一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

テレビ三昧の予感

2024年12月15日 | 最近のできごと
 シアタースタンドの上に55インチのテレビは置けなくて、50インチのテレビを買い直すことになったが、新宿の家電量販店へ出かけたのは翌々日だった。配送と設置の業者が2時間近くリビングにいたため、疲弊した私の神経と精神を、一日かかって和らげなければならなかった。
(洗濯機の業者のこと、もっと早く言えばよかった)
 ソファにぐったり横になり、スマホのパズルをしながら、そのことが何度も悔やまれた。
 ふと思いついた言葉を口にしたのだが、あの業者がおざなりなチェックをしたのがいけなかったのだ。そのことにようやく気がついて、ようやく帰ってくれて、ようやく私は解放感に包まれた。
(まるで軟禁でもされちゃったみたいな気分だったわ)
(私の性格って、赤の他人から馴れ馴れしくされるのが嫌いなのかも)
(どうして、家電量販店の店員や上司との長電話を、車の中でしなかったのかしら)
 などと、あれこれ考えめぐらせたり思いめぐらせたり。
 友人や肉親にその話をすると、
「言えばよかったのに、用事があるとかって時計見て、どうして言わなかったの?」
「言えなかったのよ、何だか怖くて、私って神経が太くないから」
「居心地良かったんじゃないの?」
「居心地、ですって?! 冗談じゃないわ! コーヒー出したわけでもないしソファに座らせたわけでもないのに」
「業者の気持ちもわからなくはないけど、箱から開けたテレビが置けないんじゃ」
「その日は暇だったんだろう」
 などなど他にもいろいろ言われたが、結局、誰も私の気持ちをわかってくれない、誰も理解してくれない、大変だったわねと、誰も慰めてくれないのである。
(人間は他人を理解することはできないって養老先生の本に書いてあったわ)
(私なんて自分のことだって、よくわからないのに)
 その翌日、私の精神と神経の昂ぶりがおさまったので、午後から家電量販店へ出かけた。
(今日もいるといいナ、あの店員さん、ううん店長さん)
 どこか他の店員と雰囲気が違うと思った。
(そう言えば……)
 何年前だろう、マウスを買いに行った。買って来て、すぐに使わなかったのは、そのころ、ある文書を作成していて、区切りが付いたら新しいマウスに交換しようと決めていた。故障したのではなく、使えるのだが、少し不調が起きていた。動作がスムーズではないことが時々あったのだ。
 ただ、その文書作成中に、買って来たマウスと交換すると、気が散るかもという気がした。ようやく区切りが付いたので、新しいマウスにしたら、全然使えなかった。新品の電池を再度、交換しても駄目だった。取説を読んだら、パソコンと合わないこともあるというようなことが書かれていてショックを受けた。ネット記事で調べても同じようなことが書かれている。
(そんなことってあるのオ)
 そのマウスを持って、家電量販店へ。商品とレシートを見せて店員に話すと、すぐに他の商品と交換してくれると思ったら、店内の隅のほうの一角にテーブルと椅子があり、修理コーナーらしく担当者がいて、そこに案内された。
 商品とレシートを見た若い店員が、
「工場に修理に出しますから」
 と言うので、私は驚き、
「一度も使ってないのに、使ってて故障したわけじゃないのに、商品の交換じゃなく、修理するんですか、これを」
 と聞き返した。
 すると、いかにも真面目そうな、忠実そうな、比較的若いその店員は、ていねいに説明を始めた。
「初期不良の交換は1週間以内なんです。買ってから半月以上経っているので初期不良の交換はできないんです。工場に戻して修理する決まりなんです」
「だって私、区切りがついたら新しいマウスに変えようって決めて、その間、新品のまま置いておいたんですけど、古いマウスがまだ使えたので区切りがつかないうちに変えると気が散りそうだから」
「でも、そういう決まりなんです」
「今日、交換してもらえると思っていたのに……電車に乗って出かけて来たのに……明日から新しいマウス使えると思ってたのに……」
 相手の同情を引くような、今にも泣きそうな口調をちょっぴり演技して言ったが、その店員は困惑顔もせず、
「初期不良の交換は1週間以内じゃないと、できないんです」
 これこそ正しい対応と自信ありげな口調で繰り返した。
