記事の初め:2022年11月06日 00時14分19秒
今、読んでいる最中の不耕起栽培の本の題名「土を育てる」・・その副題に「自然をよみがえらせる土壌革命」とあって、執筆者の律儀な人柄が想像されて勝手に悦に入り、勝手に楽しみ、勝手に好きになって終いに此のブログの文責名をあやかって宇留之祢(うるしね、あるいはうるちねと読みます)にしてしまった。ハンネ程度でここまで騒ぐか?と思われるかも知れませんが、腑に落ちないままでは次への展開が上手く進めそうにありません。ともあれナニゴトも興味が湧いてこそ始まりますからね。
私の漢和辞典とはそれなりに長い付き合いで、それが幸いしているか分りませんが、昭和39年初発行。発行所は合資会社⋯そんなの今どきありませんからね。調べたところ人気のあった字典などを追加印刷して販売してる? ふざんぼう(冨山房)の詳解漢和中字典。なにが良かったか?古い価値に出合った…私の思い違いか知れませんが、初版本のおかげで時代の流れを観たのかも。もしかして「不耕起の神さま」の贈り物かも。いやいやホントに私は底なしの能天気なんです。お恥ずかし。
(後半を続けさせていただきます。2022年11月6日 20時30分~)
それにしても知れば知るほど深みに嵌まっていきますね。それは私の場合も皆さまに後れを取らないかも知れず、見込み発車になるのを承知の上で先へ進まなければと思ってそれで、こうして書いております。私の身体の反応を見ておりますと麦は不味い物と感じておるのは間違いなく事実です。口の中に入れた瞬間、ぱさぱさパサついて舌も口も固まってしまって喉に流し込むどころでなかった覚えがある。
あれは健康体でなければ食べられるモノでなかったと云うのは私の実感ですが、勿論、あれと云うのは麦飯のこと。その麦に比べれば芋などは極上のご馳走の味がして、留守番していてナマで食べたり。おかげで世間で不味いと評されがちな人参ほか野菜類も美味しく食べられたのだろうと思いますが、当時の母の苦労を知らないから無責任なことを好きに言えるのだろうと近ごろでは自分もそう思う。
それにしてもどうして麦はあんなに不味いのか? もちろんこれは粳米の美味しさとの比較ですから勝負は初めから着いていたと言いたいところ。だがしかし、その認識がそもそも誤まっていたのでなかったか?そんなことを「詳解漢和中字典」のページをめくりながら思ったのはどうしてか? 麦は不味いという一点で私に共感なさる日本人は多いかも知れませんが、近ごろは麦の味そのものを知らない日本人が多いかも知れない。
いやいや、当の私が麦の味を知らないのでないか? こんなふうに自分の記憶が変わっていくのを味わえるのはすこしもイヤなことでなく、むしろ幸せな経験と云える訳で、自分自身の変化を見れるのは愉快な経験をしているのだと思います。ああ、あれは勘ちがいだったとなってもそれで損するモノでなく、様ざまの多くの経験のなかの1つが悪いモノである筈はもちろんありませんから、そのへんは能天気な性格がプラスに働くのかも知れませんよね。
色いろ思われたから「新明解国語辞典」を押(し)麦で引いた。幼児の私が嫌った麦の正体は押し麦だったことは粒の形状に明らかですが、麦は平たいと思いこんでいた訳で、ダレかが見物していたら滑稽に見えたことでしょう。伴侶は私にない知識を持っていてそれで優しく教えてもらえたのですが、おかげでこの問題に今後出合っても恥じを掻かずに済む。おぼえたてのうん蓄をお披露目すると、湯通ししたか、湯掻いたか、つまりその裸麦を押し潰して平たくした。知ってるって? あは、スミマセン。
茹でた裸麦を押し伸ばして平たくして、それで味は変らないか?今はそんなことを考えているところですが、どうでしょう?炊いてふっくらした米飯は甘いが、冷えるとすこしだけ劣化して味気ないかも。あの現象は粳米に特有なのか?糯米は元もと甘さが強いから搗いて丸めて冷やして固まっても、焼くか煮るかで美味しく食べられる。これは粳と糯の違いが大きいと思う。粳(うるち)と糯(もち)・・私の文責ハンネ「宇留之祢」・・うるしね/うるちね。結局、宇留之…うるち…粳 ➜ 粳麦!
今回で終わる計算だったのですが、時間が経って疑問が増えて、それで「前・後編」に分けます。おやすみなさい。
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