ブログのお知らせに東京都平和の日とお知らせが来ていた
東京大空襲の日
亡くなった母がよく話していた
母は千葉で経験したらしい
空が赤く染まり、庭の垣根につかまり「おっかねよー!おっかねよー」と言っていたと
目の前に銀色のものが落ちてきて
爆弾が落ちてきたと思って近くの防空壕に飛び込んだら、焼夷弾を束ねていたアルミだった、飛び込んだ防空壕の階段が細かくて転げ落ちたとか
みんな荷物を風呂敷に包み逃げて自分と同じ名前の同級生が亡くなったとか
戦後に買い出しに行き見つからないようにランドセルにお米を入れて帰って来たとか
食べ物がなくてさつま芋ばかり食べていたとか
今日は東北の震災から10年の節目
私は戦後15年経って生まれた
戦争の話はよく聞いたし
道端に軍服を来て足がない人が座り込んでお金を恵んでもらうようなこともしていた
今から思うと当時の大人にとっての戦争の記憶は私が思うよりも、もっと生々しいものだったのだろうなぁ~と思う
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