 その時、店内をぶらつくような歩き方で近づいて来て途中から2人のやり取りを見ていた店員が、若い店員の肩を小さく押すようにして、椅子から離れさせた。そのしぐさだけで、自分が代わるという言葉は、一言も発しなかった。若い店員は一瞬、不満げな表情を浮かべ、黙って去って行った。
 その時のベテラン店員の無言のしぐさと、若い店員の不満げな表情を、今でも記憶しているのはつくづく感心したからだった。
 テーブルの前にベテラン店員が座ったので、私は救われたような気分に包まれた。
「私、区切りが付いたら新しいマウスに変えようと決めてて、半月以上経っちゃったんです、そしたら、新しいマウスが全然使えなくて、初期不良の交換は1週間以内じゃないとできないって言われて」
 途中から聞いてわかっていると思ったが、勢い込んで言った。すると、ベテラン店員さんが、
「いいですよ、今日、他のと交換します」
 爽やかな声と口調で言った。
「本当? ああ、良かった」
(さすがベテラン店員は違うわね、あの若い店員、融通がきかないんだから)
 内心、そう呟く。
「今日交換したマウスがまたパソコンと合わなくて使えないと嫌だから、ワイヤレスじゃなく、有線のほうにしようかしら」
 迷いながら言うと、店員さんもそのほうがいいと答えたので、有線マウスを買うことにした。
 店員さんが、マウスの陳列棚へ案内してくれて、商品を選んだ。
 私の手は小さいので、サンプルの小さいマウスを10個以上試してみた。店員さんは、そのたびに商品の説明やアドバイスをしてくれた。色の好み、形、握り具合など1つずつ試して、30分以上、時間がかかった。
(あの時のベテラン店員も、店長さんだったのかも……)
 顔ははっきり記憶にないが、話し方と雰囲気が似ている。
(たいてい店員は、私の好みや条件から探して、すすめる商品を買わせようとするけれど、私が気に入る商品を見つけるまで、ずっと一緒に探してくれた)
 テレビの時と同じである。
(今日も会えるかしら)
(店長はいつも店に出ているとは限らないのかも)
 その店の店員は、メーカーの派遣店員と店の店員がたくさんいたが、コロナのころから少ないことに気づいた。以前のように、「メーカーの店員さんは?」と聞いても、今日は来ていないと言われることがあったりした。
 まるで恋心に近いような感情に包まれながらワクワクドキドキ、店に到着したが、買い直しのレジの所で配送の日にちや時間の予約のやり取りの時に、あの店長さんはいなかった。
 配送はその翌々日の午後。当日、配送の正確な時間の確認の電話がかかり、相手が、「この間の○○です」と親しげな口調。
 リビングに新しいテレビが運ばれ、問題なくシアタースタンドの上に置くことができた。
 少しでも話しかけられると、時計へ眼をやり、察した業者は作業を黙々とすませて、終了。
 引き取りの古いテレビと段ボールをかかえた業者の後から、玄関へ。
「今日は早くすみましたね」
 良かったわという気持ちで言うと、
「そうですね」
 と業者。
 短い時間ですんだので、私は機嫌良く、サンダルをはき玄関の外へ。
 業者が、テレビと段ボールをかかえたまま、やりにくそうにポーチの扉を閉めようとするので、
「いいですよう、私が閉めますから、ご苦労様~」
 機嫌良く言って送り出した。
 リビングと廊下の床掃除をして、新しいテレビをつけた。
(あ~ら、きれい、4Kってこんなにきれいなの)
(明日から当分、テレビ三昧(ざんまい)になっちゃうかも)
 音質や画質や、その他の設定を次々していくのも、ワクワク気分である。
 夜は録画の映画を観るつもりだったが、その前に報道番組を見た。
 総裁選で、石破茂総理が誕生した日だった。

     

困惑の配送&設置業者

2024年12月01日 | 最近のできごと
 新しいテレビの配送と設置の日、業者から時間の確認の電話がかかってきた。
 配送の日にちと、3時間の幅の時刻は指定してあるが、他の家を回った後の正確な時間を伝えて来たのだ。
 やがて、その時刻に、エントランスのインターフォン。リビングの壁の小さなモニター画面に、作業服を着た業者の顔と姿が映り、解錠ボタンを押す。
 少ししてから玄関に降り、通路に面したポーチの扉を開けたままにして、そこで待つ。
 エレベーターの到着の合図音がして、通路に出ると、中年に見える長身の業者と挨拶を交わした。
