丸が浜に戻ってきた。

メンバーがテント小屋で 冷えた体を温める。
ホヤの成長ぶりに手応えを感じたのか、みんな笑顔だ。
鈴木組合長は海を見詰めながら、ホヤの出荷が見込める来年夏に思いをはせる。

「漁業を諦めれば集落がなくなる。道のりは相当険しいが、踏ん張るしかねえんだ」

河北新報 2013年03月02日より
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130302t13032.htm

★★★★★★★★★★★

福島第1原発汚染水「背水」の処理、タンク増設もう限界【何十年も終わらない放射能汚染、海を壊し】
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/760228d4409b75b9ad17388570c9bf68
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77歳母、月命日の漁港通い「甘酒持ってきたよ」骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしいと

2013-02-14 18:37:03 | 東日本大震災
77歳母、月命日の漁港通い「甘酒持ってきたよ」骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしいと

【写真=海に向かって行方不明の長女ミネ子さんの
名前を呼び続ける海藤エツさん=1 1日、釜石市・白浜漁港】
image

「ミネ子、聞こえるか。大好きな甘酒、持ってきたよ」。

震災はまだまだ続いているんです。終わっていないんです。
~「骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしい」

image

という思いを捨てきれぬ母。


山と土と樹を好きな漁師ブログより
…………………………………………………

東日本代震災の被災漁師が現地生の声をそのまま伝えます。
復興が遅れは何故なのか、日本は変です・・?

子を思う母の気持ち・・。

「骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしい」
という思いを捨てきれず、11日には自然と足が漁港へ向かう。
「供養のためにもここにいたい。
い つまで続けられるか分からないけど、
手が動くうち、足が動くうちは続けたい 」
という言葉が胸に突き刺さりますね。

いつか見つかる日まで、娘の眠る海へ向かうつもりなのです。

震災はまだまだ続いているんです。終わっていないんです。
なかなか泣かない自分ですが、涙がでてきました。

山と土と樹を好きな漁師 - Yahoo!ブログより
…………………………………………………………

77歳母、月命日の漁港通い 「甘酒持ってきたよ」


「ミネ子、聞こえるか。大好きな甘酒、持ってきたよ」。

釜石市箱崎町の仮設住宅で暮らす海藤エツさん (77)は11日、
今も冷たい海のどこかに眠っているとみられる
一人娘のミネ子さん=当時(60)=を思って、温かい飲み物を海にささげた。

毎月、月命日 に漁港へ通い続けて間もなく2年。
「せめて爪1枚でも上がってほしい」と、変わらぬ思いを胸に、海へ向 かう。

エツさんが震災直後の4月から毎月、漁港に通い始めてもうすぐ2年。

日に日に、ミ ネ子さんの遺体は
もう見つからないかもしれないという気持ちが強くなる。

それでも「骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしい」
という思いを捨てき れず、11日には自然と足が漁港へ向かう。

「供養のためにもここにいたい。
いつまで 続けられるか分からないけど、
手が動くうち、足が動くうちは続けたい」。

いつか見つかる日まで、娘の眠る海へ向かうつもりだ。


岩手日報(2013/02/13)より
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130213_10

山と土と樹を好きな漁師 ブログ
2013・2・14より転載引用
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako
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復興庁「宝刀」封印の1年、勧告権を行使せず【復興予算も天下りシロアリ増殖】

2013-02-10 16:17:08 | 東日本大震災
復興庁「宝刀」封印の1年、勧告権を行使せず【復興予算も天下りシロアリ増殖】

☆消費税増税も東日本大震災の復興の名目なら
☆国民も賛成する、と増税を成し遂げた官僚と官僚ポチら。
☆復興は、未だ遅れ、その裏には、、、。

朝日新聞デジタル
…………………………

■復興庁「宝刀」封印の1年 勧告権を行使せず

震災復興の司令塔を担う復興庁の発足から10日で1年を迎える。

同庁は復興政策を加 速させるため、
他省庁より強い権限を持たせる上位官庁と位置づけられ、
復興相には他の 閣僚への勧告権が付与された。
だが、その 「伝家の宝刀」は一度も行使されたことがない。

