完全追求はなかなか難しいでしょうね。
年寄りの爺さんですが、自分の経験体験からしても、そのように天は設計されているみたいですからね。
昨日投稿しました、ボウボウと生えている雑草を草刈機で刈り取れば、
心は本当にスッキリ致しますが、反面必ずマイナス面も出ますよということです。
自分の体を使い、時間を割き、ガソリンを使用し、刈り取り機も消耗し、
植えていた必要な草木を3%程度は切り、傷をつけるなど痛めてしまうものですよ。必ずマイナス点もあるということですよね。
得る面(プラス)があれば必ず損する面(マイナス)もありますよ、程々の調整が必要なんですよね。
私は平地と山(中心が山の生活)の二重生活を選択していますが、日曜日には町内一斉清掃があり今日平地へ帰ってきています。
(タケノコ、ウド、フキ、ヨモギの収穫、を半日かけて)
自由自在に生きれば幸せかというと、そうでもないということです。
人間関係においても平安を得る為には、矢張り制約を受けるものですよ。
生き方はみんな自由なはずですが、
皆さんはどのように思われますか?
お釈迦様はこの世は四苦八苦でどうしょうもないが、自分の体験の中から、
王子様の時はしたい放題で何事も自由に生活できましたが、でも心は満たされなかったそうですね。
それで出家して、体は痩せ衰えて、死ぬような厳しい修行をなさったそうですが、
やはり心の満足は得られなかったそうですね、このままでは死んでしまう、
死んだら肉体は終わりになるだろうと、何のための修行かと思い考えて、
下界へ降り木の下で瞑想していた時に、
乳搾りの女性の歌声を聴かれたそうですね。
弦んを張り詰めれば切れる、緩めすぎれば音が悪い。
ああ、そうか中程が丁度良いと、中庸について悟られた事は余りにも有名ですよね。
時ところにより時期を得た、物の見方考え方捉え方が実に大切な事を教えて下さっています、、、
四諦八正道の実践によって、「四苦八苦」から逃れることができますと説かれています。
正見、正思、正語、正命(心口意の調和の取れた行為が大切なことも解かれています)
宗教に入り信仰はしていませんが、お釈迦様、イエス様の原点の教えは含蓄のある真理の言葉と理解しています。
平凡な欠点の多い自分ですが素直に謙虚に見習い、
愛と光と感謝で思い出し反省しながら、癖欠点を少しでも改めて行ければ幸せなのかも知れないね。
『いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい』・・・イエス様真理の言葉。
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