一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

空腹感と食欲

2025年02月05日 | 最近のできごと
 空腹感と食欲の違いを感じるという初めての経験をした。
 今までは、空腹感と食欲は同じと思っていた。
 けれど、その違いを知ったのだ。
 空腹感は、お腹が空くという感覚。
 食欲は、食べたいという欲求。
 食事は1日3食。毎日、決まった時間に朝食・昼食・夕食を食べることが健康に良いと思ってそうしていたが、10年ぐらい前から、お腹が空いたら食べるという習慣になった。
 起床時間が決まっていないので朝食は毎日違う時間だが、時計を見て昼食の時間、夕食の時間というより、空腹になって食べるほうが、私にとっては健康に良いと考えたからだった。
 それで、お腹が空いたと空腹を感じて食べようとするが、最近、食欲をあまり感じないことに気づいた。
 お腹は空いているのに、食べたいという欲求が、湧き起こらないのである。
 ともかくお腹が空いているのだからと食べ始めるが、美味しさが半減している。
 どうしてかしらと、原因を考えてみた。
 精神不安定のせいかもしれない。
 自律神経の乱れのせいかもしれない。
 このまま続いたら、心の病気になるかもしれない。身体は健康でも、メンタルが弱い私は、いつ心の病気になってもおかしくない。
 けれど――。
 今日はあまり空腹感と食欲の違いを感じなかった。
 肉親の医療病院への転院が、なかなか適(かな)わず、2度目の手術。1度目と少し違う方法らしい。 
 今度こそ、目を開けてくれて意識障害も改善して、お喋りできる! その思いが胸に熱く広がり、希望の光に包まれたような日。
 最初はお喋りできるだけでいい。
 私は現代医療を信じている。

精神不安定

2025年01月26日 | 最近のできごと
 情緒不安定と精神不安定の日々を過ごしている。
 それを知った日は、気が動転していることを自覚した。
 固定電話、携帯電話、PCメール、携帯メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。私の娘と2人の姪とのやり取りを何度もしながら、こんな日が来るなんてと涙があふれ続けた。
 キッチンでは料理の手順を間違え、寝室ではチェストの開ける引き出しを間違え、食事の時にテレビを見ても画面が眼に入らなかった。気が動転する経験は人生で数えるくらいしかないと気づく。
 2日目も私の精神状態は乱れ続け、情緒不安定の波に襲われ続けた。その日も、電話、メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。
 3日目はもう、限界。居ても立ってもいられなかった。
 正午に自宅を後にした。コンビニに寄り、2つ買い物。駅前商店街の菓子店で買い物した後、予想外のことが起きた。顔なじみの熟年店員女性のアドバイスで、菓子を配送の手続き、郵便局で書留の手続き。姪にショートメッセージで住所の確認。
 八王子へ初めて行った。自宅の最寄り駅から京王八王子駅まで、電車で30分。駅に到着して、タクシーに乗り、行き先の病院名を告げる。
 運転手さんが、やたらと話しかけてくる。
 聞かれて、短く答える時、思わず泣き声になった。情緒不安定と精神不安定を自覚した。自宅で何度も涙があふれたが、人前で泣きそうになるとは思わなかった。
 もう私は沈黙し、察した運転手さんも話しかけて来ず、10分ぐらいで到着。
 救急外来で受付。面会時間は午後2時から4時までと聞いていた。午後2時前だったが受け付けてくれた。
 ナースステーションで声をかけ、病室を確認してから、担当看護師さんの話を希望した。
 やさしくて優秀で思いやりのあるベテラン看護師さんで、ホッとした。
 4人部屋の病室。初めて見る姿に、涙があふれた。 
 意識障害。救急搬送。小脳出血。手術。リハビリ。医療病院への転院の予定。チューブ流動食。前日の嘔吐。胃腸を休めるため、点滴と酸素マスク。看護師さんから、いろいろ説明されたり教えられたりした。
「回復の可能性はありますか」
 私は聞いた。医師から告げられた姪の言葉がかすめたが、聞かずにいられなかった。
