北海道暮らし、はじめました。(旧:東京Diary)

サラブレッドと美味しいモノが集まる北海道が大好きなあまりに、
移住してしまった大阪人の送る北海道生活です。

東京から甥っ子会いに来てくれた

2024-09-26 | 家族
「とうきょうから おいっこあいに きてくれた」

札幌に出張中の甥(次姉の息子)が、時間を作って苫小牧まで出てきてくれて。感動の再会(T▽T)

2000年生まれの24歳。ミレニアム世代という事は、マンチュー・ユアてぃん・タツキちゃんetcと一緒か~(≧∇≦)

ごまたまごと羽田限定シュガーバターの木。私がリクエストした東京土産を携えてくれて…ありがたいねぇ(´ー`)

最後に会った時はまだ高校生だったのに、いつの間にか大学も卒業して大手企業に就職して…立派になって(´ー`)

東京で働くのも一人暮らしも大変だろうに。どこ住んでんのー?と尋ねたら「ウインズ後楽園の近く」って。

なぜ??「ウインズが近いから、家そこに決めてん~」…え、もしかして競馬するの!?驚きを隠せない叔母(^^;)

「推しはタイトルホルダー!」とか。3年前ぐらいから競馬にハマり、宝塚記念を現地観戦して感動したとの事。

ええええー!Σ(゚д゚lll) 全然知らんかったし誰からも聞いてへんしー!身内に競馬好きが現れるとは…。

先に知ってれば、ノーザンホースパークでも連れてったのにー。次の機会にはサラブレッド見学ツアーを開こう…。

甥は競馬好き、姪(長姉の娘)は野球好き…私の子でもないのに趣味が隔世遺伝してるのが不思議すぎる(^^;)

一緒にランチを食べながら、ほぼ競馬の話で盛り上がり( ̄▽ ̄) 別れ際にわが息子たちと「イトコ同士」の初対面。


私と比べると、なんて小顔なのよ…(T▽T)

身内で北海道に来てくれたのは父だけで。その次は姪っ子たちかな~と思ってたら、まさかの甥っ子登場。

一番可能性がないと思っていた人物が来てくれて、しかも馬好き。叔母はめちゃくちゃ嬉しかったぞ!(≧∇≦)

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2年ぶり父が来たのよ、次もある?

2024-05-29 | 家族
「にねんぶり ちちがきたのよ つぎもある」

先週末、大阪から父が2年ぶりの来道。2年前に「次はあるかな…」と不安を抱いたけど…あったね(´ー`)

初日は空港でお出迎え後、大阪へのお土産を買い回り、箱詰めしてチルドゆうパックで発送、という作業を私がした(^^;)

レンタカー屋の迎車に乗ったのを見届けて、私は帰宅。父はレンタカーを走らせてひとり、故郷の小樽へ。

2年前の記憶があるからと、ナビも使わずに小樽にたどり着いたらしい。御年84歳のオジイチャン、よーやるわ(^^;)

2日目は小樽で用事を済ませた後、宿泊先の千歳のホテルに来た父。を、車で迎えに行ってわが家に連れ帰り。

「オジイ!久しぶりに遊ぼう!」とばかりに熱烈な歓迎をするワンコたち、と全力で遊んでくれる父。


その後、仕事を終えた亭主ドノが帰ってきて。みんなで美味しい寿司を囲んで楽しい晩餐会。


父は北海道に来ても毎回、亭主ドノに会えずにいたから、「息子」に会えた事をえらく喜んでたな〜(´ー`)

苫小牧の美味しいホッキをずいぶん気に入ってくれて。4貫あったうちの3貫食べてったもんね。食欲衰えずで何よりだよ。

亭主ドノの運転で父を千歳のホテルまで送り届けて、2日目が終了。はっちゃきこきすぎてワンコたちは爆睡(^^;)

最終日は空港で父をお見送り。「今度こそ、次はあるかな〜?」なんて言ってたけど、また次があると信じたい(´ー`)

「ダービー的中したんは、お父さんが幸運を運んできてくれてんで〜」と亭主ドノが言ったけど、そのとおりかも(^^)