「なんだ、これは」

昨年9月。報道で復興予算の流用を知った
平野達男 復興相(当時)は、 財務省 幹 部を呼びつけた。
反捕鯨団体への対策 自衛隊によるデジタルカメラ購入……。

復興政策のあり方が根本から問われかねない危機と思ったからだ。

復興庁の政務三役の一人は
「他省庁と表でケンカしないと
復興事業すべての看板に泥を塗ることになる」と進言したが、

平野氏は閣内対立が表面化するのを嫌い、
予算 の執行停止などを他の閣僚に求める勧告権は封印。

平野氏は一度も勧告権を行使しな かった理由を
「勧告権は他省庁より一段上という象徴。
(強制力が不十分なため)
『こうやれ』と言っても納得させなければ、
時間がかかるだけだ」と振り返る。

復興の遅れが指摘され、
安倍晋三首相も政権が克服すべき危機の一つに「復興」を 挙げる。

9日に岩手、宮城両県を訪ねた首相は
「希望の火を赤々と燃やしていくように我々も努力したい」
と記者団に語ったが、復興庁の性格はいまだに定まっていな い。



〈復興相の勧告権〉
復興庁が復興政策を統一的に推進できるよう、
復興相に他省 庁の閣僚に意見を言う権利を法律で与えている。
省庁にまたがる権限に復興庁が関われるようにするのが目的で、
復興相は首相にも各省庁を指揮監督するよう
意見を言うことができる。
ただ、どのような場合に勧告権を行使できるのか、
具体的な規定はない。

朝日新聞デジタル2013・2・10より引用
http://www.asahi.com/politics/update/0209/TKY201302090220.html
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震災【地名は知っていた】まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

2013-01-31 18:42:03 | 東日本大震災
震災【地名は知っていた】まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

☆震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。

河北新報/河北抄
…………………………

■まるで、推理小説かテレビのサスペンスドラマのような書名が目を引く。

『地名は知っ ていた』(河北新報出版センター刊)。

小説ではなく紀行文だが、地名にまつわるミステリーが満載だ。

著者は、宮城県地名研究会会長の太宰幸子さん(69)。

震災で津波に遭った同県沿岸部を歩き、地名の由来を探った。

1年半をかけて訪ねたのは、気仙沼市や仙台市、
山元町 など、15市町、140集落に及ぶ。

七ケ浜町に招又(まねきまた)という高台がある。

1611年の慶長大津波の際、地域 の人々が
「こっちさ、早く来い」
と手招きしたため、沿岸部の住民が難を逃れたのが由来だそうだ。

また、南三陸町の大船沢(おおぶねざわ)。

かつて津波で大きな船が流れ着いたことから、こう名付けられたという。


image


文献に頼るだけでなく、
実際に足で調べたフィールドワークのお手本のような1冊。

被 災地の今の様子もきめ細かく報告している。

残念ながら、先人が土地の由来を語り継いできた古い地名は、
消えつつあるのが世の流 れだ。

著者は問い掛ける。

「私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったろうか」

( 2013・1・31)

河北新報 河北抄 2013・1・31より転載引用
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20130131_01.htm

