ガエゆだR。

~ガチとエンジョイとの狭間で未来の夢を抱くブログ・REBOOT。~

【ATTENTION】始めにお読みください【NOTICE】

この度は本ブログに足を運んでいただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログを読むにあたり、注意事項がありますので、三つ…言わせてください。
一つ。本ブログはタイトルの通り、「デレマスのガチ勢なのかエンジョイ勢なのかよくわからない人のブログ」なので、
「若干ヒリつく話題にも首を突っ込み自分なりの解釈を述べるブログ」、という側面を持ちます。なので、燃えそうなヤツはいつの間にか無くなってるかもしれません。
二つ。管理人の性分がクソマジメちゃんなのでいちいち言う事が堅いです。ぶっちゃけクソつまんねー事も有ります。ご了承ください。
三つ。特にありません。…と言いたいところですが、自分の考えは飽くまで「ガチ勢でもないエンジョイ勢でもない半端者」のお話です。
読み流す程度にご覧ください。
以上となります。大変長らくお待たせ致しました。それでは、ごゆっくりお楽しみください。

ワスルルナ死

2024-01-17 18:27:10 | (小難しい)雑記/お知らせ
どうも、Klowですおはようございます。

皆さんは「メメント・モリ」という言葉に聞き覚えはないでしょうか。ええそうです最近スマホゲーのタイトルになったあの言葉です。
これって何ぞや、って話なんですがズバリ

「人生のネタバレ 死ぬっぽいな」(♪神っぽいな/DECO*27×ピノキオピーfeat.初音ミク)

です。分かりやすく言えば。
ちゃんと解説すると「死を忘れるな」「死を想え」とも翻訳される古代ローマの頃にはすでにあったラテン語の言葉でして、
現代では主に「人はいずれ死んでしまうので、今を生きよう」というニュアンスで用いられる言葉だそうです。

で、何で突然こんな話をするかと言いますと、最近聞く音楽でちょいちょいメメント・モリを感じるものがあるな、と思っての事だったりします。
具体的に曲名と歌手名を挙げると(敬称略)

カラタチの夢/大橋トリオ
/藤井風
光の跡/星野源
私が明日死ぬなら/キタニタツヤ


あたりかな、と。以上、自分が聞いた順に羅列しましたが、この4曲の根底にはメメント・モリがあるような気がするのです。
全ての曲に細かく触れて行くと、文章量がえげつねぇ事になる上、抑々筆者が疲れるので割愛しますが、
「カラタチの夢」には「いつかは死んでしまうなら、自分らしく生きて、笑って行こう」
「花」には「全て枯れて行くけれど、それでも自分だけの花を咲かせに行くんだ」
「光の跡」には「人は跡形もなく消える様に死ぬけれど、きっと自分の『光の跡』を作る為に思い出を作るんだ」
「私が明日死ぬなら」には「自分がもし明日死んでも、あなたはどうにかこの歌を頼りに生きて行ってね」
と言った具合に、「何れ来る死と向き合って上でどうして行こうか」というニュアンスの歌詞が含まれている曲であり、そう言ったいずれ死ぬなら今を生きよう
もしくはいずれ死ぬからこそ今を生きて欲しい、という願いが込められていると解釈できる歌であると言えるんですね。
尤も、4曲目は「今から自殺する人が友人や親族に当てた歌」という風にも聞こえてしまうので、メメント・モリとはまた違うような気もしますが、
それでも「死を意識させる」という意味では一緒なのかな、と思ってもいます。…しかし、先述の通りの印象だったので、
初めて「hope with music.」がテーマのCOUNTDOWN TV LIVE! LIVE!スペシャルで唄ってるのを見た時は目玉剥いたのはここだけの話。
いやマジでここまでテーマに沿ってねえ歌を堂々と唄ってるのあたしゃ初めて見たよキタニくん。

で、2023年後半~2024年初頭にこんなにもメメント・モリがある曲を直近で4曲も効きましたが、直近でそんな曲が世にまあまあ出た理由としては、
やっぱりコロナ渦の影響が大きいのかな、と思っています。2020年~2023年頃までの約3年間、多くの人は死を間近に感じながら暮らしてたんじゃないかなと思いますし。
2020年、中国は武漢を起点とし、世界に蔓延したコロナウイルス。多くの罹患者と死者を出したそれは、日本にも大打撃を与えて行きました
正直に言えば、自分の母方の祖母と、父方の祖父もコロナウイルスで亡くなり、自分も死を間近に感じて生きた一人です。