おとーさーん。次もあるかなー?ワンコたちが元気なうちにまた来てほしいよー\(^o^)/

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末娘いつまでたっても甘ったれ

2023-10-25 | 家族
「すえむすめ いつまでたっても あまったれ」

週末の土日、1泊2日で大阪の実家へと帰省。4年ぶりだよ〜!とワクワクしながら飛行機に乗ったんだけど。

4年のうちに私の偏頭痛体質が悪化したらしく。薬を飲んだにも関わらず、行きしなの機内でグロッキー(>_<)

気圧の変動が大きい(たぶん)離陸後と着陸前が、とにかく痛みが激しくて、ギュルギュルと締めつけられる不快感。

もういや…吐きたい…でもこの狭い機内で紙袋を抱えてゲロゲロ始めたら、周りにドン引きされるよな…(>_<)

無になれ!無になれ!と何も考えず無になろうとしても、痛みは消えず。ただひたすら一刻も早い着陸を願ってた。

着陸直後すぐ、長姉にLINE。「ごめん、やっぱり頭がアカンかった、迎えに来てほしい」と。

本来、空港からバスなり電車なりで大阪の街ナカに出て、都会ヤベー!スゲー!と田舎者感覚を楽しむつもりだったのに。

そんな余裕は全くなく、可能であれば地ベタに寝転んで一切動きたくない…と思いながらも移動。

なんとか空いてるベンチを見つけ、ひたすら突っ伏して痛みが治まるのと、姉の迎えを待った。

約1時間後、長姉&次姉が車で迎えに来てくれて。ゴメンー、ほんまにゴメンー、と車内で平謝りしまくり。

頭のダル重さで、車窓からの大阪を楽しむ余裕もなく。気づけば4年ぶりのわが生まれ故郷。

次姉の家で、海外留学中の娘(私の姪っ子)の部屋を借り、頭を冷やしてベッドで寝かせてもらった。

はあああ〜情けない!(T皿T) 50間近のオバサンが未だにコドモ気分で姉たちに甘えまくる、この恥ずかしさ(T皿T)

歓迎会だ〜♪とせっかく夕食のお店を予約してくれてたのに、キャンセルさせてしまうし。申し訳なさすぎる(T_T)

「何が食べれそう?買ってくるよ」と、お寿司だ焼き鳥だと色々買ってきてもらい、父と娘3人で揃って晩ゴハン。

手間ばっかりかけて本当にごめんなさい〜(T_T) なんで私の甘え体質はこのトシになっても継続中なんだよ…(>_<)

翌日、体調が良くなってからも、長姉に朝ゴハンを食べさせてもらいーの、父に空港まで送ってもらいーの。

最初から最後まで家族にお世話かけっぱなしで、甘ったれの末娘がお騒がせしました(>_<)

でも4年ぶりに会えて、みんな元気で嬉しかった。みんな大好き♪(´ー`)


甥っ子姪っ子がみんな成人して、あちこちに巣立ってるけど。次は全員揃って記念撮影できたらいいな(´ー`)

自分の家では「オカン」として日々頑張ってるのに、実家に行くと途端に「甘ったれの末娘」になってしまう(^^;)

離れてても長年会えてなくても、実家があるって、家族がいるって、ありがたいな〜と実感した2日間でした。

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秋彼岸おはぎ供えて母命日

2023-09-22 | 家族
「あきひがん おはぎそなえて ははめいにち」

今日は14年前に亡くなった母の命日。お彼岸を兼ねて、昔は手作りしていたおはぎも、最近は買って済ますようになった。

母と祖父、亭主ドノのご両親、みんなにお供え。


母は良しとして…祖父は、亭主ドノのご両親は、どんな食べ物が好きだったのかな…なんて事を考えながら手を合わせる。

亭主ドノのおとうさんは10月で5年、おかあさんは11月で4年。それぞれの命日には好きな物をお供えしよう。

母の命日は毎年、母が亡くなった日の前後数日の事を色々と思い出して、ホロホロ涙が出てしまうんだけど。

今年はふと。ああ、B’zさんの誕生日の21日でもなく、稲葉さんの誕生日の23日でもなく、22日だったよなぁ…と。

後々、B’zさんの記念日に私が浮かれはしゃいでも問題ないように、気を遣って22日に旅立ったのかなぁ…と思ったり。

私の忌引休暇とか、姉の仕事とか、甥っ子のサッカーの試合とか、そういう都合を全部考えてくれたのかなぁ?