地名は知っていた<上><下>

私たちは、自然を、地名を、侮ってはいなかったか。

たかが地名と軽視していなかったか。

古くから伝わる地名には大切なメッセージが込められていたのにー。

宮城県地名研究会会長である太宰幸子さんによる

「地名は知っていた 津波被災地を歩く」

(上下)を発行しました。

太宰さんは大震災で津波に襲われた気仙沼~山元の沿岸部の集落を何度も訪ねて、

変わり果てた浜の姿を目にしては、祖先が地名に残した言い伝えが生かされず、

甚大な被害に遭ったことを悔やんでいます。

地名が語る津波伝承は各地にあり、

特に南三陸町の入谷地区に多く残っているそうです。

「残谷」は津波でほとんどの家が流された中、
1軒だけ残ったのでノコリヤ、

大船沢は、大津波で大きな船が流されて来たのでオオブナサワ、

残谷の上に位置する峠の「越路」は、
ここを津波が越えなかったからコエズ。

地名が警鐘を発していたんですね。

太宰さんは被災地で住民の方々の
前向きな姿勢に心が救われもしたそうです。

震災後、沿岸部の集落を何度も訪ねて
本書を著した事に価値があると思います。

「地名は知っていた」は上下巻。取り上げた地名は、
上が気仙沼~塩竈の70カ所、
下が七ヶ浜~山元の70カ所。


image


下巻の巻末には「津波被災地に多い地名」一覧が付く。

河北新報出版センター
河北新報 ふらっと より転載引用
http://flat.kahoku.co.jp/u/kahokubooks/fNlkW3jTUyhVeZMtSq5n/

★あなたの町、村にも、、調べてみる価値があります。。
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サンドウィッチマン「震災の風化は起きてない」いまも続く支援に感謝!!僕らの使命!!

2013-01-26 10:04:38 | 東日本大震災
サンドウィッチマン「震災の風化は起きてない」いまも続く支援に感謝!!僕らの使命!!


image


ORICON STYLEより
……………………………

■サンドウィッチマン「震災の風化は起きてない」いまも続く支援に感謝

2007年の『M-1グランプリ』優勝で一躍有名にな り、
2009年の『キングオブコント』で準優勝に輝い た
お笑いコンビ・サンドウィッチマン。
共に宮城県 出身で、気仙沼でのロケ中に
東日本大震災に被災したことでも知られている。

二人は、震災から約2年が 経過した現在も
全国から多くの支援や協力があることに感謝し、
「風化は起きてない」と力強く語った。

――2007年から毎年単独ライブを開催していますが、
昨年初めて震災の被災地でもある福島県でライブを行ったそうですね。

伊達みきお:
そうなんですよ。
今まで本当にやりたいと思ってて、ようやく実現 しました。

どの場所でも、客席が埋まってるのを見るとグッと来るんですが、
今回に関ては、福島のライブが本当に印象的でした。

富澤たけし:

原発から避難している方々もたくさん来てくださって。
涙流して感謝してくれているのを見たら、やってよかったと心から思いました。

――仙台出身というのもあって、
ふざけられない場もあると思いますが、その切替はコンビでどうしてます?

伊達:
決まりなどは特にないですが、仙台の話をするときは
あんまり芸人としては話してないですね。
宮城県の人間としてコメントしてます。

少しお笑い色もあるときは、僕が普通の話をして、
隙を見て富澤がふざける形が多い。自然にそう なってます。

――震災からもう少しで2年が経ちます。
風化なども含め心配も多いと思いますが実際の状況を見て、どう感じますか?

伊達:
風化の問題がよく話題に上がりますけど、
まだ2年しか経っていないですし、実際には風化は起きてない。
今でも全国から援助や支援がたくさん届きますし、
ボランティアの人も絶えず来てくれてます。

富澤:そういう姿を見ると、まだまだ大丈夫だと感じます。本当に感謝してます。

――震災直後は、自分たちがお笑いをやることに悩んだりしました?

