きみだんごの日記帳

日記帳の形を借りて、創作活動の成果を発表していきたいと思います。
荒井公康

現象と要因(構成的実験の限界)

2023-03-24 17:14:09 | 日記

自然現象はさまざまな要因が相互作用を通して複雑に絡み合って生ずるものであるが、現象それ自体を把握することはそれほど困難ではない。難しいのは要因から現象を説明することにある。要因間に相互作用があるのが一般であるので、現象を要因の関数で表すと非線形多変量関数になる。ところで、考察の対象となる現象の特定の要因のみを選び出して研究を進めるというのが構成的実験の方法である。このとき、実験条件は人為的にコントロールされ、単純化ないし理想化される。また、要因間の相互作用は無視され、要因の働きは独立であると仮定される。しかし、この方法が有効なのは、単純な現象に限られるのである。物理学が対象とする現象は比較的単純であり、構成的実験の方法は有効であったが、物理学の成功にならって、その方法を他の分野に応用しても有効ではなかった。これは、物理学以外の分野では、要因間の独立性の確保が難しく、要因間の相互作用ないし相互依存により、扱う現象が複雑になるためである。学問の方法は、なにも構成的実験のような、物理学に倣うばかりに限られないと思う。例えば、実験計画法などのようなものにも、非物理学的な発想が含まれていると思う。要因の効果を主効果以外に交互作用にも求めるなど、要因間の相互作用に配慮している点などである。科学的発想には、物理学以外の発想が含まれていてもよいと思う。

 

荒井公康

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原子力と言語

2023-03-19 16:57:08 | 日記

最近、徒然草を再読し始めた。かつて読んでいたのはもう50年くらい前の高校時代だ。理系志向の人間にとっても大学受験の対策に徒然草くらいは読めないといけない時代であった。仏教や儒教などの思想に彩られた吉田兼好の思想は、当時の私に理解できたはずもなく、記憶に残っている部分は少ないのだが、高齢者になった私には耳が痛くも、参考になる部分が多い。それはともかく、千年ほど前の日本語と現代の日本語の差には驚かされる。言語の変化の速さは予想以上だ。話は飛ぶが、原子力においては廃棄物処理が問題になる。放射性廃棄物の半減期は10万年にも及ぶ。将来に亘って10万年単位で放射性廃棄物の管理を行って行かなければならないのである。10万年前と言えば、地球上にはネアンデルタール人が生活していた。それを思うと10万年後に現在の人類が存在しているとは限らないし、存在していたとしても、言語は相当変化しているだろう。10万年後の言語変化など想像することもできない。千年ほど前の吉田兼好の文章でさえ読むのに苦労するのであるから、10万年後の言語は今と相当異なったものになっているだろう。10万年後まで、将来の人類に、放射性廃棄物の管理方法や危険性をどうやって伝えていったらよいのだろうか。まぁ、短期的には言語の変化も緩やかであるから、徐々に伝えていくことは可能かもしれない。それにしても、10万年の世代間倫理を考え、原子力の放射性廃棄物の問題を将来の人類に伝えていくには、相当の工夫がいるようだ。原子力の問題は50~60年未来のことを考えるだけでは済まされない途方もない問題なのだ。

 

荒井公康

 

 

荒井公康

 

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要素還元主義について

2023-03-13 15:55:20 | 日記

要素還元主義の限界は、対象を構成する要素間の相互作用を記述することの難しさにあったのではないか。要素に還元するまでは良いのだが、分解する段階で要素間の相互作用が見失われ、要素間の相互作用を明らかにできないため、対象を分解するだけで、総合して対象を構成再現する手段がなかった。対象は要素の単純な総和ではない。要素間の相互作用を含めた要素の関数が対象の構造である。

 

荒井公康

H&Aスタディルーム(荒井公康オフィシャルHP) (biglobe.ne.jp)

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春の訪れ

2023-03-01 16:22:01 | 日記

2023/03/01 今日から三月だ。昨日今日と温かいので、久しぶりに川崎方面に自転車で散歩に出かけた。砂子通にあるローソン100均で、煎茶、小松菜のお浸し、おにぎり、野菜ジュースを買った。いつもは付近で、おにぎりを食べ、野菜ジュースを飲むのであるが、人がいたので、南河原公園にそのまま向かった。公園に着いて、ベンチに座って、おにぎりを食べていたら、一人の男性が隣のベンチに来て座って、最初は何も言わなかったが、おにぎりを食べ終え、野菜ジュースを飲み終えて、ベンチから立ち去ろうとすると、「おいしそうだったね」と声をかけてきた。「そうですか」と言って、私は笑顔を見せた。しかし、それ以上何も言わずにそこから離れた。公園の花壇には沢山の春の花々が咲いていて綺麗だった。公園に一本だけある河津桜は満開であった。往復で一時間半ばかりの自転車であるが、適度な運動になる。寒さに負けて運動不足であったので気持ち良い。私もいい歳であるが、これと言った病気もなく、健康に過ごせているのは、幸運である。体調もよい。もちろん、血液検査をすれば、中性脂肪や尿酸値の値が高かったりするが、酷いという程でもない。特に自覚症状はない。歳をとればこのくらいはあり得るだろう。これからも健康のために自転車乗りは続けるつもりだ。それにしてもいかにも春が来たという感じだ。歳よりでも少しウキウキしてくる。何事もなくとも、春の訪れはただ嬉しいものだ。

荒井公康

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