原田泰治は2022年3月2日享年81歳で亡くなりました。長野県出身の画家です。私は四季折々、全国津々浦々のふる里を描き続けた絵画が好きでした。彼の絵は見て心楽しくなる画風です。長野県諏訪市には原田泰治美術館があります。日本の素朴な風景画が展示されています。
※なお解説は原田画伯ご自身のものです。
「春の田んぼ」
「春告げるひばりの声が騒がしく 子供たちは楽しく遊ぶも」
1986年4月
(原田泰治)
空でひばりが、騒々しく春を告げる頃、レンゲソウが紅色の花で田んぼを埋め尽くします。そんな田んぼで、子供達が花束や首飾りを作り楽しげに遊んでいます。田植え前の田んぼは、春の甘酸っぱい香りが漂っています。
「ガタゴト電車」
「単線の陽射しを浴びた電車こそ 屋根すれすれに軒先走る」
1985年4月
(原田泰治)
旧式な電車が、車体を左右にゆらし、力いっぱい走る姿には、感動さえ覚えます。そして、田園風景を、時には農家の屋根すれすれに走り、のどかさと懐かしさをあたえ、人々の生活を乗せて、春の陽ざしの中を走ります。
「遠足」
「遠足は眠れぬ夜を我慢して 弾ける喜び友達はしゃぐ」
1989年5月
(原田泰治)
遠足の前日はうれしくて、おさがりのリュックサックを背中にしょって家の中を歩いたものです。てるてる坊主も軒下に吊るしました。病気以外、口にすることの出来なかったゆで卵や、朝早く、こんがり焼いた母ちゃんの焼きおにぎりの味が忘れられません。
「野良仕事」
「老夫婦朝早くから畝づくり 小鳥のさえずり詩情溢れる」
1988年5月
(原田泰治)
キリ(桐)が淡紫色の花をつけ、山から小鳥のさえずりが聞える山村です。農家の人々が冬を越した田や畑にクワを入れる農作業に追われていました。時たまガチッと石に当たります。その石を掘り出し畑の片すみに放り投げます。一本の畝をつくる老夫婦の姿は、絵のように詩情あふれていました。
「ふるさと」をテーマに、自然の中で慎ましやかに暮らす人びとや農村風景を愛情込めて描き続けた画家、原田泰治(はらだ たいじ)。
1940(昭和15)年4月29日、長野県諏訪市で生まれた泰治は1歳のとき小児マヒを患い、両足が不自由となる。4歳のとき、まったく農業の経験のない父が泰治を自然の中で育てたいと思い、一家で伊賀良村(現長野県飯田市)に開拓農民として入植し伊賀良村で中学校までの10年間を過ごしたのである。
1963年に武蔵野美術短大を卒業後、伯父の経営するアートスタジオでデザインを学び、1965年頃から少年時代を過ごした伊賀良村の思い出を描き始める。
1982(昭和57)年4月から127週(2年半)にわたり、朝日新聞日曜版に“日本のふるさと”をテーマとした絵と文による「原田泰治の世界」を連載して好評を博した。
参照
https://taiziharada.jp/
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