伊達:それはなかったです。逆にお笑いをやってたからこそ、
世の中の人にこれだけアピールできたと思ってます。
賛同してくれる方も多かったし。
僕らが開設 した義援金口座「東北魂」だけでも
4億円が集まったことを考えると、今の仕事 のおかげだと思ってます。

富澤:お笑いとしては、ネタのなかで使う言葉や内容には気を遣います。

世間体を気にしているとかではなくて。
僕らがネタで「死ぬ」というワードを頻繁に使う漫才をやったとして、
それを東北の人たちが見た時にどう思うのかなって。
震災を連想してしまうんじゃないかなと考えますね。

伊達:
逆にさっきの風化の話じゃないですけど、
僕らを見て震災を経験したやつらだなって思ってくれるのは全然構わない。

ちょっとでも思い出してくれればいいかなと。
そこで僕らが笑わせられれば、さらにいいですしね。

――実際、そういったイメージは定着してますか?

伊達:ものすごくありますね。震災絡みの質問は本当に増えました。
なかなか震災の現場にいた人がいないみたいで、
僕らもたまたまそこにいて、高台に逃げて 無事だった。
当然、地元ですし、友達も親戚も何人も亡くなっているので、
聞かれたら伝えたいし、伝えるのが僕らの使命だと思ってます。

昨年に福島を含め全国7ヶ所で13公演を行った単独ライブの模様が収められた
DVD『サンドウィッチマンライブツアー2012』は2月6日に発売。
また、今回の DVDには聴覚障害者のための字幕が入れられている。

ORICON STYLE ニフティ 2013年1月26日(土)より引用転載
http://s.news.nifty.com/entame/showbizddetail/oricon-20130126-oric2021003_1.htm

☆サンドイッチマン伊達オフィシャルブログ「もういいよ」
http://s.ameblo.jp/mikio-date

☆サンドウィッチマン 富澤たけしオフィシャルブログ
「名前だけでも覚えて帰ってください」
http://s.ameblo.jp/takeshi-tomizawa/

☆サンドウィッチマン救急隊員 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QbL-WYJo0p0&sns=tw
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震災アーカイブ運用開始、写真・記事容易に検索【東日本大震災を後世に伝える新聞記事や写真など】

2013-01-19 17:46:00 | 東日本大震災
震災アーカイブ運用開始、写真・記事容易に検索【東日本大震災を後世に伝える新聞記事や写真など】

東日本大震災を後世に伝える
新聞記事や写真などを保存し、検索して閲覧できるウェブサイト
「河北新報震災アーカイブ」の暫定運用が17日、始まった。

震災の風化を防ぐとと もに防災・減災に役立ててもらうのが狙い。
3月に本格運用する。

☆江戸時代などの震災記録が残っていれば
☆東日本大震災の大津波から救えた人がたくさんいたはずだ!!

image
★河北新報 震災アーカイブ メニュー
http://kahoku-archive.shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/kahokuweb/;jsessionid=8CC3AC76F424701F76F424FE179D3B61?0

河北新報より
…………………………

■震災アーカイブ運用開始 写真・記事容易に検索 

東日本大震災を後世に伝える新聞記事や写真などを保存し 、
検索して閲覧できるウェブサイト「河北新報震災アーカイ ブ」の
暫定運用が17日、始まった。

震災の風化を防ぐとと もに防災・減災に役立ててもらうのが狙い。
3月に本格運用する。

公開したのは、震災関連の新聞記事の見出し約3万件、
記事の切り抜き掲載イメージと報道写真約100件、
市民やボ ランティア団体など提供の一般写真約1万枚。

今後収集を進 め、保存件数を増やす。
関心を持った見出しの記事本文を読む場合は、
契約して既存の有料サービス「河北新報データベース」に
接続する仕組 みを利用してもらう。

アーカイブは「見せるサイト」を目指し、
地図を使って地点ごとに集めた情報を容易に検索できる。

一般の提供写真か ら関連する新聞記事を探すシステムも構築した。

一般からの写真投稿を呼び掛けており、 2月1日から受け付ける。
動画投稿も受け付け準備を進めている。

サイトは、青森、岩手、宮城、福島の4県を対象とする
総務省の「東日本大震災アーカ イブ」構築・運用実証調査事業の
一プロジェクトとして、東北大や日本IBMなどの協力 で作成した。