と姉たちと話してたあの時。みんなが困らない日に旅立った母。まさかB’zさんの事にまで気遣ってくれてたのか…。


お母さん。今年のB’zさんは長居で千秋楽を迎えるのよ。家から近かったから、長居公園はよく遊びに行ったよね。

昔の事を色々と思い出した、今年の母の命日。そしてB’zさんは昨日35周年。何かと感慨深い…。

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お茶漬けと相性が良い山椒味

2023-03-15 | 家族
「おちゃづけと あいしょうがよい さんしょあじ」

ありがたい事に、毎年この時期になると大阪の姉からイカナゴの釘煮が届いて、春の訪れを感じます(´ー`)

最近はいつも2種類作ってくれて、左側はノーマル、右側は山椒入り。


どっちも美味しいんだけど、私は山椒とか生姜とかが効いてるのが好みなんだよね〜(人´∀`*)

しかも去年からハマり出した食べ方。山椒入りの佃煮はお茶漬けにするとべらぼうにウマいっ!(ノ≧∀≦)ノ


そのまま白ご飯にのっけても美味しいけど、ちょっとピリ辛。それがお茶漬けにすると、もう箸が止まらない( ̄▽ ̄)

「姉ちゃんありがとう、いただきます(^人^)」とゆっくり味わおうと食べ始めるのに。美味しすぎてあっちゅー間(^^;)

イカナゴの釘煮を食べると、いつも作ってくれた母の事や、自分で作った事を思い出して、ちょっと泣けるのよな(´д⊂)

母の釘煮を食べられなくなってもう15年ほどになるけど。姉が引き継いでずっと食べさせてくれる事に本当に感謝(´д⊂)

メソメソして鼻水をズルズルすすりながら、山椒入りのイカナゴでお茶漬けをズルズルすする私でした(T〜T)