 業者は、まだテレビの段ボール箱を持っていない。エアコンやベッドなど大型の家電製品や家具は、商品を運んで設置する前に、どの部屋のどの場所かを見て確認するのは、どの業者も同じだった。
 廊下からリビングに入り、ここです、同じ所にとテレビを指さした。
「はい、わかりました」
「設置の作業のスペース、大丈夫ですか?」
 業者に必ず聞く言葉だが、いろいろな物の片付けは、いつも手間と時間がかかる。ソファは動かせないが、センターテーブルや、小さなチェストや、テーブル付きマガジンラックや他の物などを窓際に寄せておいたり、写真やその他、見られたくない物を他の部屋へ一時置きしたり。
「大丈夫です」
 業者が答え、テレビの背後のコンセントのコードを、すべてはずし、シアタースタンドの上からテレビをゆっくり下ろして床に置く。
 私は除菌ティッシュとウエスでシアタースタンドの上の埃を拭いた。ふだんからマメに拭いていたが、後ろ側の拭きにくい場所は埃が少し残っていた。
 業者が出て行き、しばらくして、新しいテレビの段ボールを運んで来た。
 その箱は予想以上に大きかったので、
「ずいぶん大きな段ボール」
 と、思わず言ったら、
「55インチは結構大きいですよ。店で見るより」
 段ボールの箱を開けながら、業者はチラッとシアタースタンドへ眼をやって、「乗るかな」と、一人言のように呟いた。乗るとは、乗せる、置くという意味。
 テレビと付属の4K用ケーブルなど、すべて段ボールから取り出した業者が、「乗るかな」とまた呟き、立ったままシアタースタンドを見て困惑したような顔付きになった。
「駄目です。乗りませんね」
「えええええっ!」
「乗りません」
「ギリギリでも」
「ギリギリでも駄目ですね」
 乗せてみましょうか、とでも言うように、業者が新しいテレビをシアタースタンドの上に乗せかけてみせた。
「あら、ほんと!」
 古いテレビは中央に支える部分があった。新しいテレビも同じとばかり思い込んでいたのである。
 けれど、新しいテレビは支える部分が、中央ではなく、テレビの左右の側面の真下に付いているのである。シアタースタンドの幅が、わずかに足りないのだった。
「ここのこと、何て言うんですか?」
 支えの部分を指さして聞く。
「アシです」
 業者が答えた。足か脚ということらしい。
「お店で買う時、中央に脚があると思い込んでたわ。モニター画面ばかり気にして見ていて、その脚は全然、見なかったわ」
「普通、見ませんよね」
 業者が言った。
(だからなのね!)
 購入した時のことを思い出し、納得した。店員が、私が以前購入したシアタースタンドの幅のサイズと、55インチの脚の幅のサイズをパソコンで確認して戻って来た時、私は55インチのテレビの幅のほうが大きいから何センチはみ出るかと真っ先に質問したのはモニター画面のことだった。脚のことなど全く念頭になかったからである。
 その質問に答えた後、あの好感の持てる店員さんは、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 と言ったのである。
 確かに、シアタースタンドの上に、まるで乗らないわけではなく、あと数センチという感じだった。
 つまり、ギリギリ乗るかもしれないということではなく、ギリギリ乗らないかもしれないということだったのである。
 そう気づいて、内心、クスクス笑ってしまいたくなった。店員さんは、多分乗らないとわかっていたのかもしれないが、私があまりにもそのサイズのテレビを欲しい欲しいとはしゃいでいるので、つい、水を差したくないとでもいうような気分だったように想像された。乗らなければ50インチのテレビと交換すればいいのだと。
 けれど私は、大丈夫よ、ちゃんとシアタースタンドの上に置けるわと100パーセント思い込んでいたため、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 という店員さんの言葉が、ちょっぴり蛇足のように感じられてしまったことも思い出した。脳天気な私である。
「どうしようかな、段ボール開けちゃったし、どうしようかな」
 業者が困惑したように繰り返している。どうしようという言葉を繰り返す業者が、不思議な気がした。新しいテレビを持ち帰ればいいのだ。後日、店で買い直しの精算をして、配送日を決め、50インチのテレビを設置してもらえばいいだけなのだと思ったが、あえて言わなかった。