「可能性は、あります」
 看護師さんが答えた。やさしいその言葉が、うれしかった。
 私が言葉をかけると、うなずくような声がした。言葉をかけるたび、声は発するが、言葉は出なかった。
「そうやって言葉をかけると、脳にいいんですよ」
 看護師さんが言った。
 看護師さんから、いくつか質問され、答える時、また泣き声になってしまった。私の情緒不安定と精神不安定はおさまらない。
 20分ぐらい話を聞いて、看護師さんにお礼を言った。
 椅子がなかったので、去り際に看護師さんは私が腕にかかえていたコートとバッグをベッドの端に置き、その横に座るように言ってくれた。お礼の言葉は口にしたが、病室のベッドは狭く、腰を下ろす気になれなかった。
 言葉をかけ続け、1時間以上立っていたら足が少し痛くなってきた。5時間も6時間も立ったまま仕事している高齢の店員さんたちだっているのにと、もっと足を鍛えなくちゃと思った。手を両手で包み込むようにしながら、しゃがみ込んだり、立ったりを繰り返した。
 また会いに来ると何度も言って病室を出た。受付で、胸に下げていた面会者プレートを返した時、午後4時近くだった。
 バス停を探して、帰りはバスに乗り、窓外の景色に眼をやりながら、初めて見る横たわった姿が脳裡によみがえった。一言も言葉を交わせなかったと、胸に呟いた瞬間、熱いものが喉元に突き上げ、私は泣き出していた。
 その日から一週間余り、食欲があまりなく、夜はなかなか寝つけない。情緒不安定と精神不安定は、まだ続いている。

テレビ三昧の予感

2024年12月15日 | 最近のできごと
 シアタースタンドの上に55インチのテレビは置けなくて、50インチのテレビを買い直すことになったが、新宿の家電量販店へ出かけたのは翌々日だった。配送と設置の業者が2時間近くリビングにいたため、疲弊した私の神経と精神を、一日かかって和らげなければならなかった。
(洗濯機の業者のこと、もっと早く言えばよかった)
 ソファにぐったり横になり、スマホのパズルをしながら、そのことが何度も悔やまれた。
 ふと思いついた言葉を口にしたのだが、あの業者がおざなりなチェックをしたのがいけなかったのだ。そのことにようやく気がついて、ようやく帰ってくれて、ようやく私は解放感に包まれた。
(まるで軟禁でもされちゃったみたいな気分だったわ)
(私の性格って、赤の他人から馴れ馴れしくされるのが嫌いなのかも)
(どうして、家電量販店の店員や上司との長電話を、車の中でしなかったのかしら)
 などと、あれこれ考えめぐらせたり思いめぐらせたり。
 友人や肉親にその話をすると、
「言えばよかったのに、用事があるとかって時計見て、どうして言わなかったの?」
「言えなかったのよ、何だか怖くて、私って神経が太くないから」
「居心地良かったんじゃないの?」
「居心地、ですって?! 冗談じゃないわ! コーヒー出したわけでもないしソファに座らせたわけでもないのに」
「業者の気持ちもわからなくはないけど、箱から開けたテレビが置けないんじゃ」
「その日は暇だったんだろう」
 などなど他にもいろいろ言われたが、結局、誰も私の気持ちをわかってくれない、誰も理解してくれない、大変だったわねと、誰も慰めてくれないのである。
(人間は他人を理解することはできないって養老先生の本に書いてあったわ)
(私なんて自分のことだって、よくわからないのに)
 その翌日、私の精神と神経の昂ぶりがおさまったので、午後から家電量販店へ出かけた。
(今日もいるといいナ、あの店員さん、ううん店長さん)
 どこか他の店員と雰囲気が違うと思った。
(そう言えば……)
 何年前だろう、マウスを買いに行った。買って来て、すぐに使わなかったのは、そのころ、ある文書を作成していて、区切りが付いたら新しいマウスに交換しようと決めていた。故障したのではなく、使えるのだが、少し不調が起きていた。動作がスムーズではないことが時々あったのだ。
 ただ、その文書作成中に、買って来たマウスと交換すると、気が散るかもという気がした。ようやく区切りが付いたので、新しいマウスにしたら、全然使えなかった。新品の電池を再度、交換しても駄目だった。取説を読んだら、パソコンと合わないこともあるというようなことが書かれていてショックを受けた。ネット記事で調べても同じようなことが書かれている。