県ごとにシステムを構築した上で国立国会図書館と連携し、
広く誰もが利用 しやすいデータベースをつくりあげるのが狙い。

調査事業は3月までだが、終了後も運用 する。

「河北新報震災アーカイブ」利用開始式は
仙台市青葉区の仙台国際ホテルで行われ、
一力雅彦河北新報社社長が「震災の記憶が風化しないよう、
貴重な資料が死蔵しないよう多くの人に利用してもらい、
成長していくサイトを目指す」とあいさつし、
利用開始のボタ ンを押して暫定運用が始まった。

「河北新報震災アーカイブ」には、
河北新報のニュースサイト「コルネット」のトップページからアクセスできる。

河北新報2013年01月18日より引用
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/20130118t15010.htm

河北抄

「江戸時代などの震災記録が残っていれば、
東日本大震災の大津波から救えた人がたく さんいたはずだ」

17日に暫定運用が始まったウェブサイト「河北新報震災アーカイブ」。

被災した広範 な沿岸部を何回も訪れ、
撮影した約2500枚の貴重な震災記録を提供してくれた

静岡県 在住の男性会社員はこう訴えている。

サイトは東日本大震災を後世に語り継ぎ、防災と減災に役立てようと、
被災や復興の状 況を記録した画像などを収集、保存、公開する。

ゆくゆくは国立国会図書館や青森、岩手 、福島3県のプロジェクトと連携、

検索しやすいシステムで国内外に向けて提供し、利活 用してもらう。

震災関連の新聞記事の見出しや報道写真を公開するのがサイトの特徴だが、
市民やボラ ンティア団体が持つ画像や動画を将来に残すのも大切な役割だ。

サイトへの画像の受け付けは2月1日から。

たくさん提供してもらうことが内容の充実 につながる。

暫定運用開始の17日は、1995年に阪神大震災が発生した日だった。

「 震災を風化させない」。

気を引く締め、サイトが船出した。

河北新報/河北抄 2013・1・19 より引用
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20130119_01.htm
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バイオマスで電力と水素を生成【復興だけでなく新産業創出を目指す】岩手宮古市

2013-01-18 16:56:42 | 東日本大震災
バイオマスで電力と水素を生成【復興だけでなく新産業創出を目指す】岩手宮古市

@masaru_kaneko:(金子勝氏Twitter)

☆ブルータワーと呼ばれる
☆新型バイオマス発電が、宮古市で計画されています。

☆バイオマス原料を無酸素の状態に置いて高温で熱して、
☆メタンを多く含有するガスを発生させ発電する。
☆水蒸気を加え加熱すると、水素を取り出せます。新産業になるかも。

☆現状の燃料電池は都市ガスなどを改質して水素を得ている。
☆水素を直接得られれば、改質に必要なエネルギーを節約できる。

☆もう1つは、燃料電池車の燃料だ。
☆ブルータワー由来の水素を供給する水素ステーショ ンを建設し、
☆燃料電池車が自由に走れる環境を作る計画だ。

スマート・ジャパンより抜粋転載
…………………………………………

■バイオマスで電力と水素を生成、復興だけでなく新産業創出を目指す

岩手県宮古市は2012年末から
バイオマスを利用した大プロジェクトを立ち上げることを
発表していたが、その詳しい内容が明らかになった。

バイオマス発電設備を建設し、
それを中核として都市の復興を目指す大掛かりな計画だ。

[笹田仁,スマートジャパン]

宮古市はこの計画に「宮古市ブルーチャレンジプロジェクト」と名付け、
2012年末か らプロジェクトの名称をアピールしていた。
2013年になって、いよいよその細かい内容が明らかになった。

プロジェクトの中核となるのは「ブルータワー」
と呼ぶバイオマス発電設備だ(図 1)。

ブルータワーは、2014年秋の稼働を目指している。
これはジャパンブルーエナ ジーが開発した独自技術であり、
単純に木質バイオマスを燃焼させて発電させる発電機とは仕組みが異なる。