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命日と家系図に思うわが生命

2022-09-22 | 家族
「めいにちと かけいずにおもう わがいのち」

9月22日は母の命日。もう13年経った。早いなぁ。

春と秋の彼岸には必ず、おはぎを作っていた母。アズキズキな私も一緒に作るのを手伝っていた。

手をヤケドしそうになりながら、寿司桶2つ分ぐらい、大量に作って。作りたてを一緒に食べて。美味しかったなぁ。

家族5人で食べるから、大量に作ってもすぐなくなったよなぁ。結婚後もしばらくは、おはぎ作りを継続してたけど。

前みたいにもち米3合分とか作ったら、食べきれずに傷ませちゃうので。最近は作らずに買って済ませるようになった。

本来は秋分の日に食べる物なのに。母が旅立ってからは命日に、母を思いながら食べるおはぎ。

手作りじゃなくてゴメンね、お母さん。そして子供の頃からずっと「神様」と崇めていた父方のおじいちゃん。

祖父は私の守護神に違いない、と勝手に決めて生きてきたおかげで、大震災に3度も見舞われながらも無事に過ごせている。

大きなケガも病気もせず、悪い人間が寄り付く事もなく、毎日を平穏に過ごせているのはきっと「守護神」祖父のおかげ。

そういえば先日、父から家系図の画像を送ってもらった。


ご先祖様の駅(藤山駅)がある留萌本線が廃止になっちゃうよ〜、という話を亭主ドノとしていた時。

「(私の旧姓が)藤山って苗字じゃないのになんでご先祖様なん?」と聞かれて、うむむむ…と返答に悩んでしまい。

藤山翁と私の血のつながりを教えてくれ〜、と父に泣きついたら(笑)、家系図を送ってくれた。

結論。藤山翁の娘さん=祖父の母。つまり私の曾祖母。なので、藤山翁は私の高祖父である。

ま、女系って事になるので、ガッツリの「ひいひいじいさま」ではないかもだけど。血はつながってるのだ。

そんな事を確認しながら、初めて見る父方の家系図。


父と小樽の伯父の間に「(仮)伯父」になるはずだった男の子がいたのか。たった7か月で命を落としてたなんて…。

他にも早逝した人たちが多くて。なんで?って父に聞いたら、結核かなと。祖父も結核で30代で亡くなったそうだし。

父も幼少期の結核で「学校を1年ダブってたんだよ〜」と笑いながらよく言ってたな。

でもアメリカから良い薬が入ったおかげで死なずに済んだんだよ〜(笑)と。父が生きてくれたから今の私がいるのね。

「結核」って聞くと、ゴールデンカムイの影響でつい、家族みんなを失った杉元の事を思ってしまうのよ。

父が結核に負けないで生きてくれてよかった。母と出会ってくれてよかった。今も元気でいてくれてよかった。

家系図と祖父の写真と母の写真を見ながら、脈々とつながる自分の命にありがたみを感じた、母の命日でした。

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久々に父に会えたよ、次はある?

2022-05-26 | 家族
「ひさびさに ちちにあえたよ つぎはある」

一昨日。父が大阪から北海道に来てくれました。千歳からレンタカーを運転して、まずはわが家へ。

ワンコたちと遊んでもらったり、お土産をくれたり、お昼を一緒に食べたり。1時間ほどの滞在。

その後、故郷の小樽へ。千歳のインターまでナビを設定してくれればあとは大丈夫、と言われたけど、すげー心配(>_<)

が、私の心配をよそに、2時間後には小樽のホテルに着いていた。父すげー!!Σ(゚д゚lll)

兄妹や親戚たちと集まって、楽しい時間を過ごしたらしい。よかったね(´ー`)

翌日(昨日)。小樽を発って再びわが家へ。父よ、前日に走ったばかりの道をナビも見ずに来れる貴方はすげーよ(^^;)

んでまた前日と同じような感じで1時間ほど過ごし。父はレンタカーを返しに行き、私も空港まで後追いして待ち合わせ。

車を運転するのは平気だけど、空港内を歩き回るのはしんどい、との事で。私が代理で大阪へのお土産を買い回り。

飛行機の時間まで少しあったので、コーヒーショップでお茶しておしゃべりして。父を見送った。

…最後に会ったのは2年前の冬だったのに、なんかお互いあっさり再会してあっさり別れたな(^^;)

今まではそれでもよかったけど、父も御年82歳。さすがに次また会える確証はない…と思う。考えると悲しいけど(T_T)

でもいくつになっても、私にとっては昔と変わらない「娘思いで頼れるお父さん」なのよな。

傍から見れば、どこからどう見ても立派なオジイチャンで、色々と危なっかしく思えるけど。

そんなオジイチャンが、肩が痛いだ足腰が痛いだ言いながらも、はるばる北海道まで来てくれたのよな。

次があるかどうかを嘆く前に、私が「次」を作ればいいのよ。3年ぶりに大阪に行けばいいのよ。

お父さん、今回は来てくれてありがとう。次は私が大阪に行くので、それまで元気でいてくださいね(´ー`)

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姉からの陣中見舞い、嬉しいぜ

2022-01-26 | 家族
「あねからの じんちゅうみまい うれしいぜ」

大阪に住む姉から、ラーメンやらチョコやらおせんべいやら、たくさん届きました(ノ≧∀≦)ノ

大雪続きで毎日雪かきに追われて疲弊した時の画像を見て、差し入れをしようと思ってくれたらしい。ありがたいぜ(´д⊂)

最近は雪も降ってないし、体も全然元気になってるので、ちょっと申し訳ないけど(^^;) 遠慮なくいただこう(-人-)