(そんなことってあるのオ)
 そのマウスを持って、家電量販店へ。商品とレシートを見せて店員に話すと、すぐに他の商品と交換してくれると思ったら、店内の隅のほうの一角にテーブルと椅子があり、修理コーナーらしく担当者がいて、そこに案内された。
 商品とレシートを見た若い店員が、
「工場に修理に出しますから」
 と言うので、私は驚き、
「一度も使ってないのに、使ってて故障したわけじゃないのに、商品の交換じゃなく、修理するんですか、これを」
 と聞き返した。
 すると、いかにも真面目そうな、忠実そうな、比較的若いその店員は、ていねいに説明を始めた。
「初期不良の交換は1週間以内なんです。買ってから半月以上経っているので初期不良の交換はできないんです。工場に戻して修理する決まりなんです」
「だって私、区切りがついたら新しいマウスに変えようって決めて、その間、新品のまま置いておいたんですけど、古いマウスがまだ使えたので区切りがつかないうちに変えると気が散りそうだから」
「でも、そういう決まりなんです」
「今日、交換してもらえると思っていたのに……電車に乗って出かけて来たのに……明日から新しいマウス使えると思ってたのに……」
 相手の同情を引くような、今にも泣きそうな口調をちょっぴり演技して言ったが、その店員は困惑顔もせず、
「初期不良の交換は1週間以内じゃないと、できないんです」
 これこそ正しい対応と自信ありげな口調で繰り返した。
 その時、店内をぶらつくような歩き方で近づいて来て途中から2人のやり取りを見ていた店員が、若い店員の肩を小さく押すようにして、椅子から離れさせた。そのしぐさだけで、自分が代わるという言葉は、一言も発しなかった。若い店員は一瞬、不満げな表情を浮かべ、黙って去って行った。
 その時のベテラン店員の無言のしぐさと、若い店員の不満げな表情を、今でも記憶しているのはつくづく感心したからだった。
 テーブルの前にベテラン店員が座ったので、私は救われたような気分に包まれた。
「私、区切りが付いたら新しいマウスに変えようと決めてて、半月以上経っちゃったんです、そしたら、新しいマウスが全然使えなくて、初期不良の交換は1週間以内じゃないとできないって言われて」
 途中から聞いてわかっていると思ったが、勢い込んで言った。すると、ベテラン店員さんが、
「いいですよ、今日、他のと交換します」
 爽やかな声と口調で言った。
「本当? ああ、良かった」
(さすがベテラン店員は違うわね、あの若い店員、融通がきかないんだから)
 内心、そう呟く。
「今日交換したマウスがまたパソコンと合わなくて使えないと嫌だから、ワイヤレスじゃなく、有線のほうにしようかしら」
 迷いながら言うと、店員さんもそのほうがいいと答えたので、有線マウスを買うことにした。
 店員さんが、マウスの陳列棚へ案内してくれて、商品を選んだ。
 私の手は小さいので、サンプルの小さいマウスを10個以上試してみた。店員さんは、そのたびに商品の説明やアドバイスをしてくれた。色の好み、形、握り具合など1つずつ試して、30分以上、時間がかかった。
(あの時のベテラン店員も、店長さんだったのかも……)
 顔ははっきり記憶にないが、話し方と雰囲気が似ている。
(たいてい店員は、私の好みや条件から探して、すすめる商品を買わせようとするけれど、私が気に入る商品を見つけるまで、ずっと一緒に探してくれた)
 テレビの時と同じである。
(今日も会えるかしら)
(店長はいつも店に出ているとは限らないのかも)
 その店の店員は、メーカーの派遣店員と店の店員がたくさんいたが、コロナのころから少ないことに気づいた。以前のように、「メーカーの店員さんは?」と聞いても、今日は来ていないと言われることがあったりした。
 まるで恋心に近いような感情に包まれながらワクワクドキドキ、店に到着したが、買い直しのレジの所で配送の日にちや時間の予約のやり取りの時に、あの店長さんはいなかった。
 配送はその翌々日の午後。当日、配送の正確な時間の確認の電話がかかり、相手が、「この間の○○です」と親しげな口調。