 店で買い直しの精算は経験がある。その家電量販店に入っている〈○○工房〉という店でカーテンを購入した時、帰りの電車の中で気が変わって、翌日、店舗に電話し、レースのミラー・カーテンはあの商品を買うが、厚地のリバーシブル・カーテンのほうはやめて選び直すと伝えた。オーダーカーテンなので、商品はまだ配送されていないし、作製もまだの時だった。翌日、店舗へ行き、再度、カタログから写真とサンプル布を見て選び直した後、買い直しの精算をした。
 どうしようかと迷う言葉を繰り返していた業者が、思いがけない説明を始めた。
「一度、開けた段ボールに、このテレビを入れて車で運ぶと、小さな傷が付くことがあって、そうすると、うちの会社が弁償しなくちゃならないんですよ」
「車で運ぶと小さな傷が付く?」
「付きます、車は揺れるから」
「経験あるんですか?」
「あります。そしたら工場へ返す時、うちの会社が弁償しなくちゃならないんです」
「そうなんですか。知らなかったわ」
「困ったな、どうしようかな」
「50インチのなら、乗りますよね」
「乗ります」
「最初は50インチのほうを買うつもりだったんですけど、55インチのを見たら買いたくなって、販売の店員さんがシアタースタンドの幅をパソコンで調べて、ギリギリ乗るかもしれないけど、もし乗らなかったら、50インチのテレビと交換すればいいですねって言ったんです」
 その私の言葉に、業者はええっと驚き、顔色を変えた。
「何だ、それじゃメッセージに一言書いてくれたら良かったんだ! 何も書いてない! Yなんか細か~くメッセージに書いてくれますよ、だからBは駄目なんだ!」
 もう激怒と言っていいくらいの怒りようである。怒っているのは店に対してで、私にではないが、まるで私に怒っているように感じられるほど、その業者が急に怖くなった。
「Bでは買わないほうがいいですよ、BよりYのほうがいいですよ。レシート、ありますか?」
 私はレシートを持って来て、業者に渡した。
 業者はポケットからスマホを取り出し、レシートを見ながら新宿の家電量販店Bへ電話した。
 それから延々と、業者は憤慨と攻撃的な口調で、レシートに記載のレジ担当者や、販売の店員や、自分の会社の上司と、何度も電話のやり取りを続けた。箱から開けちゃったという言葉を繰り返しながらだった。
 私の精神状態は、もう息苦しさを覚えそうなほど疲弊して、何でもいいから早く、新しいテレビを持って業者に部屋から出て行って欲しかった。
 時計を見ると、1時間以上、経っている。
 友人でもなく肉親でもなく知人でもなく、赤の他人の業者が、私の部屋に長時間いることに耐えられないのだった。
 リビングの床に置かれた新しいテレビと古いテレビと大きな段ボールを眼にすると、つくづく嫌気がさし、その業者への不信と嫌悪に近い感情に襲われた。一体、いつまでそれらを、置いたままにしておくつもりなのかと。
(窓を開けておいて良かった)
 ふと、そう思ったのは、呼吸困難という言葉が浮かぶほど、自分の精神状態が不安になったからだった。
 延々と、呆れるほど長時間、電話のやり取りを繰り返していた業者が電話を切って、またBに電話をかけて話し始めた。
 それは比較的短かったが、電話を切ると、「店長……」と吐き捨てるように軽蔑したように言い、すぐに、「責任者」と、同じ吐き捨てるような口調で呟いた。
 その時、固定電話がかかって来た。隣の部屋へ行き、電話に出ると、販売を担当した店員からで明るく爽やかな声と口調だった。私の名前を確認する言葉を耳にした瞬間、私の心は温かなさざ波に包まれた。
「テレビ、ちゃんと交換しますから。精算する必要があるので、都合の良い日にまた店に来て下さい。大丈夫ですから、ちゃんと交換しますからね」
 その言葉を聞いたとたん、安堵の波が押し寄せてきた。今、業者といて困っていることを見透かしているようにも感じられた。それは本当に深くもあり温かくもある安堵の波で包み込まれたような感覚だった。
 電話を終えてリビングに戻ると、
「Bからですか?」
 業者が聞いた。
「はい。交換するって」
「ちょっと車の所に行って来ますから」
 と業者が言い、「すみません、またエントランスお願いします」
「はい」
 業者が出て行くと、窓辺へ行き、深呼吸した。その時、販売を担当した店員は、業者が吐き捨てるように言った店長だったと気がついた。
 10分くらい経って、またインターフォン。