天理のスタミナラーメン、ずいぶん昔に一度だけお店で食べて美味しかったなぁ。こんなのもカップ麺になってるのね。

そして「モロゾフぐらいあるわ、って思われるかも」と添え書きのあった、モロゾフのチョコレート。


いやいやいや!ないないない!(ヾノ・∀・`) モロゾフなんて札幌にしかないってばさ( ̄▽ ̄)

しかもこんな雪の時期に札幌に行こうものなら、車でも鉄道でも「帰って来れるかわからない」のが北海道(^^;)

いやまぁ、もしかしたらイオンに行けば「銘品コーナー」みたいな所にあるかもだけど、品数は限られてるだろうし。

姉ちゃんよ、私の住んでる場所がどれほど何も無い田舎町なのかをわかってないな。遊びに来たらドン引きするぜ(^^;)

でもこうして何年経っても、お互いにいいオバサンになっても妹を思ってくれる、そんな姉を持った私は幸せだよ(´д⊂)

雪とオミクロン株で全然身動きが取れず、引きこもりがちな毎日。姉の愛が嬉しくてホッコリした今日でした(´ー`)

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「オレの日」(笑)

2021-11-11 | 家族
昨日11月10日(水)の夜、大阪の実家に住む姉から届いた写真。

実家のカレンダーに、父が自分の誕生日の事を「オレの日」と自分で書き込んでいるらしい。何そのアピール(≧∇≦)

過去に「5月4日は『みどりの日』じゃなくて『私の日』だよ〜」とアピールしていた私。血は争えない(笑)

「オレの日」の昨日。しばらく連絡をしていなかったので、父の82歳の誕生日をお祝いがてら、電話をかけた。

歳も歳だし…と、しゃがれたジジィの声を想像していたのに、いつもどおりにハリのある声が返ってきて驚いた。

姉にフォルクスへ連れて行ってもらって、お祝いのステーキをごちそうしてもらう、との話を聞いて、さらに驚いた。

えっ、お父さんその歳でまだ牛肉が平気なの?私なんて最近、脂がツラくて肉よりも寿司とか魚を食べたいのに(´д⊂)

一人で鳥取(母の故郷)に行って母のお墓参りをしたとか、福井まで遊びに行ったとか、相変わらず車の運転が好きみたいだし。

心身共に元気で何より…と安心したけど、「そうは言ってもこの歳だから急にどうなるかわからんよ〜」と言われた。

そうなのよな。ここ最近、父と同世代の80代の著名人の訃報を聞く事が多くて、私はそのたびにハラハラしてるのよ(>_<)

川嶋辰彦教授(81歳)とか、細木数子さん(83歳)とか、今日なんて瀬戸内寂聴さん(99歳!)の訃報を聞いて…(T_T)

もうかれこれ2年近く顔を合わせていないので、「会いに行っときゃよかった」と後悔する前に会いに行きたいんだよな。

諸々の制限が緩和されてる今がチャンスとは思うけど。飛行機とか電車とか逃げ場のない空間に一人で行くのが怖い昨今(>_<)

でも、「オレの日」なんて元気な口を叩けるうちに会いに行きたいな。どこでもドアがあればいいのにな〜。

コロナ禍…は仕方ないとして、電車で火を放つとか刃物を振り回すとか、そーゆーのマジでやめてほしーんですよ(-_-)

モグラ叩きのように次々と出てくる、模倣犯という名の愚者どもがひととおり片付いた頃合いを見て、大阪に行けたらなぁ…。

と、父の誕生日をきっかけに考えている私です。直に顔を見て「おめでとう」と言える日が来ますように(-人-)

