私は葛飾北斎が大好きです。長野県小布施町には北斎美術館もあり何回となく訪れています。北斎「富嶽三十六景」には一図一図に、北斎の意図や見どころがあります。北斎は、LIFE誌が選ぶ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれた唯一の日本人。「富嶽三十六景」及び「北斎漫画」は、世界のゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、モネ、など多くの印象派画家に影響を与えています。まさに世界の「北斎」です。
「隠田水車」
東京都渋谷区神宮前
「富士が眺める原宿は 水車が回る庶民の暮らし」
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この図が原宿とは、とてもではないが信じられない、とは誰もが思うところでしょう。原宿は、かつては農村地帯で、今では暗渠になってしまった渋谷川にはたくさんの水車がありました。水車の羽根で作られた水流は、波の変化激しく北斎らしさが見られます。洗い物をする女たち、穀物を水車小屋に運ぶ男たち、子供は亀の散歩、ここには農村のたくましい生活感が描かれています。富士は、そんなたくましい庶民の暮らしを眺めています
「下目黒」
(しもめぐろ)東京都目黒区下目黒
「田園の鷹狩適した下目黒 初雪抱く富士山遠く」
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目黒は、丘陵地で富士の見晴らしも良く、人家も少ない田園地帯で鷹狩に適した地でした。また、落語「目黒のさんま」の舞台にもなったように、将軍家の鷹狩りの場でした。鷹番という地名も残っています。武家の鷹を預かる鷹匠、彼らにひざまずく農夫、その左には鍬を片手に赤坊を背負い、小さな子供を連れて仕事場へ向かう農婦が描かれています。さらに左には、農夫が坂道を登っています。彼らの登場は、この地の特徴を描き出しているのでしょうか。富士は、真ん中にひっそりと山頂に雪を抱いて見えています。
「礫川雪ノ且」
(こいしかわゆきのあした)東京都文京区春日二丁目・北野神社
「礫川辺り一面雪化粧 指さす空に富士の冠雪」
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礫川は、(小石川文京区)のことです。また、「雪ノ且」の且は旦の誤りだと思われます。小石川のあたりでも特に眺めのよい茶屋。夜来の雪がやんで一面の銀世界と変わり、富士も家並みも雪化粧となりました。二階座敷の人々も一面の雪景色に感嘆の声をあげています。女の指さす空には、三羽の鳥に天空を舞わせることで画面に彩を与え、遠近感を表しています。北斎の「冨嶽三十六景」中、唯一の雪景色です。
「御厩河岸両国橋夕陽見」(おんまやがしりょうごくばしのせきようをみる)
東京都墨田区本所一丁目
「藍色が描く世界は濃淡で 北斎ブルーは庶民を虜」
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暮れなずむ隅田川・御厩河岸の渡し場。(台東区蔵前二丁目辺りの隅田川岸に幕府の御厩があったので、この辺りを御厩河岸といいました。)渡し船の手前に、美しい藍の線で大きな荒波が描かれています。対岸の両国橋のたもとに富士の姿、沈む夕陽の逆光でシルエットとして表現、日が沈んで次第に色が失われていく時間が表現されています。渡し船に乗っている商売人などの人々は、この美しい光景をほとんど見ることなく押し黙り、一日の終わりを表しています。渡し船の船頭の禿頭を回転軸に、舟の孤と両国橋の孤が対象となっています。船頭の視線の先には、富士が見えます。
参照
https://media.thisisgallery.com/20208048
https://fugaku36.net/free/nihonbasi