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今日は4ちゅ年下の旦那のことを吐き出します。
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私が彼と一緒になると告白したとき母は寝込んでしまいました。
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多くの外人が「日本にくれば稼げる」とドヤドヤ来日した時期、彼もその一行の中のひとりで、「コンニチワ」も知らないのに数人の友と来日。初めて降り立った成田空港で荷物待ちをしているとき、足元に5千円札が飛んで来たそうな。「やっぱり日本はお金が余ってるんだ」と思ったらしい。そして母国で大人気だった「おしん」を見て、ニホンの女はすばらしいと思い込んで来たらしい。
ごめん…。
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彼は就学ビザが切れ、一度帰国したもののどうしても日本に来たくて観光ビザで入ってそのまま不法滞在していました。関東近県のペンキ屋さんで不法就労して、外人ばっかり何人もプレハブの倉庫に住まわされていました。夏はオーブン、冬は冷凍庫のような住まいでも私はお城に王子様に会いに行くかのようにルンルン♪していましたが、あまりにも可愛そうで、私が働いていた会社の社長に相談して、会社の近くの居酒屋を紹介してもらい、身元引受人までしてくださったその居酒屋でホールの仕事をしながら、都内の彼の友人宅に引っ越し。いいことなのに、プレハブのお城が私にとって思い出の場所だったからと、さめざめと泣く私に、彼はかなり困惑したもよう。ヘンなの!私って。
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出会ってから半年後にはふたりで住むところを探していました。外国人というだけで何軒も断られました。不動産屋めぐりに疲れたころ、都内A区なら外国人にも緩いよとアドバイスをうけ、そのA区で一番最初に紹介されたアパートがOKをくれたので即決してしまいました。駅から徒歩20分以上だけど、OKをくれただけですごくありがたかったので…。親を泣かせたまま私は彼と同棲開始。間もなく会社の社長が彼も雇ってくださった。トントン拍子に安泰に入って、二人で転職した新しい会社でもとてもよくしていただいた。彼は会社で顧客登録までやってのけるほど日本語を勉強しました。ただ、お客様の手書きの登録申請書に四苦八苦していました。「ノリ子」さんが「川子」さんになってしまったり、「しげ子」さんが「しげる」さんになってしまったり。チェックする私は何度笑い転げたか。彼はまじめに「え?川子じゃないの?」確かに、川子にも見える。「子」の字も省略して書いてあると「る」に見えなくもない。
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「大丈夫?」「だいじょばない」
「…そう思わない?」「思わある」
そんな会話に最初は大爆笑していた私だけど、今では私も使うようになってしまいました。うるさく小言を言うと「わかってるわよ!」と女言葉で返ってくる。
王子語録があります。ときどき追加されるこの語録は、ひそかに私ひとりでムフフフと小バカにしながら見ています。
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日本刀を振り回さんばかりに反対していた母親から言い出しました。「会って話をしたい」と。今は無き有楽町のそごうの屋上で私はドキドキしながら三者面談を迎えました。母は「娘はあなたより年上だし、こんなだし、(どんなだ?)将来に希望が持てないから反対してたの。何年か経ったとき、若くてキレイな女性に心変わりしないかと…」彼は「大丈夫です」ときっぱり。母は「じゃ安心したわ」と、その後は私があっけにとられている間に結婚式と披露宴(と言っても略式の『食事会』)の段取りまでしてのけた。(;゜○゜)やっぱり母なのね。
実は彼は「大丈夫です」と言って母と別れたあと、「お前の方が心配」と私に言った。あはははは~。
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放任主義。お互いに干渉しないです。私は干渉して束縛されて振り回されるのが好きなんだけど、彼はそれを望まないみたい。自分で何でもしてくれる。理想の旦那像なのかも知れないけど私には物足りない。