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偲ぶ日

2021-09-22 | 家族
昨日21日(火)は中秋の名月だったそうで。私の住む地域は、雲の隙間から時折顔を覗かせる明るい満月が見えました。

明けて今日、9月22日は12年前に母が亡くなった日。もう12年も経ったのか、早いなぁ。生きてれば79歳なのか。

お母さん。12年前に小学生だったり就学前だった孫たちはみんな、じいじ思いの優しい大人に育ってくれてるよ。

姉ちゃんたちやお父さんがちゃんと育てた事はもちろんだけど、生前お母さんが優しく護ってあげたからなんだろうね。

「よその人にとってはどこにでもある小さな出来事だけど、お父さんにとっては一生に一度の大きな出来事だよ」

お母さんが亡くなった後、お父さんが泣きながら呟いた言葉がずっと忘れられなくて、大丈夫かなといつも心配してたけど。

なんやかんやで12年も経っちゃったのよね。優しい孫たちが12年間ずっと、お父さんの毎日の活力になってくれたんだろうね。

私も最後に大阪でみんなに会ってから2年も経ったので、そろそろ会いに行きたいなぁ。みんな元気かなぁ。

お母さん。これからも中秋の名月のように静かに明るく、私たち家族を見守っていてくださいね。

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今年は当日に誕生日祝い

2021-05-05 | 家族
昨日5月4日(火)は私の47歳の誕生日。去年は1日遅れだったけど、今年はちゃんと当日に祝ってもらえました(^^)

イチゴのロールケーキ。スポンジ多め、生クリーム少なめで私好み(人´∀`*) なんぼでも食べちゃう美味しさ♪


毎年恒例、亭主ドノが買物から調理、後かたづけまで全部してくれるディナータイム。今年は厚切りローストビーフと。


ナスとミートソースのドリア。


ジャガイモを丁寧に裏ごしして作ってくれたヴィシソワーズ。


いずれも絶品なりー!(ノ≧∀≦)ノ 美味しいよ亭主ドノ!ありがとう〜♪♪

昨日は大阪の姪っ子2人からも「おたおめLINE」が届いて、齢四十七の叔母はホンワカ心があたたまったぜ(´ー`)

23歳の姪っ子は、彼氏とのラブラブな画像を送ってくれて。ドギマギしながらも、楽しそうな笑顔に安心したり。

私と同じように野球部のマネージャーで頑張る高2の姪っ子は、「新入部員が入ってこん〜」とか嘆いていて。青春してるなぁ。

生まれたばかりの赤ちゃんの姿を知ってる彼女たちが、しばらく会わんうちにどんどん大人になってるのが、ただただ不思議。

ま、その頃は私だって20代だったもんな。私が50手前になってんだから、そりゃ姪っ子たちだって大人になるわな(T▽T)

愛する亭主ドノとワンコたちに囲まれて。実家では大切な家族たちが元気に過ごしていて。私は幸せだよ(´ー`)

そんな事を思ってホッコリした、47歳の誕生日でした(^^) 来年は年女かぁ〜。

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お福分け、と言うらしい

2021-05-01 | 家族
1週間前にドカンと当たった23万馬券で、実家の父、姉2人、姪っ子2人、甥っ子、亭主ドノ、計7人にお小遣いを贈呈(^^)

私を含め、姉2人、姪っ子、甥っ子の誕生日が、ちょうど4〜6月に集中してるので、誕生日祝いも兼ねて。

実家に書留を送る時に、サラサラっと手紙を添えたけど、その時に「これは…おすそ分け、と書いていいのか?」と悩み。

結局「おすそ分け」という文言は使わず、「みんなに誕生日祝いだ〜!」とかって感じで書いたのよな。

デカい万馬券が当たった時。いざ欲しい物を買おうとしても、もともと物欲が強くないので、なんとなく困ってしまい(^^;)

とりあえずこの喜びの感情が強いうちに、大切な人たちと分かち合いたいと思い、お金をバラ撒く行為に出てしまう私。

そうなのよ、この「バラ撒く」って感じをもっと良い言い回しで表したいんだけど、「おすそ分け」はちょっと違う気がするし…。

ううーん、と悩んでいた昨日。とあるネット記事で「大量の物が抽選に当たった時は『お福分け』を」というのを読んで。

例えば野菜や果物なんかが段ボール箱で届いて、自分だけで消費できない時は、周囲の人に「お福分けです」と言って渡すと良いらしい。

おお!なんていいタイミング!(≧∇≦)b 私が探してた表現がまさにそれなのよ!お福分け、良い言葉じゃないか(^^)