図1 福岡県大牟田市で稼働中のブ ルータワー。
新出光の子会社であ るイデックスエコエナジーが運営している。
出典:ジャパンブルー エナジー

ブルータワーではバイオマスを直接燃焼させず、
バイオマス原料を無酸素の状態に置いて高温で熱する。
するとメタン(CH 4 )を多く含有するガスができる。

このガスをガスコージェネレーションシステムに供給して発電する。

発電能力は3MWの予定。発電した電力は、全量電力会社に売電する。
ガス燃焼時に発生する熱は、農業で利用する。
バ イオマス原料を林業で発生する間伐材とすることで、
林業の活性化も期待できる(図 2)。

image

図2 ブルータワーが生み出す電力は全量売電し、
発電時に発生する熱を農業で利用する。
燃料を間伐材とする ことで林業の活性化も期待できる。出典:宮古市

水素を活用する近未来像を描く

ここまでは、既存のバイオマス発電施設とさほど用途は変わらない。

宮古市ブルー チャレンジプロジェクトの特長は、将来図を描いて、
その通りに発展していけるようにブルータワーを利用する点にある。

ブルータワーで得たガスは、
無酸素の状態に置いて水蒸気(H 2 O)を加えて加熱すると、
水素(H 2 )を取り出せる。

宮古市ブルーチャレンジプロジェクトでは、
この水素を有効活用する計画を立てている。

水素の用途としては、住宅や工場、園芸施設などに設置した
燃料電池の燃料が挙げられる。

現状の燃料電池は都市ガスなどを改質して水素を得ている。
水素を直接得られれば、改質に必要なエネルギーを節約できる。

もう1つは、燃料電池車の燃料だ。
ブルータワー由来の水素を供給する水素ステーショ ンを建設し、
燃料電池車が自由に走れる環境を作る計画だ。

トヨタ自動車、日産自動 車、本田技研工業は2015年までに
燃料電池車の量産を2015年までに始める計画を立てて おり、
その時期に合わせて日本全国100カ所に
水素ステーションを整備する予定になっ ている。

ブルータワーの稼働開始は2014年秋。
燃料電池車向け水素ステーションの整備も十分間に合う(図3)。

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図3 ブルータワー由来の水素の主な用途。
将来の燃料電池車の販売開始を見据えている。出典:宮古市

さらに、太陽光発電や風力発電による電力を利用して水素を精製し、
供給する新産業の創出を目指している。

宮古市はブルータワーを震災で大きな被害のあった地区に、
建設することを予定している。

数ある再生可能エネルギー利用計画の中でも、
ここまで将来を見据えた、野心的 なものはないだろう。

予測したとおりにプロジェクトが進めば、
ブルータワーは震災復 興の象徴となるだろう。

スマート・ジャパン 2013年01月15日より転載
詳細、図もコチラ↓↓
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1301/15/news027.html
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《いぐなる農業》 仲間/夢【妻子ら犠牲に・東日本大震災】若い力結集、生産再開・トマト!!

2013-01-11 10:20:20 | 東日本大震災
《いぐなる農業》 仲間/夢【妻子ら犠牲に・東日本大震災】若い力結集、生産再開・トマト!!

