けーあいるーむ

暇な時に読んで下さい

「優しさ」と「ルール」

2020-10-31 18:12:00 | 日記
世の中には、杓子定規な考えでは上手くいかない時もあります。

機転を利かせる、と言うと聞こえは良いですが、「真面目な人が損をする事もある」というのが実情だと考えてます。

以前「何が『優しさ』なのかは人によって違う」と書きましたが、そこに「マナー」や「ルール」が入ってくると、更にややこしくなります。

例えば、ファミレス。
ピザを注文した時、「カットされた状態で出てくる時」と「カットされていない状態で出てくる時」があります。

お店側がピザを切ることも優しさですし、お客さんの判断に委ねることも優しさだと思います。

お店側のルールとして「ピザは6等分に切ってから提供する」というものがあった場合、お客さんがどう思うかはケースバイケースです。

店員さんは「これが店のルールだから」と6等分に切って出すと思いますし、そこに間違いは無いと思います。

お客さんは「8等分に切って欲しかった」と言うかもしれません。
それでも店員さんが間違っていたとは思えません。

お客さんが前もって「ピザは6等分で出てくる」と知った上で「8等分にしてください」と店員さんに伝えていた場合は別です。

お店側が「それはできません」と断る可能性もありますが、お客さんから店員さんに伝わっていたなら問題は無いように見えます。

つまり「6等分に切ること」はお客さんにとって「迷惑」になる事もある、ということです。

お店側で切るルールはお客さんへの優しさかもしれません。

それでも迷惑なものは迷惑です。

防犯じゃないか?という意見もあるかもしれませんが、ナイフも置いてあるので、防犯の意味は薄い気がします。知らんけど。←

仮に8等分に切った場合はお店のルールに反しますが、そこで「それぐらい良いだろ」って考えるのが普通なのか「ルールはちゃんと守れ」というのが普通なのかは分かりません。
ただ、「優しさ」と「ルール」の間に深い溝があるとは思います。


少し話が逸れましたが、僕は「真面目な人が損をする」という所に違和感を覚えます。

ルールを守るアルバイトと、ルールを守らないアルバイト。
何故か孤立するのは大体、前者です。
もちろん僕の経験に基づいた話です。
異論はあると思います。

まあ「真面目すぎる」のも良くないのかもしれません。「私語厳禁」なんてルールがあっても、会話が無いのは地獄です。

まあ「真面目すぎる」というのが「杓子定規」に当てはまる、とも言えますが。
厳密に言うと「融通がきかない」という意味なのですが、まあ大体合ってるんじゃないですかね←


仕事にはヒエラルキーやリテラシーが関わってきますし、「それは違う」と思っても言えない部分もあります。

自分が誤解していたんじゃないか?と思う時もあります。

とても複雑に絡まるのが、「優しさ」と「ルール」の喧嘩内容です。

杓子定規は正しいのかもしれませんし、間違っているのかもしれません。

ですが明確な基準を作る事は大切だと思いますし、絶妙なラインで葛藤するのも仕方ないのかなと思います。



お読み頂きありがとうございました。


性善説

2020-10-30 16:18:00 | 日記
こんにちは。

性善説において「人間は『善』の心を持って生まれてくる生き物」と言われています。

それが人間の本性であり、誰もが優しさを持っている、という解釈で良いでしょうか。

逆に性悪説もありますが、今回は触れません。



実際、万引きをした中学生も「良心が痛む」と思っていたり、嫌いな人間を殺した加害者も「いつか和解できたかもしれないのに」なんて考えたりするものです。多分。←

「善」の心があっても「悪」に走るのもまた、人間なのでしょう。




「良い人」とは何なのか?
小学生の頃、道徳の授業で考えたことがあります。

僕にも良心はありますが、「良い人」ではないと思ってます。

誰もが人を傷付けたり、誰かに迷惑をかけたり、そうやって生きてます。
そこに気付くことすら無く、ヘラヘラして生きてる人も多いと思います。
そのくせ自分が傷付いた時は落ち込み、怒り、何かにぶつけようとする。

このパターンはまだ良いのかもしれません。
一生残る「傷」になるかもしれませんが、「自分が傷付いた」のなら傷の重さも分かるし、他人に優しくなれるかもしれません。

僕はよく「どうしてあんな事をしてしまったのだろう」と思います。
「どうしてあんな事を言ってしまったのだろう」と考えます。
何気ない一言に他人が傷付くことは分かってました。
考え過ぎて逆に変なことを言ってしまう。
そもそも基準を「自分」にできないから、何を言っても傷付ける可能性がある。