という事で昨日、父宛てのメールで早速「みんなに『お福分けだよ〜』って伝えといて♪」と使ってみた(^^)

幸せや喜びは周りと分かち合う事で、いずれ何倍にもなって返ってくる気がする私。

今回、ひょんな事から「お福分け」という素敵なワードを学べて嬉しい(人´∀`*) これからバンバン使ってみよう。

ちなみに今日5月1日は、次姉の誕生日で。昨夜「ありがとうLINE」が届いたので、ウマ娘スタンプで返事を送ってから、ふと気づいた。


あっっ!そういえばスズカさんも同じ誕生日だったよね!ハッピーバースデ〜♪(ノ≧∀≦)ノ

COVID-19のせいで長い間会えずにいる大阪の実家のみんな、どうかこれからも元気に毎日を過ごせますように(^人^)

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9月のカレンダー

2020-09-01 | 家族
月初めになるとカレンダーをめくるのは私の役目。ああ、もう9月か。今年もあと4か月、1年ってあっという間よな。

よくよく見ていると。ああ、今年は11年前と同じ曜日並びなのか。違うのは23日が秋分の日じゃないぐらいか。

11年前、2009年の9月、母が亡くなった月。

あの年の9月は、19日(土)から23日の秋分の日まで5連休で、世間では「シルバーウィーク」とか騒がれていて。

世間の浮かれた雰囲気とは全く正反対で、19日に住んでいた東京を発ち、母が入院していた大阪の病院に直行した。

病室の母は、意識もあり起き上がってもいたけど話ができず。私を認識してくれていたかどうかはわからない。

そんな母の様子にショックを受けて、実家に泊まらせてもらっている間、ずっとメソメソメソメソ泣いていた。

結局、私は母と一言も会話をする事ができないまま。母は22日(火)の夜明け前に亡くなった。

当時勤めていた職場の上司に連絡をした時、忌引休暇が何日もらえるかを聞いたら、「2日間です」と言われ。

たった2日かよ…これだから小さい会社は…と思ったけど。母の葬儀は24日(木)に行われ、25日(金)に私は東京に戻った。

たった2日間の忌引休暇でも私が不便をしないように、母が私の事を思って自分の死期を計算したんじゃないのか。

そんな不謹慎な事すら考えてしまうほど。5連休と2日間の休暇を使うだけで会社の業務に支障をきたす事なく、母との別れを終えた。

その後しばらくは、母の事を思うたびに毎日毎日メソメソ。こんなに辛くて悲しい事を乗り越えられるのかと不安だったけど。

良くも悪くも、時間が忘れさせてくれるもので。こうして穏やかに、でも未だに涙ぐみながら、11年前の事を思い出している。

この先もずっと、9月1日が火曜日で始まるたびに、私は2009年の9月を思い出して、メソメソするんだろうなぁ。

そんな事を考えながら、めくったカレンダーを眺める9月初日でした。

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結婚20周年に母を思う

2020-04-16 | 家族
2020年4月16日(木)。今日、私たち夫婦は無事に結婚20周年を迎えました(ノ≧∀≦)ノ

春の健康診断を控えて夫婦揃ってダイエット中のため、体に良さそうな(気がする)フルーツ盛り盛りの小さめタルトでお祝い。

もう20年かとも思うし、まだ20年かとも思うし。20年の間に住み処を4回も変わって、家族(ワンコたち)も増え。

しみじみしながらも、金婚式まで二人ともが元気でいられるように、健康に過ごせるように、頑張ろうと思うのでした(´ー`)

結婚記念日になると思い出すのが、生前の母からもらった「最後の手紙」とお祝いのお金。



その経緯は10年前のブログにも書いたけど、10年経った今でも読み返すと涙が止まらなくなってしまう(T_T)

結婚10周年を盛大に祝ってね、と10万円をもらって、旅行やケーキや水晶婚式(15周年)のブレスレットに使わせてもらって。

それでも使い切るのがもったいなくて、20周年の今見たら、まだ5千円ちょっと残していた貧乏性な私(^^;)

