茨城・鹿島神宮 ~線路は続くよどこまでも~
線~路は続く~よ、ど~こま~でも~
野~を越え、
川、越~え、
湖、越~え~て、
は~るかな町ま~で ぼ~くたちの
たのしい旅の夢 つないでる
(一部歌詞を替えています。)
というわけで降り立った街は
常陸国一宮、鹿島神宮を目指してやってきた。
鹿島神宮
皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、東国三社(同県にある息栖神社、香取神宮)の一つにも数えられている
名社。
祭神 武甕槌神
武甕槌神は、香取神宮に祀られている経津主神とともに武芸の神とされている。
また、地震の守り神としても有名で。境内の要石(かなめいし)は、地震を起こす大鯰の頭を抑える杭と言われ、
見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜くことはできないと言い伝えられている。
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、
延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。
関東最大最古の神社。
鳥居の前に鹿がお出迎え
水戸初代藩主徳川頼房公が奉納した楼門
(頼房は水戸黄門光圀公の父親、家康の子供)
仮殿(一時的(改修などのさい)に神様をお移しする場所)
拝殿・二代目将軍の徳 川秀忠公が奉納
本殿
鹿島神宮の森を抜け
奥の宮・徳川家康が奉納(もと本殿)
さらに奥参道を森深く歩くと
大鯰の碑
そしてこれが、鯰の頭を押さえている要石
徳川光國の「水戸黄門仁徳録」には七日七掘っても掘りきれずという記述が残る。
掘れども掘れども、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまい、また、けが人も続出した。
要石のお陰か鹿島地方では、大きな地震がないと言われていて、関東平野はちょうど大鯰のしっぽの部分にあたるため
頭が動かせず、鯰がしっぽを振ると関東に地震が起こるとも言われる。
誰が入っても、同じ深さの池と言い伝えられている御手洗池
関東平野の隅っこ、今ではサッカーの鹿島アントラーズが有名だが、
昔、戦国時代の剣術家、生涯敗れることなしと言われた剣聖塚原卜伝の生誕の地とも言われる鹿島。
創建は紀元前660年という、日本でも有数の古社であり、神宮という名の最古級の神社、そして日本で一番有名な神社、伊勢神宮と並び三神宮の一つに数えられる鹿島神宮。
平安時代栄華を極めた藤原一族。その一族の創始者である中臣鎌足は、ここ鹿島で生まれ育ち、飛鳥の中央政界に繰り出した。
その後、藤原氏の姓を賜り、奈良の春日山にこの鹿島神宮を藤原氏は招聘(しょうへい)する、それが春日神社と言われる。
そんな伝統の鹿島、そしてその街の中心、人々の生活の、心の中心にあったであろう鹿島神宮、
どんな街だろうとワクワクしていったが、寂れている印象を受けた。
訪れたのは夏休みの土曜日にも関わらず、神社への道は、人はまばらなで閉店した店も目立つ。
まだ僕の地元の太宰府のほうが活気があるように思えた。(鹿島の方々には失礼だが)
後日鹿島神宮のことを周りに聞くと、ほとんどの人が知らなかった。
サッカーがあればまた別だろうが、古い歴史と伝統の街鹿島。
これから町づくりに個人的には期待したい。
(※歴史好きの僕にとっては神聖な空気が漂い、とても楽しめた場所でしたよ)
線~路は続く~よ、ど~こま~でも~
野~を越え、
川、越~え、
湖、越~え~て、
は~るかな町ま~で ぼ~くたちの
たのしい旅の夢 つないでる
(一部歌詞を替えています。)
というわけで降り立った街は
常陸国一宮、鹿島神宮を目指してやってきた。
鹿島神宮
皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、東国三社(同県にある息栖神社、香取神宮)の一つにも数えられている
名社。
祭神 武甕槌神
武甕槌神は、香取神宮に祀られている経津主神とともに武芸の神とされている。
また、地震の守り神としても有名で。境内の要石(かなめいし)は、地震を起こす大鯰の頭を抑える杭と言われ、
見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜くことはできないと言い伝えられている。
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、
延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。
関東最大最古の神社。
鳥居の前に鹿がお出迎え
水戸初代藩主徳川頼房公が奉納した楼門
(頼房は水戸黄門光圀公の父親、家康の子供)
仮殿(一時的(改修などのさい)に神様をお移しする場所)
拝殿・二代目将軍の徳 川秀忠公が奉納
本殿
鹿島神宮の森を抜け
奥の宮・徳川家康が奉納(もと本殿)
さらに奥参道を森深く歩くと
大鯰の碑
そしてこれが、鯰の頭を押さえている要石
徳川光國の「水戸黄門仁徳録」には七日七掘っても掘りきれずという記述が残る。
掘れども掘れども、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまい、また、けが人も続出した。
要石のお陰か鹿島地方では、大きな地震がないと言われていて、関東平野はちょうど大鯰のしっぽの部分にあたるため
頭が動かせず、鯰がしっぽを振ると関東に地震が起こるとも言われる。
誰が入っても、同じ深さの池と言い伝えられている御手洗池
関東平野の隅っこ、今ではサッカーの鹿島アントラーズが有名だが、
昔、戦国時代の剣術家、生涯敗れることなしと言われた剣聖塚原卜伝の生誕の地とも言われる鹿島。
創建は紀元前660年という、日本でも有数の古社であり、神宮という名の最古級の神社、そして日本で一番有名な神社、伊勢神宮と並び三神宮の一つに数えられる鹿島神宮。
平安時代栄華を極めた藤原一族。その一族の創始者である中臣鎌足は、ここ鹿島で生まれ育ち、飛鳥の中央政界に繰り出した。
その後、藤原氏の姓を賜り、奈良の春日山にこの鹿島神宮を藤原氏は招聘(しょうへい)する、それが春日神社と言われる。
そんな伝統の鹿島、そしてその街の中心、人々の生活の、心の中心にあったであろう鹿島神宮、
どんな街だろうとワクワクしていったが、寂れている印象を受けた。
訪れたのは夏休みの土曜日にも関わらず、神社への道は、人はまばらなで閉店した店も目立つ。
まだ僕の地元の太宰府のほうが活気があるように思えた。(鹿島の方々には失礼だが)
後日鹿島神宮のことを周りに聞くと、ほとんどの人が知らなかった。
サッカーがあればまた別だろうが、古い歴史と伝統の街鹿島。
これから町づくりに個人的には期待したい。
(※歴史好きの僕にとっては神聖な空気が漂い、とても楽しめた場所でしたよ)