 リビングに新しいテレビが運ばれ、問題なくシアタースタンドの上に置くことができた。
 少しでも話しかけられると、時計へ眼をやり、察した業者は作業を黙々とすませて、終了。
 引き取りの古いテレビと段ボールをかかえた業者の後から、玄関へ。
「今日は早くすみましたね」
 良かったわという気持ちで言うと、
「そうですね」
 と業者。
 短い時間ですんだので、私は機嫌良く、サンダルをはき玄関の外へ。
 業者が、テレビと段ボールをかかえたまま、やりにくそうにポーチの扉を閉めようとするので、
「いいですよう、私が閉めますから、ご苦労様~」
 機嫌良く言って送り出した。
 リビングと廊下の床掃除をして、新しいテレビをつけた。
(あ~ら、きれい、4Kってこんなにきれいなの)
(明日から当分、テレビ三昧(ざんまい)になっちゃうかも)
 音質や画質や、その他の設定を次々していくのも、ワクワク気分である。
 夜は録画の映画を観るつもりだったが、その前に報道番組を見た。
 総裁選で、石破茂総理が誕生した日だった。

     

困惑の配送&設置業者

2024年12月01日 | 最近のできごと
 新しいテレビの配送と設置の日、業者から時間の確認の電話がかかってきた。
 配送の日にちと、3時間の幅の時刻は指定してあるが、他の家を回った後の正確な時間を伝えて来たのだ。
 やがて、その時刻に、エントランスのインターフォン。リビングの壁の小さなモニター画面に、作業服を着た業者の顔と姿が映り、解錠ボタンを押す。
 少ししてから玄関に降り、通路に面したポーチの扉を開けたままにして、そこで待つ。
 エレベーターの到着の合図音がして、通路に出ると、中年に見える長身の業者と挨拶を交わした。
 業者は、まだテレビの段ボール箱を持っていない。エアコンやベッドなど大型の家電製品や家具は、商品を運んで設置する前に、どの部屋のどの場所かを見て確認するのは、どの業者も同じだった。
 廊下からリビングに入り、ここです、同じ所にとテレビを指さした。
「はい、わかりました」
「設置の作業のスペース、大丈夫ですか?」
 業者に必ず聞く言葉だが、いろいろな物の片付けは、いつも手間と時間がかかる。ソファは動かせないが、センターテーブルや、小さなチェストや、テーブル付きマガジンラックや他の物などを窓際に寄せておいたり、写真やその他、見られたくない物を他の部屋へ一時置きしたり。
「大丈夫です」
 業者が答え、テレビの背後のコンセントのコードを、すべてはずし、シアタースタンドの上からテレビをゆっくり下ろして床に置く。
 私は除菌ティッシュとウエスでシアタースタンドの上の埃を拭いた。ふだんからマメに拭いていたが、後ろ側の拭きにくい場所は埃が少し残っていた。
 業者が出て行き、しばらくして、新しいテレビの段ボールを運んで来た。
 その箱は予想以上に大きかったので、
「ずいぶん大きな段ボール」
 と、思わず言ったら、
「55インチは結構大きいですよ。店で見るより」
 段ボールの箱を開けながら、業者はチラッとシアタースタンドへ眼をやって、「乗るかな」と、一人言のように呟いた。乗るとは、乗せる、置くという意味。
 テレビと付属の4K用ケーブルなど、すべて段ボールから取り出した業者が、「乗るかな」とまた呟き、立ったままシアタースタンドを見て困惑したような顔付きになった。
「駄目です。乗りませんね」
「えええええっ!」
「乗りません」
「ギリギリでも」
「ギリギリでも駄目ですね」
 乗せてみましょうか、とでも言うように、業者が新しいテレビをシアタースタンドの上に乗せかけてみせた。
「あら、ほんと!」
 古いテレビは中央に支える部分があった。新しいテレビも同じとばかり思い込んでいたのである。
 けれど、新しいテレビは支える部分が、中央ではなく、テレビの左右の側面の真下に付いているのである。シアタースタンドの幅が、わずかに足りないのだった。
「ここのこと、何て言うんですか?」
 支えの部分を指さして聞く。
「アシです」
 業者が答えた。足か脚ということらしい。
「お店で買う時、中央に脚があると思い込んでたわ。モニター画面ばかり気にして見ていて、その脚は全然、見なかったわ」
「普通、見ませんよね」
 業者が言った。
(だからなのね!)
