今日、急に部長に呼び出された
来年度のことでというので
病棟から外来に行ってということか?とちょっとドキドキ
部長の顔は知ってるけど
挨拶するくらいで話したことはありません
部長や院長の部屋の並ぶ場所で
応接室って言われてーーえーっと
部長の部屋の隣のといわれたなぁと近くに行くと
部長と事務かたの女の子?がいて
あーこっちね、好きな所に座ってと
えーーっと、あのーーっと思っていたら
部長は「夜勤もやってくれて(病棟師長)が助かってると言ってましたよ、よろしくねー」と言って消えた
やって来たのは事務かたの事務長??
役職の人良くわかりません
スミマセン
「確認ですが来年度、夜勤ってやってもらえますか?」だって
やりますよ、って返事したら
「じゃー常勤扱いで」だって
はーいって帰って来たけど
常勤扱いでって?
給料据え置き?ってこと?
ん???
はなはだ疑問の多いそして短い面接
うちの病棟、子育て中の人が多く
夜勤の数が少ない人もいて
夜勤しない人はいらないと言うことらしい
がーしかし、こんなにオババでいいのか?
仕事出来ますよ、はい、そんへんの若者より
点滴の留置針も入れれます
その辺の若者より上手です
緊急事態にも肝据えて対応出来ますよ
修羅場いくつも経験しましたから
今の職場に転職するとき
60歳過ぎても働ける助産師を目指していた
この人にもっと働いて欲しいと思われるように
それで、骨盤ケアの勉強して
トコカイロプラクティック学園でカイロや交感整体まで学んで
他にも、発達応援のコースとか
かなり自分に投資をして
気がついたら60歳になってしまった
60歳過ぎても働けそうで
しかも、いて欲しいと思ってもらえるらしい
ありがたいことでございます
思えば25歳の時に人生80年
助産師学校は一年
80年のうちの たった一年ならなんとかなるかもと受験をして
国立大蔵病院付属看護助産学校助産師科に合格、国立はすごかった
寮費は只、月食費12000円、
学費55000円
教科書代とかはがかったけど、
資格取れて
この資格のおかけで
食いぶちを稼いでまいりました
息子も大学まで行かせられたし
さてー課題は、死ぬまでなんとか元気で自分で食っていけること
トイレのたびにスクワットは続けています
時々家の階段をのぼって下りてを数回から始めました
なんせずぼらなので、あんまり外にも出たくないし
ボチボチとやっていきます
こんなとても私的なことを最後まで読んでいただいて
ありがとうございました
今日もコロナが減らないニュース
どうかこの時代を生き延びて
好きな所に行って
会いたい人にいつでも気兼ねなく会える時を迎えましょ‼️
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