三重県名張市「宇流冨志祢神社」の名前に宇流志祢の文字が入っておりますが、ここへ辿り着くのに苦労しました。神社だけで貴くて、さらに「富」が名張の土を肥やしているようでもっと嬉しくなります。じつに多くの人たちの様ざまの想いの結晶が土地の発展へ向うところで大輪の花が咲くような、そんなことまで想われております。
宇流志祢は「杭」から来たのかなと勝手に想像しておりますが、大阪で「杭」といえば当然ですが「杭全神社」ですからね、杭に非の打ち所は元々ありません。なんのための杭かと想えば、宇宙を支え、天を支え、屋根を支え、私を支えている有り難い杭。この理解でおそらく外れていないと思いますが、いかがでしょうか?
中国から日本にやってきた漢字ですが、日本の先人たちは渡来の文字に磨きをかけて更に更に光らせる努力をしてきた。そのようなことまで想われると「宇流冨志祢」「杭全」などの名称にもその努力の片鱗がうかがえるのではないかとも。漢和辞典に「秈」の字はあるが、中国のサイトにはこれが皆目分らない。
日本で創られた字との証言はいっさい見当たらず、中国でもない日本でもない国の漢字?そんなこと有っても不自然ではなくて、東南アジアにも韓国にも漢字文化が入っただろうし。ま、語源の問題は今は置いておいて、県立広島大学 生命環境学部の研究で日本の古書に「秈」「宇留之祢」がある。どうして私のパソコンでは直に辿りつけないのか?
これは私のパソコンの問題か?どこへも堂々と行けるパソコンなのに?「ハテ?」となるのは当然ですね。もしか文字化けなのか?広島大学のパソコンと私のパソコンの間で文字化けが起きるか?私の能力ではココまでしか解明できない。ほかに文字化けが起きるとしたらナニがあるか、これ以上、素人の私では皆目わからない。ハテサテ。
仮にも文字化けを起してる私の記事だとしたら?読んでも誰も真っ当に理解できない。もちろん、GOOの事務局には文字化け状態の判別は出来るだろうから、私の登録メールにクレームの一報も入れるに違いない。それでも文字化けが起きてるとしたら?疑問はこうして繋がって、いずれ行き着くところへ行きつく筈。相性もあるのだろうし。。
ともあれ私のこの執念が宇留之祢・宇流冨志祢・杭全へと導いたことは確かであれば、些細な他人のことはどうでもいいのです。このブログ名の下に「私的メモ用」とお示ししてあるとおりです。ともあれ、このあと本来の課題に戻って「株」まで進めてまいります。株と云えば? 不耕起栽培ですからね。私には重要な急所になります。
巨樹の「杭」が田畑の土中に埋まっていたならどうします?大概のお百姓さんは取り除くでしょう。そんなものが埋まっていたら計画栽培に差し障りがあって、たちまち経営の行詰まりの運命をみますからね。計画栽培は緻密な計算の上に成立している事業ですから、整然とした軍隊のような動きが計算され尽くしているだろうと理解しております。
十年一日と申しますし、昔おぼえた杵づかと申しますけど、その形・やり方こそが理想の近代農業のようにも思われますが、それでなければ作物ごとの計画生産は有り得ませんね。不耕起栽培でも計画生産を計画している筈ですが、その実現は未だ遠い先になると思われますが、農業関係の研究所では微生物を飼い慣らす方向で動いているようだからもしかしたら!
私のケースだと「杭」でなくて木の枝ですが、育ちすぎた果樹の幹や枝などを素人の私でも可能な大きさまで細かく手鋸で挽いて、あちこちの水のなかとか隙間とかに放っております。大き目の鉢の底へも埋め込んだりして大概は失敗ですけど。木の株はやっかいですから組み立て鉢に埋める方向に自然と進んだかな。その点、草の株だと割りと簡単に想える昨今。
なんでか分りませんし、誤解かも知れませんが木より禾が容易に想える。「秈」は禾偏で稲などの漢字に含まれていて、口当りは軟らかで、味は美味しく舌に優しく想われて、私でなくても大概の日本人の好みに合うのでないだろうか。それはさて置き秈を中国・繁体文字に訳すと「去」で、死去・逝去・除去・退去などのイメージは避けられない。
禾に稲・穀物・藁・芒などの意味がある。山に生えるのは芒に限るまい。豊かな水に恵まれた日本の風土に合わせるなら秈より宇留之祢が相応しそうだし、宇流冨志祢へと想いはどこまでも高く舞い上がったかも知れない。富(ゆたか)な志は遥かな宇宙まで、それには永遠につづく流れを創らなければなるまい。
日本の土地に留まり、また留守をあずかる生きた人も、亡くなって守る人の魂・祢も尊ばれる国にしなければなるまい。そう思ったとするとその人たちはモチロン尊い人のお手本として不足がないと思う。宇宙船に乗る人はもちろん尊いし、後ろで支援する人・社会が有ってこそ宇宙の果てまでも飛んでいける私たちです。之には道を外れず永遠に貫こうとの意・心が込められていると思う。
誰もに株としての資格・尊さが具わっているとなれば、日本人同士がいがみ合うのはどうしたものか?いやいや、そんなチッポケなものじゃない!世界の人たちが手を繋いで支えあう社会を創っていくなかでこそ、日本人は永遠に未来を目指せることになる。創は世界の始まり、そして人間の始まり、そして一人一人が創って始まる世界へと向かう。秈の想いに染まればこの程度は軽い軽い!