千葉・千葉寺 新緑の色
真言宗豊山派 海上山千葉寺
(せんようじ)
坂東三十三箇所観音霊場第二十九番札所。
徳川将軍家がたびたび参詣した寺格を誇り、千葉県の古刹。
ご本尊は 十一面観世音菩薩
元明天皇の時代、709年(和銅2年)この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。1160年(永暦元年)に落雷により伽藍一切を焼失。
1180年(治承4)8月、源頼朝が相模国石橋山において平家方との戦いに敗れ、海路、房総半島へ落ち延びたとき
その頼朝に味方した千葉常胤が日ごろ祈願所としていた千葉寺(焼失しており、観音堂か)に参詣して、武運を祈り、満願成就のあかつきには堂宇の再建を誓った。
千葉氏の居城である千葉城(猪鼻城)に近く、境内に祀られている「龍蔵権現」は、城の南を守る神で、九曜紋と月星紋が神紋となっている。
小田原合戦ののち千葉氏が滅亡してしまったが、徳川将軍家の庇護のもと朱印百石、大いに寺格を高めた。
現在の本堂は、昭和51年の落成だが、仁王門、鐘楼は1828年の建築
仁王門
境内へ
樹齢800年を超えた天然記念物の大銀杏(色ずく頃にまた見てみたい)
千葉家家紋
九曜紋 月星紋
千葉城の南の守護神・龍蔵権現
関東88箇所霊場 第四十七番でもある大師堂
弁財天
境内は夏祭りの用意
JR千葉駅よりバスで10分
京成千葉寺駅より徒歩8分
真夏の日差しが照りつける中、JR千葉駅から5kmほどの道のりを歩く。
千葉市街を抜け軽い上り坂を1kmほどを登ったところに千葉寺はある。歴史を深さを感じさせる仁王門を潜り境内に入ると、
真っ先に樹齢800年の大銀杏が目に入った。小田原の勝福寺といい勝負だ。
俺は時代の移り変わりをずっとこの目で見ってきて、なんでもお見通しだ!!
そう言っているようでもある。
本堂は最近の建立だが、江戸時代の彫刻を模してあるのか、派手やかな彫刻で飾られていた。
千葉寺にはかつて「千葉笑い」という行事があった。
毎年大晦日の晩に住民が面で顔を覆って集合し、地頭・代官などへの不満や悪口を言いまくり、
最後にみんなで笑い合って正月を迎えるというもの。
明治時代までは続いていたようだが......
近所付き合いや地域の交流が少ない今日。
周りの目を気にして言いたいことやりたいことを我慢する今日
千葉笑いは今の時代の方が、必要なのかもしない。
2008.8.9
真言宗豊山派 海上山千葉寺
(せんようじ)
坂東三十三箇所観音霊場第二十九番札所。
徳川将軍家がたびたび参詣した寺格を誇り、千葉県の古刹。
ご本尊は 十一面観世音菩薩
元明天皇の時代、709年(和銅2年)この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。1160年(永暦元年)に落雷により伽藍一切を焼失。
1180年(治承4)8月、源頼朝が相模国石橋山において平家方との戦いに敗れ、海路、房総半島へ落ち延びたとき
その頼朝に味方した千葉常胤が日ごろ祈願所としていた千葉寺(焼失しており、観音堂か)に参詣して、武運を祈り、満願成就のあかつきには堂宇の再建を誓った。
千葉氏の居城である千葉城(猪鼻城)に近く、境内に祀られている「龍蔵権現」は、城の南を守る神で、九曜紋と月星紋が神紋となっている。
小田原合戦ののち千葉氏が滅亡してしまったが、徳川将軍家の庇護のもと朱印百石、大いに寺格を高めた。
現在の本堂は、昭和51年の落成だが、仁王門、鐘楼は1828年の建築
仁王門
境内へ
樹齢800年を超えた天然記念物の大銀杏(色ずく頃にまた見てみたい)
千葉家家紋
九曜紋 月星紋
千葉城の南の守護神・龍蔵権現
関東88箇所霊場 第四十七番でもある大師堂
弁財天
境内は夏祭りの用意
JR千葉駅よりバスで10分
京成千葉寺駅より徒歩8分
真夏の日差しが照りつける中、JR千葉駅から5kmほどの道のりを歩く。
千葉市街を抜け軽い上り坂を1kmほどを登ったところに千葉寺はある。歴史を深さを感じさせる仁王門を潜り境内に入ると、
真っ先に樹齢800年の大銀杏が目に入った。小田原の勝福寺といい勝負だ。
俺は時代の移り変わりをずっとこの目で見ってきて、なんでもお見通しだ!!
そう言っているようでもある。
本堂は最近の建立だが、江戸時代の彫刻を模してあるのか、派手やかな彫刻で飾られていた。
千葉寺にはかつて「千葉笑い」という行事があった。
毎年大晦日の晩に住民が面で顔を覆って集合し、地頭・代官などへの不満や悪口を言いまくり、
最後にみんなで笑い合って正月を迎えるというもの。
明治時代までは続いていたようだが......
近所付き合いや地域の交流が少ない今日。
周りの目を気にして言いたいことやりたいことを我慢する今日
千葉笑いは今の時代の方が、必要なのかもしない。
2008.8.9