今日はご飯を炊いてくれて、ゴミをまとめて捨てる準備をしていた。何かヘンだぞ…と思ったら電話料金を支払うお金がないという。なに~ぃ?電話代は彼の分担だのに。一万円を出して出してと怒ってみたり甘えてみたり、知らん顔していたら肩まで揉んでくれだした。
甘やかしすぎかも知れないけど、国に仕送りしている彼を見ているから、しかたない、一万円渡したわよ。上機嫌でゴミを抱えて仕事にでかけて行きました。
そんな旦那を「ダニ」だと言われ、別れるように他人から言われたこともあります。まぁ…ダニねぇ。
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母は、「縁(みどりじゃないよ。えんだよ)」なんだから大切にするように、と愚痴る私を諭しています。そんな人でも「私が助けたいの」と言って親を説得したらしい(自分では覚えていない)。
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人生はわからない。この先もどうなるか全くわからない。
ほったらかされてときどき「あたしって何なんだろう」と思うこともあるけれど、「縁」なのかなぁ。
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座右の銘は「これも運命」だから。
外人とはいえ、やっぱりイスラム圏の人たちってものすごい価値観とかが違うと、私は向こうにいる3年間思っていました。
あと、食べ物とかも。
香取のお友達のアフガニスタン人の男の子は、母国をロシア侵攻で追われて、イランにずっと住んでた子、、、その子の、食べてるものとか、一回ごちそうになったけど、びっくりする味付けやったわ。
エジプト人のお友達の料理も、びっくりやわ。
味にうるさくない香取なのに、アラビア料理だけは苦手だったりするもん。
でもね、色々言われる中、私はイスラム教はすごいなって思うよ。
あの毎日のお祈り。
買い物にいそぐ香取の横に、ひざまづいて祈る方達。。。何人も見たよ。最初はこわかった。「宇宙人」かと思うような。。。だけど、帰国するころは「美しい姿」だって思った。
私は中東の人たちが大好き。
大切なものがちゃんとあるから。みんな。即答できるから。
そして、あの人懐っこい笑顔も大好き。
道を聞いただけなのに、色んな楽しい場所を教えてくれたり、香取のお友達なんてホテルで平気で赤ちゃんを放し飼いにしてて、何人ものボーイさんたちがずっと相手をしててくれた。
ときどき、スーク(市場)でじっくりおもちゃを見てるおじさん。。。お国の子供さんへのおみやげかな~。
そして、なんか中東って昭和の匂いがするんだ。(これはうちの両親の感想)
昔の日本があったりするんだよ。
あれ。。。関係ないかな。
だけど、中東が大好きだから、どうか世界が平和になって欲しいっていつも思ってる。ブッシュは嫌い。
旦那の弟の嫁の実家を除いてみんな治安の悪いトルコからイランに移住していたから、私はテヘランに一度だけ一緒に行った。イランもイラクもよくわからんし、何だかすごく怖かった。
でも空港に降りた途端、なぜだか懐かしかった。
香取ーぬのご両親の「昭和の匂い」、すごくわかる気がする。
夜中の到着便だったのに親戚中が何台もの車で迎えに来てくれて、外国特有のオレンジライトのハイウェイを箱乗りしながら旦那の実家まで連れ立った。
ちゃんと玄関で靴を脱ぐ。じゅうたんの上に皆でぐるりと輪になって座って、端から紹介されたけど、さっぱり覚えられん。でもやさしそうなパパとママはひとめで好きになれた。明日はウチに来い、明後日はウチにこい、と皆で喧嘩するほど親戚中にチヤホヤされた。
バザールで買い物してても、日本人というだけでたくさんの人が集まってきてカタコトの日本語で「私は日本に行ったことある」と握手を求めてくる。おしんじゃないのに~(笑)。
町角で待たされていたら、電気屋のおじさんが「暑いから中に入りなさい」と(多分)言って、冷たいお水まで出してくれる。
私は旦那の実家や親戚で「これでもか」と出された料理は、甘いお米のデザートと、羊の頭の煮込み以外は結構おいしく食べられた。ただサラダは「草じゃん、これ…」と思ったけど。豆と野菜の煮込みとか、鶏肉や牛肉の煮込みはどれも美味しかったなぁ。
一番うれしかったのは、旦那の小さい頃の写真。
兄弟が階段みたいにずらっと並べられてフィンガー5と同じじゃん~♪って喜んじゃったよ。
前菜に、まるまるトマトが出てきたり、なかなかやね。
草なのよ。そうなのよ。
でもアメリカも似たようなもんだった。
グリーンサラダ頼んだら、レタス丸々1個を4つ割りにして、真ん中にキャベツの千切りを突っ込んだだけのが出てきた。ハードロックカフェでだよ(笑)!
爆!