そんな所謂「アフター・コロナ」、「ウィズ・コロナ」の時代でリリースされた曲に見るメメント・モリと言えば、少し遡って2021年、
Official髭男Dismがリリースした「アポトーシス」がそれに該当すると言えます。
病気で後先のない主人公が、死の恐怖と向き合いながら少しずつ残りの人生を暮らし、遂には眠るように息を引き取る、という物語が描かれた曲なのですが、
リリース時期的に考えると、ボーカルで主に曲を製作する藤原聡くんが、身近な人の死があったのかなと感じられるくらい克明に記された歌詞からは、
先述の「私が明日死ぬなら」と同じく主人公が死ぬ事でメメント・モリを感じられる曲なのかなと思っています。

結局、何を申し上げたいかと言うと、これからもこういう曲がリリースされるとは思っていて、それはやっぱり「コロナ渦を経験した今だからこそ、
人は死んでしまうのだから、今を自分らしく生きて行こう、生きて行って欲しい」という思いが込められていると解釈できる、優しい気持ちで作られた筈の曲だと
思いますので、皆さんも耳を傾けてみて下さいね、という話です。

今日が阪神淡路大震災から29年と言う事で、いち兵庫県民として今日が何事もなく、平和に過ごせることに感謝しながら改めてこういった記事を
書いてみましたが、相変わらずの辛気臭さだなと振り返りつつ、お終いとさせて頂くことにして。
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支援ノゼヒ

2024-01-07 23:30:53 | チラシの裏
どうも、Klowですおはようございます。

えー、新年明けましておめでとうございます。謹んで新年のご挨拶を申し上げたいところですが
今年は正月元旦から能登半島で大地震が発生。しかも津波も発生するという、東日本大震災の悪夢が蘇ったような災い
本邦は見舞われてしまいました。被災された方々に於かれましては、一刻も早い被災地復興をお祈りすると共に、
被害によって亡くなられた方への哀悼の意を本記事で表したいと思います。

さて。話は変わりますが、このように地震が発生すると必ず話題になるのが、
NPO法人の皆様や、芸能人の方々による物資輸送や炊き出し、勇気ある一個人の方々による慈善活動ボランティアです。
嘗て山で遭難した子供を発見した事で一躍ヒーローとなり、その後もしっかり自身の始末が出来る装備を持って行き、
その上で被災地支援を行う「スーパーボランティア」と言われた尾畠春夫さんはとても有名ですね。このように、
そう言う活動は被災地の方々にはとても有難い物として受け取られ、行動を起こした者は、基本的に称賛されるものでした。
…そう、基本的には・・・・・
と言うのも、今回は地震による地形の隆起から道路への被害が激しく、それに伴う交通規制がいち早く敷かれており、
石川県は勿論、現在の石川県知事である馳浩さんも率先して「今は個人のボランティアは来ないで下さい」とアナウンスがされているのです。

ところが、そんな状況を理解してか理解せずかは定かじゃありませんが、「個人で来るな」と言われているにも拘らず、
足腰に不安が残る状況の中被災地にお邪魔し、被災者の方のための炊き出しで振舞われているカレーライスを御馳走になるばかりか、
現地を見てきた上で既に施行済み、もしくは既に準備中の提案しかしないという、控えめに言うと周回遅れの提案しかしなかった
申し訳ないけれど余り役に立たれなかった方が現れてしまいました。

そう。れいわ新選組の山本太郎氏です。

「ボランティアの方に来て欲しい」と言われてるなら、行って被災地支援の手伝いをするまでは良いとしましょう。
しかし、炊き出しのカレーは流石に食べるのは気が引けるでしょうし、それを厚かましくTwitterで話す上、
「現地に赴き、現地の人に直接意見を聞く」と言っておきながら、もう既にやってるような事ばかりしか提案できないのは、
流石にどうなのだろう?と思ってしまいました。
…正直、余り言い過ぎてもご本人やその周囲の方々にボロクソ非難されそうですが、
色々と今後の指標になる良いい機会になったんじゃないかな、と思わざるを得ません。そう、色々と。

んで、それを踏まえての話になりますが。

ボランティアってのは基本的に称賛されるものと言ったのは冒頭の通りです。しかし、「来るな」と言われているのに
行くというのは、普通に考えれば却って迷惑になってしまうだろうと思い、行くのも憚られると思います。
それでも物資を積み込み、正式な許可も取らずにズカズカ入っていくのは「偽善」であり、本人やその支持者が
やらない善よりやる偽善でしょ?と言うのは「現地の人の迷惑になる事が考えられない人です」と触れ回っているのと同じ行為ですので、
このブログをお読みくださっている皆様に於かれましては、冷静な行動をされるようお願い致します。

今現在は素人ではなくプロが動く手順ですので、歯痒い思いをされる方は募金活動などに勤しみましょう、と奨励しつつ、
お終いとさせて頂く事にして。
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