2004年の冬の終わりのある日、サンヒョクはベッドの中で寝ぼけ眼で携帯電話を取った。
「キムサンヒョク、久しぶり」
遠い昔から聞いたことのある懐かしい声、それはチョンユジンの声だった。
「ユ、ユジン?!」
サンヒョクは一気に目が覚めて、ベッドから飛び起きた。
「昔は私が寝坊助だったけど、今はあなたが寝坊助なの?」
そういうと、電話の向こうでユジンがクスクスと笑う声が聞こえた。その笑い声さえも懐かしく、久しぶりに胸の奥がうずいて切ない思いが込み上げてきた。
「ユジン、ユジンは帰国したのか?」
「ええ、そうなの。サンヒョクには沢山、たくさん迷惑をかけたから、、、、私たち一度話ができるかな?」
サンヒョクは夢うつつのような、ふわふわした気持ちでユジンと会話をした後、すぐに電話を切って、急いで出かける支度をした。ユジンは1週間ぐらい前に帰国して、春川の実家に帰っていたという。そして、以前勤務していたポラリスに復帰するために、近くソウルに引っ越すことになったそうだ。そしてなんと今日は急遽あのチェリンも一緒にチンスクとヨングクのアパートで帰国祝いをすることになったという。帰国してから一番に電話をくれるのが自分ではないことに少し傷ついたが、それでもサンヒョクはうれしくてウキウキしていた。
1階に降りると母親が彼を見て目を真ん丸にしていた。
「あなた、そんなにおしゃれしちゃってどうしたの?もしかしてデートなの?」
久しぶりに綺麗にひげをそって髪をセットし、きちんとスーツを着た彼に、母親は不思議そうな目を向けている。
「今日はね、ユジンがユジンが帰国したんだからお祝いするんだよ!」
サンヒョクがウキウキして走り出すと、後ろから母親の
「またユジンなの?!ちょっともうあの子に振り回されないで頂戴ね!!」と叫ぶ声が聞こえたけれど、そんなことは彼の耳にはどこ吹く風だった。
サンヒョクは、皆と集まる前にチンスクたちのアパートの近くのカフェでユジンと待ち合わせをしていた。
全部をのインテリアを白でそろえたナチュラルな内装のカフェに入ると、ユジンが窓際でソウルの街を見下ろしていた。
「ユジン!」
くるりと振り向いた彼女を見て、サンヒョクはドキッとした。日の光に照らされて笑うユジンは前にもまして美しくなっていた。ショートカットだったヘアスタイルは、ゆるくウエーブのかかった長い髪の毛になっており、顔の周りで真っ黒な髪の毛がふわふわと揺れていた。黒の皮ジャケットと黒のタイトスカートがスタイルの良さを際立たせており、以前よりも洗練された雰囲気になっていた。そして何よりも、3年前の冬は悲しみでおおわれていた瞳は、今は生き生きと輝いておいた。まるで高校時代に戻ったような、そう、彼女がチュンサンを失う前に戻ったように、勝ち気で強い光を放っていた。サンヒョクのユジンへの気持ちは3年間のような恋焦がれて身を切られるような切なさではなくなっていた。それでもなお古傷がうずくように、波のような愛しさがこみあげてくる。しかし、それは以前のようにユジンを独占したいという独りよがりなものではなかった。彼女が好きだからこそ幸せでいてほしいという相手を思いやる気持ちに変化していた。
「サンヒョク、久しぶりね」
そういうと二人は椅子に座って少しだけ黙っていた。会うのが久しぶりすぎて、何から話してい良いのかわからなくなったからだった。しかし、サンヒョクがチンスクとヨングクの結婚と新居について話すと、ユジンも楽しそうに相槌を打った。チンスクとヨングクは、ユジンがチンスクのアパートを引っ越した後、ルームメイトとしてヨングクが転がりこむような形で同居を始めた。そして、いつの間にか仲の良い二人は恋人同士になり、両親にあいさつに言ったらすぐに結婚した。そのうえ間もなく娘のチヒョンを妊娠したのだった。娘のチヒョンはもう1歳半になり、サンヒョクはよく遊びに行っては子守をしていた。フランスにいて二人の結婚式にも出られなかったユジンは、サンヒョクが語る二人のラブストーリーを楽しげに聞いていた。