 戻って来た業者は、新しいテレビを段ボールに入れて持ち運んで帰るかと思ったら、立ったまま、まだB店への非難を口にし始めたので、サイコパスという言葉が浮かんだほどだった。
「それで話はつきました?」
 私は聞いた。
「今、上司とBで話し合ってる」
 業者が答えた。
「半年前、洗濯機を買った時、今まで8キロだったのを10キロに買い換えたのだけど、その時店員さんから洗濯パンのサイズ、奥行きが今より5センチのスペースの余裕がないと置けないと言われて、見積もりを提案されたけど、多分置けると思って購入したら、帰宅して見てみると少しは空いてるけど5センチあるかどうか、後ろだから測れなくて、置けなかったらどうしようって配送の前日は寝付けなかった、置けて良かったわって業者さんに言ったら、設置前に必ずチェックしますから、段ボールの箱開けちゃうと工場に返品できないんですよ、だから段ボール開ける前に、必ずチェックしますって言ってたわ」
 そう言うと、業者は、「ああ」と急に元気のない声で呟き、ようやく自分の過失に気がついたように、新しいテレビを段ボールに詰め始めた。
 それから古いテレビを元どおりにシアタースタンドの上に置き、電源コードを接続した後、ようやく新しいテレビの段ボールをかかえてリビングを出ると、廊下を歩きながら、
「また、ぼくが来ますよ」
 と言ったが、私は無言だった。
 玄関では、「ご苦労様」と言ったけれど。
(ああ、疲れた~)
 リビングに戻って、時計を見ると精神衛生に悪いから、時刻を知るのはやめた。多分、1時間半か2時間近く経っていた。
 その夜、思い返してみて、私は自分の神経が細く、精神が虚弱なのだと、あらためて思い、息苦しさのあまり呼吸困難にならなくて良かったと、つくづく思った。   〔続く〕 




新しいテレビを買った日

2024年10月20日 | 最近のできごと
 テレビを買い換えるために家電量販店へ行く日、最寄り駅まで歩く時も電車に乗っている時も、浮き浮きワクワク。
(新しいテレビ、新しいテレビ、うれしいナうれしいナうれしいナ)
 新宿にある家電量販店の入り口で、フロア案内の看板を見なくても、テレビは何階かわかっている。ワクワク気分に包まれながら、エスカレーターで上がり、数々のテレビが並べてあるフロアのコーナーへ。
 現在のと同じメーカー商品のソニーのブラビアと決めていたが、ひととおり他のメーカーの商品も見て回った。
 リビングダイニングが9畳に満たないし正方形に近い形なので、あまり大きいサイズは部屋に圧迫感が出て狭く見えると思った。一回り大きなサイズの50インチのテレビを、現在の室内の広さで大丈夫と友人には言われていた。
 ――テレビは小さいほうが部屋は広く見える――
 と、時々見るYouTubeで発信しているインテリア・コーディネーターのコメントも、記憶していた。そのインテリア・コーディネーターのチャンネルは、発見があったり感心したり見応えがあるので、一時期、毎日のように見ていた。
 店内には70インチや90インチなど大型テレビがたくさん並べてあり、50インチは奥まったスペースに少しだけ置かれていた。
 商品の詳細カードに書かれた液晶と有機ELの違いについて店員に聞こうと思い、通路側へ戻ってみると、少し離れた所に2人の男性店員が話し込んでいた。雑談ではなく、明らかに仕事の話という雰囲気である。
(中断させちゃ悪いみたい)
 傍の商品のいくつかに眼をやりながら、少し待っていた。そんなところは結構、私はやさしい性格なのである。誰もそう言ってくれないけれど。
 数分後、ゆっくりと歩み寄り、2人を見て立っていると、1人が、何か私が聞きたそうだと気づき、傍へ来た。2人のうち、多くを話していた先輩店員に見える爽やかルックスの店員さんで、内心、ホッとした。
「液晶と有機ELの違いについて説明して下さい」
 そう言うと、店員さんは並べてある商品の液晶テレビと有機ELテレビに眼を向けたり手振りを混じえたりしながら、解像度や商品の薄さや視野の角度や色彩の濃淡などの違いを説明した。
 あらためて液晶テレビと有機ELテレビの画面を見較べると、有機ELのほうが色彩が濃厚である。数回見較べて、
「有機ELのほうが色が、すごく濃いわね。見慣れているテレビが液晶のせいか、このテレビで嫌いな芸能人の顔がアップに映し出されたら、のけぞっちゃいそう」
 思わず言うと、店員さんはフフフッと笑って、
「そうですね」
 同感の言葉を口にする店員さんに、いっそう好感が持てた。