……今日1月11日、東日本大震災から1年10ヶ月。。
……大地震、大津波、そして福島原発事故。。
……未だ進まない復興、のなかで、、

……妻と子ども3人、祖母を亡くした30代若者が
……農業に再び、立ち上がっている物語を。。。

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河北新報より
………………………………………………

■妻と子ども3人、祖母を亡くした。

<妻ら犠牲に> 生まれ育った宮城県東松島市大曲地区は
東日本大震災で大津波に襲われた。

トマトやキュウリを栽培したビニールハウスなど生活の糧も失った。
嘆いても、願っても、家族は取り戻せない。
動いていなければ押しつぶされそうだった。

「 仕事だけでも取り返す。必ず、何とかしてやる」。

その一心で走りだした。

震災をきっかけに農業を諦める生産者が相次いだ。
「若手がまとまらないと、1次産業が衰退してしまう」と

法人名は「イグナルファーム」。

野菜を買う人、 会社に関わる人、地域の農業、
みんながいぐなる( 良くなる)ように-と願いを込めた。


河北新報 2012年06月12日
これから 大震災を 生きるより
………………………………………

第12部・興す(4)仲間/夢は「いぐなる農業」/若い力結 集、生産再開

東松島市赤井の農地約1.7ヘクタールにビニー ルハウス3棟が立つ。
ハウス内に、青々としたトマ トの苗が広がる。

農業阿部聡さん(34)が2011年12月、
仲間3人と設立した農業生産法人の拠点だ。

法人名は「イグナルファーム」。

野菜を買う人、 会社に関わる人、地域の農業、
みんながいぐなる( 良くなる)ように-と願いを込めた。

阿部さんは代表を務める。
被災地で復旧を目指す生産組織を支援するモデル事業を活用した。
土地は新たに購入し、いしのまき 農協(石巻市)が
国などの補助金で建設した設備を割安で借りた。

5月に引き渡しを受け、苗を植えた。
来月の初出荷に向けて気の抜けない作業が続いているが、充実した日々だ。

「1年前は、ここまでたどり着けるとは想像ができなかった」

<妻ら犠牲に> 生まれ育った東松島市大曲地区は東日本大震災で大津波に襲われた。

妻と子ども3人、祖母 を亡くした。

トマトやキュウリを栽培したビニールハウスなど生活の糧も失った。
嘆いても、願っても、家族は取り戻せない。
動いていなければ押しつぶされそうだった。

「 仕事だけでも取り返す。必ず、何とかしてやる」。その一心で走りだした。

震災をきっかけに農業を諦める生産者が相次いだ。
「若手がまとまらないと、1次産業が衰退してしまう」と
市内でイチゴを生産する佐藤雄則さん(41)に声を掛けた。

2人は震災前「いつか一緒に農業生産法人をつくろう」と夢を語り合った仲だ。

農地が大き な被害を免れた佐藤さんは、
家族を失いながら進もうとする阿部さんの姿に胸を打たれた。
「 復興につながる仕事をやろう」と決心した。

2人でつてをたどり、赤井の農地を見つけた。
直談判した土地の所有者は「若い人が農業をやるなら協力する」と快諾。

隣接する別の地主との交渉も仲介してくれた。 新たな仲間も加わる。
ともに市内で園芸農業を営む星名大地さん(33)と武田真吾さん( 36)。

震災後は一時、農業から離れた。
星名さんは「いつか農業を再開したかった。
誘って くれて、心底うれしかった」と話す。

<膨らむ構想> 「家族もいなくなり、何のために頑張っているのか」。

阿部さんは生産再開までに何度も立ち止まりそうになった。
その度に「子どもたちに情けない姿を見せたくない」と自分を奮い立 たせた。

法人は、沿岸部の農地でイチゴやトマトの観光農園を開く計画を温めている。

「収穫したて の味を楽しんでもらいたい」
「バリアフリーにして障害者が働ける場にしよう」と構想は膨らむ。

「被災地に雇用を生み、地元を離れた人が戻ってくるきっかけをつくりたい」と
阿部さんは 言う。道のりが平たんではないのは分かっている。

しかし、一度は消えかけた震災前の夢が一つ一つ実現する
手応えをいま、感じている。

<メモ>イグナルファームの所在地は東松島市赤井川前三。
当面はトマト100トンを生産し 、
冬期間はキュウリ200トンを栽培する計画。
敷地内に事務所や産直コーナーを設ける準備 を進めている。

河北新報 2012年06月12日
これから 大震災を 生きる より引用
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1087/20120612_01.htm
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