 購入した時のことを思い出し、納得した。店員が、私が以前購入したシアタースタンドの幅のサイズと、55インチの脚の幅のサイズをパソコンで確認して戻って来た時、私は55インチのテレビの幅のほうが大きいから何センチはみ出るかと真っ先に質問したのはモニター画面のことだった。脚のことなど全く念頭になかったからである。
 その質問に答えた後、あの好感の持てる店員さんは、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 と言ったのである。
 確かに、シアタースタンドの上に、まるで乗らないわけではなく、あと数センチという感じだった。
 つまり、ギリギリ乗るかもしれないということではなく、ギリギリ乗らないかもしれないということだったのである。
 そう気づいて、内心、クスクス笑ってしまいたくなった。店員さんは、多分乗らないとわかっていたのかもしれないが、私があまりにもそのサイズのテレビを欲しい欲しいとはしゃいでいるので、つい、水を差したくないとでもいうような気分だったように想像された。乗らなければ50インチのテレビと交換すればいいのだと。
 けれど私は、大丈夫よ、ちゃんとシアタースタンドの上に置けるわと100パーセント思い込んでいたため、
「ギリギリ乗るかもしれませんね。もし乗らなかったら、50インチのと交換すればいいですね」
 という店員さんの言葉が、ちょっぴり蛇足のように感じられてしまったことも思い出した。脳天気な私である。
「どうしようかな、段ボール開けちゃったし、どうしようかな」
 業者が困惑したように繰り返している。どうしようという言葉を繰り返す業者が、不思議な気がした。新しいテレビを持ち帰ればいいのだ。後日、店で買い直しの精算をして、配送日を決め、50インチのテレビを設置してもらえばいいだけなのだと思ったが、あえて言わなかった。
 店で買い直しの精算は経験がある。その家電量販店に入っている〈○○工房〉という店でカーテンを購入した時、帰りの電車の中で気が変わって、翌日、店舗に電話し、レースのミラー・カーテンはあの商品を買うが、厚地のリバーシブル・カーテンのほうはやめて選び直すと伝えた。オーダーカーテンなので、商品はまだ配送されていないし、作製もまだの時だった。翌日、店舗へ行き、再度、カタログから写真とサンプル布を見て選び直した後、買い直しの精算をした。
 どうしようかと迷う言葉を繰り返していた業者が、思いがけない説明を始めた。
「一度、開けた段ボールに、このテレビを入れて車で運ぶと、小さな傷が付くことがあって、そうすると、うちの会社が弁償しなくちゃならないんですよ」
「車で運ぶと小さな傷が付く?」
「付きます、車は揺れるから」
「経験あるんですか?」
「あります。そしたら工場へ返す時、うちの会社が弁償しなくちゃならないんです」
「そうなんですか。知らなかったわ」
「困ったな、どうしようかな」
「50インチのなら、乗りますよね」
「乗ります」
「最初は50インチのほうを買うつもりだったんですけど、55インチのを見たら買いたくなって、販売の店員さんがシアタースタンドの幅をパソコンで調べて、ギリギリ乗るかもしれないけど、もし乗らなかったら、50インチのテレビと交換すればいいですねって言ったんです」
 その私の言葉に、業者はええっと驚き、顔色を変えた。
「何だ、それじゃメッセージに一言書いてくれたら良かったんだ! 何も書いてない! Yなんか細か~くメッセージに書いてくれますよ、だからBは駄目なんだ!」
 もう激怒と言っていいくらいの怒りようである。怒っているのは店に対してで、私にではないが、まるで私に怒っているように感じられるほど、その業者が急に怖くなった。
「Bでは買わないほうがいいですよ、BよりYのほうがいいですよ。レシート、ありますか?」
 私はレシートを持って来て、業者に渡した。
 業者はポケットからスマホを取り出し、レシートを見ながら新宿の家電量販店Bへ電話した。
 それから延々と、業者は憤慨と攻撃的な口調で、レシートに記載のレジ担当者や、販売の店員や、自分の会社の上司と、何度も電話のやり取りを続けた。箱から開けちゃったという言葉を繰り返しながらだった。
 私の精神状態は、もう息苦しさを覚えそうなほど疲弊して、何でもいいから早く、新しいテレビを持って業者に部屋から出て行って欲しかった。
 時計を見ると、1時間以上、経っている。