「確かに、くっきりと鮮やかな色彩だけれど、ちょっと不自然なほど濃いみたい。私は液晶のほうが好きだわ。ドキュメンタリーや報道番組ならまだしも、映画は穏やかというか自然な色彩のほうが絶対いいし好きだわ」
 映画のシーンを思い浮かべながら液晶テレビと有機ELテレビのモニター画面を見較べて言った。
「サイズは50インチがいいんですけど、ソニーのブラビアの50インチは……」
「あ、こちらです」
 多くのテレビが陳列されてある間の角を曲がったりしながら一番奥のスペースへ行く。
「これが50インチです」
「これね。いいわ、これ買います」
「ありがとうございます」
 通路のほうへ2人で戻りかけた時、 
「そうそう、去年、55インチのテレビに買い換えた知人がいるの。ブラビアの55インチ、ちょっと見てみたい」
 そう言うと、爽やかルックス店員さんが、「こちらです」と案内してくれて、また角を曲がったりして戻り、55インチのブラビアを指さした。
 その55インチのブラビアを見た私は、50インチよりサイズがかなり大きくなるというほどでもなく、見ているうちにそれのほうが買いたくなってしまった。
「私、こっちのほうがいいわ、これ欲しいわ、50インチより少し大きいだけでしょ? 部屋は広くないから大型は欲しくないけど、今のより少し大きいこれがいいわ、55インチのほうを買います」
「こちらですね。ありがとうございます。テレビ台は?」
「ソニーのシアターラックの上に置いてあるの。私が買った時はシアターラックという名称が、その後シアタースタンドになったみたい。40インチのテレビの幅とちょうど同じ幅なの。55インチだとモニターの両端が、どのくらいはみ出るかしら」
 あまりはみ出たら、見た目が気になるかもと思ったが、それでもと55インチのほうを欲しくなっていた。
「置けるかな。ちょっと調べて来ます」
 爽やかルックス店員さんはその場を離れ、店内のところどころに置かれているパソコンでサイズを調べに行った。
 間もなく店員さんが戻って来た。
「15センチぐらい? 右側と左側にはみ出るの」
「いや、そんなには」
「10センチぐらい?」
「そのぐらいです。置けると思いますけど、置けなかったら50インチのほうと交換ということで」
「はい」
「じゃ、こちらへ」
 案内されて購入の手続きのテーブルへ。
 ということで、その翌週、新しいテレビが配送された。
 ところが――。
 スピーカーの下に2台のビデオレコーダーが上下に設置されているシアタースタンドの上に、購入したテレビが置けなかったのである。  〔続く〕


テレビ設置騒動記

2024年09月29日 | 最近のできごと
 新しいテレビを買った。故障したからである。
 故障しなくても、古くなったから買い替えようと、以前から決めていた。
 転居以降、家電量販店へ何度も行ったが、エアコンやパソコンやプリンターや洗濯機やカーテンなど必要な物を買いながら、テレビはそのうちそのうちと延ばしていた。
 すると、ついにテレビが故障してしまった。
 テレビが故障したのは、初めての経験である。今まで5台ぐらい買い替えたが、きっかけは、古くなったからとか、もっと大きなモニターで見たいとか、引っ越したからということだった。どの時も、故障はしていなかった。テレビ故障の初体験である。
(ああ、ついにテレビが壊れちゃった!)
 ビデオレコーダーの故障の時と同じくらいパニック状態になり、
(ずいぶん酷使しちゃったものね)
 そう呟くと、ちょっぴり悲しくなった。ごめんなさいね、マイ・テレビちゃん。
 急に全く見られなくなったわけではない。録画のドキュメンタリーを見ている途中で、突然、音声が消えた。あれっと思い、数秒待っても、音声が出ない。
〈戻る〉ボタンを押し、再び〈再生〉ボタンを押すと、音声が出て正常になった。
 最初は、その状態が起こるのが、時々であり、毎日というほど頻繁ではなかったし、1日に1回だけなのである。
 けれど、たとえば報道番組などの再生で、画面は見ずに音声だけを聞いている時、急に音が消えてしまうと、キッチンでの用事を中断し、テレビの前に来て〈戻る〉ボタンを押し、〈再生〉ボタンを押さなければならない。1日に1回ではなく、今後はそれが頻繁になっていくことは予想できる。
 テレビの故障の始まりは、音声が出なくなることというネット記事を読み、
(やっぱり壊れちゃったんだわ)
