「誰の為に生きてるの」と問えば、空かさず「そりゃ、自分の為さ、それ以外に
誰のために生きるの、神様じゃないんだから、人の為に生きれるものか」と、
返事が返ってくる。
確かに、多くの人は同じ考えではなかろうか。
そしてそれは、至極当然のことであり、罪でも悪でもない。人の自然体であろう。
誰しも無意識の状態、自然の状態ではそれぞれが自分の為に生きているのである。
私は人の為に生きている、と
自然に口にできる人はいったいどれ位おられるものだろうか。
殆ど皆無なのではなかろうか、それが神でなく人たる所以だろう。
それでは、我々はそれだけでいいのだろうか、自分の為に生きるのはお互い様であるが、
自分の為に生きる人生でいいのだろうか、との疑問を抱かずにはいられないのである。
果たしてそれで満足できるものだろうか。確かに多くは自分の為に生きることで満足を
されておられるのかもしれないけれど。
私は、「人の為に生きる」という意識の必要性を感じてならないのである。
自分の為に生きることは自然であり、自己満足を得られる最も大きなものではあるが、
「人の為に生きる」という意識を育て、人の為に生きれた時、より満足度が増大する
のではないのだろうか。
「自分の為に生きる」を大切にしながらも、「人の為に生きれる自分」を創造して
いきたいものである。
誰のために生きるの、神様じゃないんだから、人の為に生きれるものか」と、
返事が返ってくる。
確かに、多くの人は同じ考えではなかろうか。
そしてそれは、至極当然のことであり、罪でも悪でもない。人の自然体であろう。
誰しも無意識の状態、自然の状態ではそれぞれが自分の為に生きているのである。
私は人の為に生きている、と
自然に口にできる人はいったいどれ位おられるものだろうか。
殆ど皆無なのではなかろうか、それが神でなく人たる所以だろう。
それでは、我々はそれだけでいいのだろうか、自分の為に生きるのはお互い様であるが、
自分の為に生きる人生でいいのだろうか、との疑問を抱かずにはいられないのである。
果たしてそれで満足できるものだろうか。確かに多くは自分の為に生きることで満足を
されておられるのかもしれないけれど。
私は、「人の為に生きる」という意識の必要性を感じてならないのである。
自分の為に生きることは自然であり、自己満足を得られる最も大きなものではあるが、
「人の為に生きる」という意識を育て、人の為に生きれた時、より満足度が増大する
のではないのだろうか。
「自分の為に生きる」を大切にしながらも、「人の為に生きれる自分」を創造して
いきたいものである。