しかし、ひとしきりその話が終わると、ユジンはあらたまった様子でサンヒョクに言った。
「サンヒョク、わたしニューヨークに行かなくてごめんなさい。本当に申し訳ないと思ってるの。」
久しぶりに見るサンヒョクは柔和な表情をして、ユジンを見つめていた。最近かけ始めたというメガネが似合っていて、クシャとしたような可愛らしい笑顔も変わらない。サンヒョクは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「ううん、あれからすぐユジンのオンマに聞いたときはびっくりした。でも、よく考えたらユジンらしいなって思った。おまえ、チュンサンの気持ちを汲んで、あいつの望み通りにしたかったんだろ?」
するとユジンは切なそうな顔をしてこくりとうなずいた。
「チュンサンがもう会わないって決めたから、私も一人で頑張ってみることにしたの」
「ユジンはあれからチュンサンと連絡を取っているのか?」
すると、ユジンは無言で首を振った。
「チュンサンは、チュンサンは、、、今もどこかで生きていると思うの。彼が死んだら私の心が感じるから、、、だから彼は大丈夫って信じてる。でもサンヒョクは?サンヒョクは連絡を取ってるの?だって、、、弟じゃない?」
「、、、実は僕もチュンサンには連絡を取っていないんだ。僕がチュンサンにしたことを考えるとこちらから連絡を取れなくて。いつかチュンサンが、、、兄さんが僕を許してくれる時が来たら、その時はあらためて謝ろうと思ってる。実は父さんにもチュンサンが危険な状態だったことは言っていないんだ。あのころの家は隠し子騒動で母さんが離婚だって大騒ぎだったんだ。だから父さんも体調を崩してしまって、知らせるどころじゃなかったし。どのみちチュンサンは僕が勝手に父親に話をするのを望まなかったと思う。」
ユジンはしばらく黙っていたが、意を決して3年間思っていたことを告げた。
「、、、サンヒョク、3年前は本当にごめんなさい。わたし、本当に身勝手だったと思う。あなたは彼がいなくなってから、10年間も私を支えてくれたのに、わたしはあなたの気持ちに甘えて婚約までして、、、でも結局はチュンサンを忘れられなくて、あなたもあなたの家族も傷つけてしまった、、、。」
「ユジン、僕の方こそ君に執着していたよ。最後は愛なのか執着なのか自分でも分からなくなってた。でも、君は僕の初恋だし、君を長い間愛したことに後悔はないから。ユジン、本当にありがとう。幸せになれよ」
サンヒョクはそう言うと、優しく微笑むのだった。ユジンはそんな彼を見てうれしくて涙を流した。本当は優しくて純粋で誠実な人なのに、3年前はユジンのせいで、愛情が執着に変わり、言いたくもなかっただろうこと沢山言わせてしまった。一度はユジンを生涯許せないと言っていたサンヒョク。でもチュンサンがNYに発つ時は、自分の嘘を告白して一緒に空港まで来てくれた。あんな風に拗らせたのは自分の曖昧さのせいだ。彼と笑って語りあえることに感謝していた。そしてサンヒョクが再び心から愛し愛される誰かが現れますように、誰よりも幸せになれますようにとユジンは願っていた。すると、サンヒョクが困ったように言った。
「ユジン、僕は君の涙に弱いんだからもう泣くのはやめて。今日は君のお祝いの日なんだぞ」
ユジンは泣き笑いしながらサンヒョクを見つめるのだった。そして目をくりくりさせておどけて言った。
「ところでサンヒョク、どうして眼鏡なんてしの?なんだかちょっとおじさんになったような、、、」
「おい、チョンユジン、おまえ失礼だなぁ。これでも職場では後輩にモテモテなんだぞ。逃した魚は大きいのをまだ分かってないんだな」
ふたりは笑いながら立ち上がると、チンスクたちの家に向かった。二人の足取りは軽く、春の日差しが柔らかく降り注いでいた。