春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

歴史の匂いが好き。

四季の変化が好き。

感じるままに、ありのままに。

夏の18切符 真夏の山形 山形城

2008年08月07日 | 日本の城
山形・山形城 真夏の空

山形城
別名・霞ヶ城(かすみがじょう)、霞城(かじょう)

由来は、関ヶ原の合戦の頃に直江兼続(上杉軍)が富神山の麓からお城を十日間見てたが、
霞がかかって何も見えなかったことからその別名が付いた。今でも霞城公園として市民の憩いの場となっている。

山形城の築城は南北朝時代の1357年、足利家一族の斯波兼頼によるといわれ、
その後、斯波氏は最上家を名乗る。
今の城郭の基礎を作ったのは最上義光で、関ヶ原の功で57万石を領有。

しかし、最上義光以後は没落。1622年、義光の孫・家信(義俊)は家臣の争いにより改易
以後、鳥居忠政(24万石)が山形城を改築し、徳川家の親藩・譜代の大名が、石高を減少させながら次々と入城。
最後は水野氏5万石。

明治維新後、歩兵三十二連隊の兵営敷地となり、建物は全て無くなり、本丸は埋め立てられた。
現在、本格的に城(本丸)を復元するための調査と整備が進行中。
天守閣は元から存在しない。



二の丸 南大手門跡から霞城公園内へ



復元頑張ってます


本丸 復元中


大手橋復元完了(このあと門が2009年までに復元予定)


二の丸東大手門(復元)
 

堀の真横にJRが走る


隣接する最上義光歴史館


山形の基礎を作った最上義光像




当時、僕の中で日本最北端を記録した山形
東北なので、夏だが涼しいという勝手なイメージも、まったく通用しないくらい暑かった。
途中乗ったタクシーの運転手も、東北では一番暑いと自慢していた。(※夜は寒いです)

なにより印象的だったのが、空の青さ。
普段いる東京では見たことのない色だった。

日本にあるお城のほとんどが、江戸時代の一国一城令、明治の破却、昭和の空襲により失われた。
山形城もその良き例で、本丸は埋め立てられ、敷地内には野球場もある。

だが今、復元の流れが出てきていて、二の丸東大手門を皮切りに、本丸の堀を掘り起こし、
本丸の正門に当たる一文字門が石垣と橋ともに復元中である。

これからのこういう流れが活発になり、お城がその街の憩いの場とシンボルになり、
そこから自分たちの街の歴史や、偉人たちを知る機会に少しでもなれば、僕は嬉しい。


前回は細部まで見て回れなかったので、2009年、復元が終わったらまた訪れよう。


2007.8.24