 直す方法なんてないわと諦め、ようやく買いに行くことを決めた。
 家電量販店へ行くのは、いつもワクワクする。デパートへ行く時と同じくらいの浮き浮きワクワク感に包まれながら、30度以上の暑い日中、汗を拭き拭き出かけた。汗かき体質のため、毎年、夏は汗との闘いである。猛暑の夏に限らない。
 今年の夏も、汗と闘いながら、頻繁に外出した。
(こんなはずじゃなかった)
 と、顔の汗を拭きながら何度も呟くのは、昨夏は、きっと来年はエアコンの涼しい部屋で映画を観たり読書したり、毎日のんびりできるはずと思っていたからである。
 メモ・ダイアリーを見ると、8月は何と15日も外出したと気づき、驚いた。春や秋ならともかく、猛暑酷暑の真夏である。特に午後から気温は上昇し、夕方になってもおさまらない暑気に包まれるといった日々、ついに〈頭痛の予兆〉を感じた。
 と言っても、立ち止まるとか、あ、痛いという呟きはなかった。正確には頭痛という痛みではなく、痛みが起こりそうな予感であり予兆と言いたくなる感覚なのだった。
 その日は新宿へ出かけた帰りで、最寄り駅前のスーパーに寄らずに帰宅した。
(今日は炎天下を歩き過ぎちゃったわ)
 つくづく反省した。必要に迫られての買い物があり、新宿の南口から西口へと歩き、数時間後に東口へと歩き、数時間後に南口へと歩き回ったりした。炎天下の道路も駅構内も気温は高く、汗を拭きどおしだったと思い出したし、早くレストランで休みたいと歩き疲れてもいた。
(頭痛なんか起きたら大変)
 と、慌てた。3年前、首の寝違いを起こした時、初めて頭痛を経験したことを思い出した。
 自宅に向かって歩きながら頭に浮かんだのは、〈熱中症〉という言葉だった。熱中症の症状に頭痛があったような気がしたのだ。
 次に頭に浮かんだのは、身体は1年ごとに衰えるということだった。真夏の頻繁な外出が、昨年大丈夫だったから今年も大丈夫とは限らない、身体は歳月と共に老化して衰えていくということだった。持病も基礎疾患もなく、風邪やインフルエンザやコロナに感染もせず、関節痛もなく入院経験もないからと健康を過信してはいけないということもだった。
 私はこの世に生を受けたばかりの時から、約8年間、虚弱体質の時期が続いた昔のことが、そんな時は、いつも脳裏に甦る。この時も、そうだった。
(頭痛なんか起きたら大変)
 その呟きを繰り返しながら、夕食は済んでいるから、早く入浴して歯磨きと肌と髪の手入れをして、録画のビデオは見ずに、早くベッドに入り、スマホのニュース速報を読んで早く眠らなくちゃ――と、それらの自分の行動を一つ一つ思い浮かべていると、精神状態が少し安定してきた。
 ところが新しいテレビを買いに行く決心のワクワク気分に包まれたものの、まだ真夏日のような日々が続き、毎朝パソコンに向かうと天気予報のサイトを見る習慣があるが、
 ――外出は控えて―― 
 ――外出は炎天下を避けて――
 というようなメッセージの表示がある日ばかり続く。
 さらに、居住区から〈熱中症警戒アラート〉の通知メールが頻繁に届く。
(熱中症にならないようにしなくちゃ)
(頭痛なんか起きたら大変)
(猛暑の暑気に包まれながら歩くのは身体に良くないわ)
 そう思いながらも、数日後、日中の気温は30度以上だが思いきって出かけた。音声が消えるたびテレビの〈戻る〉ボタンを押し、再び〈再生〉ボタンを押すことに嫌気がさしてきたし、早く新しいテレビを買いたくなったからでもあった。
 テレビを買った後、他のフロアをいくつか見て回り、3時間半ほどして店を出た。前回は新宿で夕食をすませたが、その日は自宅を出た時から早く帰るつもりで、夜遅くにはならなかったので、電車を降りて最寄り駅前のカフェでパスタの食事をして、2軒のスーパーに寄って帰宅した。
(今日は家電量販店だけにして良かった)
 入浴しながら、つくづく安堵した。夕方まで気温は高かったが、先日のような頭痛の予兆もなく、熱中症にもならずにすんだ。
 翌週、テレビが届けられたが、思いも寄らないできごと、全く想像もできないようなハプニングが、その日、待ち受けていたのである。  〔続く〕


落胆の歯科医院

2024年08月25日 | 最近のできごと
 歯科医院の待合室ではなく、診察室の片隅で待つように言われ、やがて医師が声をかけながら姿を現した。
 診察申込書のチェックを入れた項目の、私の虫歯の詰め物のレジンがはがれた箇所を医師は見たり、
