信楽寺を出て少し行くと、京急大津駅に出た。
線路沿いの道を道なりに行くと、途中より上り坂になった。
この道は、小高い丘の上に続いている道であった。
途中からの急な階段を、一歩一歩登る。
階段の途中で、振り返ってみた。
海が見えた。
右手が久里浜港である。
大きな軍艦が、港のほうに向かっていくのが見えた。
私の住んでいる横浜も、子どもの頃は、小高い丘に登ると、海が見えた。
でも、どんどん埋め立てられてしまって、今は、海は見えない。
海は遠くになってしまった。
階段を上り詰めると、広い造成地になっていた。
自然が、又、1つ消えていってしまった。
何年か後には、途中の斜面も整備され、マンションなどの高層の建物がたつかもしれない。
この次に来た時には、又、海を見ることができるだろうか。
「いつまでも海の見える丘であったらいいな。」と、思った。
線路沿いの道を道なりに行くと、途中より上り坂になった。
この道は、小高い丘の上に続いている道であった。
途中からの急な階段を、一歩一歩登る。
階段の途中で、振り返ってみた。
海が見えた。
右手が久里浜港である。
大きな軍艦が、港のほうに向かっていくのが見えた。
私の住んでいる横浜も、子どもの頃は、小高い丘に登ると、海が見えた。
でも、どんどん埋め立てられてしまって、今は、海は見えない。
海は遠くになってしまった。
階段を上り詰めると、広い造成地になっていた。
自然が、又、1つ消えていってしまった。
何年か後には、途中の斜面も整備され、マンションなどの高層の建物がたつかもしれない。
この次に来た時には、又、海を見ることができるだろうか。
「いつまでも海の見える丘であったらいいな。」と、思った。
何年かぶりにきたいとこが、「途中でわからなくなってしまったので、迷ってしまった。」と言いながら、家にきました。
住んでいる人たちにとっては、「前と同じところに住んでいるのだから、道は変わってないのだから、これる。」と思っていました。
途中の家や斜面の様子が変わっていては、分からなかったのだと感じた。