 友人でもなく肉親でもなく知人でもなく、赤の他人の業者が、私の部屋に長時間いることに耐えられないのだった。
 リビングの床に置かれた新しいテレビと古いテレビと大きな段ボールを眼にすると、つくづく嫌気がさし、その業者への不信と嫌悪に近い感情に襲われた。一体、いつまでそれらを、置いたままにしておくつもりなのかと。
(窓を開けておいて良かった)
 ふと、そう思ったのは、呼吸困難という言葉が浮かぶほど、自分の精神状態が不安になったからだった。
 延々と、呆れるほど長時間、電話のやり取りを繰り返していた業者が電話を切って、またBに電話をかけて話し始めた。
 それは比較的短かったが、電話を切ると、「店長……」と吐き捨てるように軽蔑したように言い、すぐに、「責任者」と、同じ吐き捨てるような口調で呟いた。
 その時、固定電話がかかって来た。隣の部屋へ行き、電話に出ると、販売を担当した店員からで明るく爽やかな声と口調だった。私の名前を確認する言葉を耳にした瞬間、私の心は温かなさざ波に包まれた。
「テレビ、ちゃんと交換しますから。精算する必要があるので、都合の良い日にまた店に来て下さい。大丈夫ですから、ちゃんと交換しますからね」
 その言葉を聞いたとたん、安堵の波が押し寄せてきた。今、業者といて困っていることを見透かしているようにも感じられた。それは本当に深くもあり温かくもある安堵の波で包み込まれたような感覚だった。
 電話を終えてリビングに戻ると、
「Bからですか?」
 業者が聞いた。
「はい。交換するって」
「ちょっと車の所に行って来ますから」
 と業者が言い、「すみません、またエントランスお願いします」
「はい」
 業者が出て行くと、窓辺へ行き、深呼吸した。その時、販売を担当した店員は、業者が吐き捨てるように言った店長だったと気がついた。
 10分くらい経って、またインターフォン。
 戻って来た業者は、新しいテレビを段ボールに入れて持ち運んで帰るかと思ったら、立ったまま、まだB店への非難を口にし始めたので、サイコパスという言葉が浮かんだほどだった。
「それで話はつきました?」
 私は聞いた。
「今、上司とBで話し合ってる」
 業者が答えた。
「半年前、洗濯機を買った時、今まで8キロだったのを10キロに買い換えたのだけど、その時店員さんから洗濯パンのサイズ、奥行きが今より5センチのスペースの余裕がないと置けないと言われて、見積もりを提案されたけど、多分置けると思って購入したら、帰宅して見てみると少しは空いてるけど5センチあるかどうか、後ろだから測れなくて、置けなかったらどうしようって配送の前日は寝付けなかった、置けて良かったわって業者さんに言ったら、設置前に必ずチェックしますから、段ボールの箱開けちゃうと工場に返品できないんですよ、だから段ボール開ける前に、必ずチェックしますって言ってたわ」
 そう言うと、業者は、「ああ」と急に元気のない声で呟き、ようやく自分の過失に気がついたように、新しいテレビを段ボールに詰め始めた。
 それから古いテレビを元どおりにシアタースタンドの上に置き、電源コードを接続した後、ようやく新しいテレビの段ボールをかかえてリビングを出ると、廊下を歩きながら、
「また、ぼくが来ますよ」
 と言ったが、私は無言だった。
 玄関では、「ご苦労様」と言ったけれど。
(ああ、疲れた~)
 リビングに戻って、時計を見ると精神衛生に悪いから、時刻を知るのはやめた。多分、1時間半か2時間近く経っていた。
 その夜、思い返してみて、私は自分の神経が細く、精神が虚弱なのだと、あらためて思い、息苦しさのあまり呼吸困難にならなくて良かったと、つくづく思った。   〔続く〕 




新しいテレビを買った日

2024年10月20日 | 最近のできごと
 テレビを買い換えるために家電量販店へ行く日、最寄り駅まで歩く時も電車に乗っている時も、浮き浮きワクワク。
(新しいテレビ、新しいテレビ、うれしいナうれしいナうれしいナ)
 新宿にある家電量販店の入り口で、フロア案内の看板を見なくても、テレビは何階かわかっている。ワクワク気分に包まれながら、エスカレーターで上がり、数々のテレビが並べてあるフロアのコーナーへ。
 現在のと同じメーカー商品のソニーのブラビアと決めていたが、ひととおり他のメーカーの商品も見て回った。
 リビングダイニングが9畳に満たないし正方形に近い形なので、あまり大きいサイズは部屋に圧迫感が出て狭く見えると思った。一回り大きなサイズの50インチのテレビを、現在の室内の広さで大丈夫と友人には言われていた。