お母さん、今年はケーキ代に2千円ほど使わせてもらうね。また少し残るけど、5年後の銀婚式の時までとっとくよ(´ー`)

父は毎年必ず「おめでとう」のメールをくれるんだけど。母の分も気持ちを込めてくれてるんだろうなぁ。

「娘が幸せなのが自分の幸せ」みたいな事を言ってたけど。お父さん大丈夫、私は幸せだから安心してちょうだい。

母は金婚式を迎える事ができずに旅立ってしまったので、私は亭主ドノと一緒に75歳まで元気に生きて金婚式を祝いたいぞ。

お母さんも元気でいてくれれば、一昨年が金婚式だったのにね。なんでそんなに急いで旅立ってしまったのよ(T_T)

母を奪った病気が憎いとも思うけど、新型コロナウイルスが猛威をふるう今、私だって明日が必ず来るとは限らんのよな。

でも例えば、命を失っても不思議じゃないような大地震に遭いながらもこうして生きてるのは、母が守ってくれていたのかも。

お母さん大丈夫、お母さんが迎えられなかった金婚式を私はきっと迎えてみせるよ。だからこれからも見守っていて下さい。

…とは言っても30年はまだまだ先よなぁ(^^;) まずは5年後の銀婚式をきちんと迎えられるように励みます。

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久しぶりの手作りおはぎ

2019-03-22 | 家族



昨日3月21日(木)は春分の日。春のお彼岸って事で、久しぶりにおはぎを作って、母&父方の祖父&義父にお供え。

早いもので、今年の秋の彼岸が来れば、母が亡くなってちょうど10年。過ぎてしまえばあっという間やなぁ…。

お義父さんへの初めてのお供え。お口に合えば何よりです…って、感想を聞けるわけでもないのにドキドキ(^^;)



なんせ、5年前に北海道に引っ越してきてから、おはぎは一度も作ってなかったのよね。

苫小牧にいた時は、お彼岸=祝日で、勤めていたパン屋に駆り出される事が多くて、疲れて全く作る気になれず。

現在の住まいに来てからも、連休で車中泊旅行に出たりしてたから、毎年ついつい既製品で済ませていて(^^;)

これじゃいかんなぁ。お義父さんにも呆れられてしまうぞ。と思い、5年半ぶりのおはぎ作りに励んだのでした。

今までは小豆も餅米も圧力鍋で炊いていたので、小豆を炊いて別鍋に移して、圧力鍋を洗ってから餅米を炊いて…。

という少々手間な作業をしていたけど、今回は少量の餅米ならレンジで炊けるという事を知り、疑いつつも挑戦。

北海道といえば「はくちょうもち」。餅米も小豆も砂糖もオール北海道産。The地産地消って感じだよねぇ。



餅米2カップを洗ってといで、耐熱ボウルに入れて、水2カップを加えて、ボウルにラップをかけて。

レンジ5分→混ぜる→レンジ5分→混ぜる→レンジ5分→そのままレンジの中に10分放置で蒸らし。

という簡単な作業で、モチモチの餅米がちゃーんと炊けました\(^o^)/ 小豆は例年どおり圧力鍋で作って。



なんせ久々なので、分量もよくわからなくて(^^;) お寿司のシャリみたいな感じの大きさで、餅米部分が完成。



これを小豆で包むのと、小豆を包んできな粉をまぶすのと2パターン作って、おはぎの出来上がり〜\(^o^)/



小豆にしろ餅米にしろ、包む作業は手のひらにラップをのせてすると、手も汚れずキレイにできる事が判明。

「レンジだラップだ簡単な手段に頼って…」とお母さんが眉をしかめそうやけど。今どきって事で許して(-人-)

手作りにすると、食べたいだけの量を作れるし、小豆の甘さ加減も好きに調整できるし。買うよりもいいよね(^^)

鏡開きの日のぜんざいはマメに作ってきたアズキズキな私。今後はおはぎ作りもマメに頑張ろうと思うのでした。


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