そうやって出した答えが、いつも「ハズレ」なのです。「あんなこと言わなきゃ良かった」なんて思うこと、何度もあります。

外面じゃ決して分からない、自己嫌悪や悩みの日々。
せめて僕は理解してあげたいって思うので、何があっても頭ごなしに他人を悪く言うことは避けようって思ってます。


僕は「良い人」ではない。
「良い人のフリをする悪人」、そんな感覚です。

生まれつき、人間には「善」の心があるという性善説。
これが本当だとしても、僕は「善の心を持った悪人」なんだと思います。

法的に罪として訴えられなくても、誰もが他人を傷付けたり、不快な気持ちにさせる。

その人たちを「悪人」と呼ぶつもりはありません。

気付いても直せない、まるで生まれつきの病気のように付きまとう「何か」。

その「何か」に操られているように、裁きのない罪を重ねて生きるのも人間で。

僕は1歩先を生きているように、上から目線で語る「悪人」です。
本当は周りと同じか、それ以下なのにね。


口論

2020-10-29 20:40:00 | 日記
過去の欅坂46の映像や画像を見る度に寂しくなります。

東京ドーム公演のDVDを購入できるリンクを貼っておきますので、ご購入の方はどうぞ。

欅坂って素晴らしい。


こんばんは。
突然ですが皆さん、「こいつ何言ってるのかな」って思うことはありますか?

僕は「思われる側」なんですけど、それ故に「何言ってるのか分からない奴が何言ってるのか分かる人間」なんですよ。

この時点で「何言ってるのか分からない」ですよね。

分かろうとすれば分かるんですけどね。
大体の事は。

その前提で比喩全開の内容を書いたりしますが…



この世界でナイフを振りかざす人達と、それを受ける人達。

よく見たら逆なのかもしれない。

最初は逆だったのかもしれない。

そんな事を考えるんです。

僕はいつも。




優しさ。

2020-10-28 16:37:00 | 日記
久々にマカロンを買いました。

食べるのが楽しみです。

Kizukaです。

前回は少し暗めの記事を書いてしまいましたが、多くの人に読んで頂いたみたいで嬉しいです。

正直ああいうスタイルの方が感情も込めやすく、伝えたいことも伝えやすいですし、皆さんの共感も得やすいのかな、なんて思ったりします。
すみません調子乗りました。てへぺろ(古い)


櫻坂46のオンライントーク会の2次受付が始まりました。
参加したい人は忘れないように気を付けて下さいね。



時に「優しさ」というものが分からなくなります。
人によってそれは「嫌がらせ」にもなる。
悪意の無い行動こそ、最もタチが悪い。

「察し」や「誤解」も絡むとお手上げです。

血液型、生活も関係しているかもしれない。
(「性格」と「血液型」に関連性は無いと言われていますが、不思議な事に当てはまってしまう)

たとえば英語を勉強している人に「TOEIC受けてみると良いと思う」なんてアドバイスをするのも、僕は嫌がらせだと思ってます。

英語を勉強している人はTOEICなんてとっくに考えてるパターンが多いですし、「その程度のアドバイスをするぐらいなら黙ってろ」って思うかもしれません。僕なら思います←

「それぐらい考えてるわ。ナメてんの?」
「俺のこと馬鹿にしてんだろ?」
「お前の中の俺はその程度の人間なのか。お前とはもう関わらない」

僕ならそう思います。←

だからこそ、「アドバイスする側」も難しい。
というかアドバイスできるのは「その道でそれなりの実力を得た人」であって、知らないくせにアドバイスしようとするのも迷惑行為。

相手の迷惑を考えないで、良い事を言ったつもりでいる。
そんな人は仕事も上手くいかないと思います。
とはいえ、そこで空気を読み、人によって態度を変え、都合の良い犬のフリでもできるなら、この限りでは無いかもしれませんね。
(口が悪くなりました。失礼しました)


何が優しさか?
そんなこと考えてたら、何もできなくなる。
動けなくなる。

だから考えすぎてはいけないのかもしれない。
でも考えないと迷惑をかけるかもしれない。
声を掛けることすら、邪魔かもしれない。

人によって、状況によって違う「優しさ」を見極めなければならない。


僕はそう思いました。


まだ死んではいけない。

2020-10-27 03:47:00 | 日記
一日中家でまったりするのも良いですよね。

Kizukaです。こんにちは。

ポケットモンスター・ソードシールドの追加コンテンツ、冠の雪原が配信されてからポケモンをやる時間が増えました。

これでも僕は可愛いポケモンが好きなのでね、チラチーノとかグレイシアとか使いたいんですけど、どうも活躍させるのが難しい…

化石ポケモン好きなので今回復活してくれて嬉しいです。ラムパルドとトリデプスどこだよ、って思いましたけどね!!!←




生きてて「楽しい」って思える事が幸せです。

死にたがっていた頃の僕に教えてあげたい。


当時の僕も「微かな希望」を持って未来へ進む事を決めていた。
どんなに辛くても、いつか幸せになれると。
何より母に申し訳ないから死ねなかったのもありますが…

今は全く死にたくない。
希望を持って良かった。

ただ、この先「もう死ぬしかない」と思えるような現実に直面するかもしれない。

そうならないように頑張っていても、一種の「賭け」になるかもしれない。

そもそも人間はいつ死ぬか分からない。

だから少しだけワガママに生きてる。
迷惑かけてごめんなさい。
心からそう思う。


それでもね、死ぬより良いのかなって自己肯定を捨てられないんだ。


皆さん、生きましょう。


なんて偉そうなこと言える立場じゃないんですけどね。笑