 ――テレビは小さいほうが部屋は広く見える――
 と、時々見るYouTubeで発信しているインテリア・コーディネーターのコメントも、記憶していた。そのインテリア・コーディネーターのチャンネルは、発見があったり感心したり見応えがあるので、一時期、毎日のように見ていた。
 店内には70インチや90インチなど大型テレビがたくさん並べてあり、50インチは奥まったスペースに少しだけ置かれていた。
 商品の詳細カードに書かれた液晶と有機ELの違いについて店員に聞こうと思い、通路側へ戻ってみると、少し離れた所に2人の男性店員が話し込んでいた。雑談ではなく、明らかに仕事の話という雰囲気である。
(中断させちゃ悪いみたい)
 傍の商品のいくつかに眼をやりながら、少し待っていた。そんなところは結構、私はやさしい性格なのである。誰もそう言ってくれないけれど。
 数分後、ゆっくりと歩み寄り、2人を見て立っていると、1人が、何か私が聞きたそうだと気づき、傍へ来た。2人のうち、多くを話していた先輩店員に見える爽やかルックスの店員さんで、内心、ホッとした。
「液晶と有機ELの違いについて説明して下さい」
 そう言うと、店員さんは並べてある商品の液晶テレビと有機ELテレビに眼を向けたり手振りを混じえたりしながら、解像度や商品の薄さや視野の角度や色彩の濃淡などの違いを説明した。
 あらためて液晶テレビと有機ELテレビの画面を見較べると、有機ELのほうが色彩が濃厚である。数回見較べて、
「有機ELのほうが色が、すごく濃いわね。見慣れているテレビが液晶のせいか、このテレビで嫌いな芸能人の顔がアップに映し出されたら、のけぞっちゃいそう」
 思わず言うと、店員さんはフフフッと笑って、
「そうですね」
 同感の言葉を口にする店員さんに、いっそう好感が持てた。
「確かに、くっきりと鮮やかな色彩だけれど、ちょっと不自然なほど濃いみたい。私は液晶のほうが好きだわ。ドキュメンタリーや報道番組ならまだしも、映画は穏やかというか自然な色彩のほうが絶対いいし好きだわ」
 映画のシーンを思い浮かべながら液晶テレビと有機ELテレビのモニター画面を見較べて言った。
「サイズは50インチがいいんですけど、ソニーのブラビアの50インチは……」
「あ、こちらです」
 多くのテレビが陳列されてある間の角を曲がったりしながら一番奥のスペースへ行く。
「これが50インチです」
「これね。いいわ、これ買います」
「ありがとうございます」
 通路のほうへ2人で戻りかけた時、 
「そうそう、去年、55インチのテレビに買い換えた知人がいるの。ブラビアの55インチ、ちょっと見てみたい」
 そう言うと、爽やかルックス店員さんが、「こちらです」と案内してくれて、また角を曲がったりして戻り、55インチのブラビアを指さした。
 その55インチのブラビアを見た私は、50インチよりサイズがかなり大きくなるというほどでもなく、見ているうちにそれのほうが買いたくなってしまった。
「私、こっちのほうがいいわ、これ欲しいわ、50インチより少し大きいだけでしょ? 部屋は広くないから大型は欲しくないけど、今のより少し大きいこれがいいわ、55インチのほうを買います」
「こちらですね。ありがとうございます。テレビ台は?」
「ソニーのシアターラックの上に置いてあるの。私が買った時はシアターラックという名称が、その後シアタースタンドになったみたい。40インチのテレビの幅とちょうど同じ幅なの。55インチだとモニターの両端が、どのくらいはみ出るかしら」
 あまりはみ出たら、見た目が気になるかもと思ったが、それでもと55インチのほうを欲しくなっていた。
「置けるかな。ちょっと調べて来ます」
 爽やかルックス店員さんはその場を離れ、店内のところどころに置かれているパソコンでサイズを調べに行った。
 間もなく店員さんが戻って来た。
「15センチぐらい? 右側と左側にはみ出るの」
「いや、そんなには」
「10センチぐらい?」
「そのぐらいです。置けると思いますけど、置けなかったら50インチのほうと交換ということで」
「はい」
「じゃ、こちらへ」
 案内されて購入の手続きのテーブルへ。
 ということで、その翌週、新しいテレビが配送された。
 ところが――。
 スピーカーの下に2台のビデオレコーダーが上下に設置されているシアタースタンドの上に、購入したテレビが置けなかったのである。  〔続く〕