「今はレジンも進化してるから、はがれないですよ」
 とか、他にも二言三言のやり取りの後、診察台に移るように言われた。
 中高年の歯科助手さんが来て、口すすぎ台に紙コップを置き、私の胸の上に、紙製のエプロンをかけた。
 診察台を倒されて、私の身体は水平に近い角度に横たわる姿勢になった。
「40年とはよく保(も)ちましたね」
 傍に来た医師がそう言いながら、椅子に腰を下ろした。
 歯磨きは現在と同様、起床時、朝食後、昼食後、夕食後と1日4回していたが、私の人生で生活が大きく変わった時期の数年間、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを5杯も6杯も飲んでいて虫歯になってしまったのだ。
 その後、2回ぐらいは虫歯になったが、中高年のころ、クリーニングで初めて行った歯科医師から、
「甘い物は好きじゃないんですか?」
 と質問されたことがある。
「いえ、好きです、チョコレートとかケーキとか」
 そう答えた。あの時の医師は、颯爽としたイケメン・ドクターだったと思い出した。
「口を開けて」
 治療器具を手にして医師が言った。
「はい」
「麻酔はしませんからね」
「はい」
 答えながら、急に不安感に襲われた。痛みに人一倍弱い私は、麻酔しないで痛みに耐えることになるのかと恐怖に包まれた。
 医師が治療器具を使い始めた。
(怖い~)
(痛いの嫌~)
(どうして麻酔してくれないのかしら)
(や、やめて~)
(帰る~)
 と、もうパニック状態。
(来なければ良かった、痛いの嫌い、帰りたい~!)
 ところが――。
 治療器具を医師が使っている間、痛みは全く感じなかった。
 治療は、5分ぐらいで、終了。
 そんなに早いと思わなかった。しかも、少しの痛みもなく、である。
(何て名医の先生!)
 感動した。
 治療台を起こされ、
「口すすいで」
 医師がそう言った。
「はい」
 水が入った紙コップを手にして口に触れさせた瞬間、
(あれ?)
 一瞬、手が止まったが、思いきってブクブクして、持っていたハンカチで口を拭いた。 
 医師が歯科助手さんに手鏡を持って来るように言い、その手鏡を渡されてレジンの修復の歯を見たら、両隣の天然歯と色もほとんど同じで、
「わあ、きれい。もう終わりですか?」
 思わずそう言うと、
「終わりです」
 医師が淡々と答えた。
「早くて上手ですね」
 私は言った。
「クリーニングはしてますか?」
「引っ越しで慌ただしかったので、1年近く行ってないんです」
「歯石はあまり付いてないみたいだけど、1年も経ってるなら、次回、しましょう」
「はい」
 礼を述べて診察室を出た。
 少し待ってから、受付カウンター前で治療費を支払った。
「次回の予約は……」
 と、予約の準備をしながら歯科助手さんが言いかけたので、
「いろいろ雑用があって今週来週はバタバタしてるので、落ち着いたらネット予約します」
 そう答えた。
「ネット予約ですね、わかりました」
 歯科助手さんがやさしい微笑を浮かべて言った。
 歯科医院を出て、小さな解放感に包まれながら、
(あそこは、もう行かない)
 そう決めた。理由は、紙コップである。
(あれは間違いなく、新品の紙コップじゃなかった)
 変な匂いはしなかったし、見た目ではわからなかったが、新品の紙コップは新品の匂いと感触がするものである。それが、なかった。
 私が神経質過ぎるということもあるが、神経質だからこそ新品と使い回しの紙コップの違いが、わかるのである。
(あの紙エプロンも使い回しだったかも)
 患者は緊張しているし、わからないと思っているかもしれないが、変な匂いや汚れの色が付いてなくても、神経質な患者にはちゃんとわかるのである。医師が採算を考えての指導なのか、歯科助手が仕事をサボったのか、水ですすいで乾かしたのか、わからないけれど。
 スーパーで買い物して帰宅後、入浴して歯磨きもして何度も口の中をすすいだり、うがいしたりしたのは言うまでもないこと。
(早くて上手な歯科医師で、やさしく感じの良い歯科助手がいても、不衛生な医院には行きたくないわ)
(どこの歯科医院に、クリーニングに行こうかしら)
 駅前商店街の路地を歩き回りながら、ここにもあそこにもと、頻繁に眼に触れる〈歯科〉の看板。
(明日から、またネットであちこちの情報を閲覧しなくちゃ)
 こうして私の歯科医院探しが、また始まったのである。