komaと申します。母のくも膜下出血から今、これからのこと

73歳の母がくも膜下出血になり、そこから見えてきたあれこれを記しておきたくてはじめました

7/15 小さな光が

2022-08-03 13:25:39 | 日記
7/15
朝、母の長年の友人Mさんとモーニング。
Mさんはコーヒーを飲みながら母の倒れたときのことや今の様子をゆったりとした口調で聞いてきた。
本当に心配してくれているな、という気持ちが伝わってくる。

お見舞いとお菓子を受け取り、倒れたときのこと、今の容態など話し、また様子を教えてと言われ別れた。

病院から電話が来た。
着信画面見ただけですごい動悸がする。

やはり脳のれんしゅくがあるらしい。
頭痛と微熱も。

でもそれとは別で
母がわたしと話したいと。

んん?

電話をかわると、たどたどしく、
リハビリを始めるので靴を持ってきてほしいそう。
スマホとメガネもほしい。

喋れてる。
よかった。

看護師さんに持っていってもいいのか確認し、そして親戚の方が来たと言われた。
よっちゃんか?と本人に聞いてみたら違うらしい。

何だか混乱しつつ、病院へ。

母はとてつもない時間はかかったけれど車イスでトイレに行けたらしい。
カーテンをまた開けてもらって、洗髪中だったけど少し顔が見れた。
何となく微笑んでいたかな?
手をふってバイバイして。

リハビリがんばって
がんばってしか言えないけど
応援してる。
辛いと思うけど乗り越えてほしい。
何でもするから
お願い神様ご先祖さまおじいちゃんおばあちゃん、
お母さんを助けて。
あの靴を履いて帰ろう

夜サーコは何とか涙はこらえたものの、腹痛の薬を飲み、眠りについて夜中に鼻血が吹き出した。
何かの事件のあとか?っていうくらい布団に飛び散るたくさんの鮮血。
サーコ、大丈夫だよ
ちゃんと眠って、元気でいなきゃと声をかけ髪を撫でる。

7/14 もしも忘れてしまっても

2022-08-02 18:56:28 | 日記
7/14

仕事中ぼうっとして全然集中できん。早く帰りたい、母の様子知りたい。

スマホのフィルムが届いた。
母の分。
丁寧に貼る
これで見やすくなったかな

サーコの書いた手紙を渡す、キャンセルした病院の情報をお伝えという用事をつくり、病院へ。
看護師さんに渡したら、しばらくしてまた来てくれて、通路から一番手前のベッドなので顔だけでも見れるかな、とそっとカーテンを開けてもらった。

サーコの手紙を握りしめ見ていた。
看護師さんが何か持ってきてほしいものがあるか聞くと、頷くのだけど言葉が出てこない。
それを何度か繰り返して
そしてまた手紙に目を落とす。

私に手を振るものの、ぼうっとしているのか?つらそうだ。

先生が来て、面談室へ。
脳の血管れんしゅくが起きていて、きのうから言語障害が出だして名前も日付も言えないらしい。
麻痺も今のところはないけど先のことはわからない。
回復するかどうかはわからない。

手術のあと言われたのはこのことか。

この術後2週間というのは、だんだん良くなっていくということではなく、あらゆる色んな症状が出てくる時期で。
おおまかに言うと
元気に退院出来るのは30%くらい、後遺症を残すのは30%、亡くなってしまうのは30%、と。

何てこと。
くも膜下出血で倒れたときに半分は亡くなってしまうと聞いた。
そしてあの大手術を経て、まだそのくらい低い可能性なのか。

お母さん
もし全部忘れてしまってもいいから
障害が残っても支えていくから
どうか生きていて

帰ってよっちゃんに電話
その後母の友人Mちゃんに電話。
メルボルン在住のMちゃんは、親が倒れてしまったときも何もできず今回も海の向こうで気を揉んでいるのがごめんね、辛いと一緒に泣いてくれた。

あと約10日。
がんばってくれてるのわかってるけど、がんばってほしい。

実家へ向かう。
前から母が軽やかに歩いてきそう。
でもいない。来ない。

猫。
寂しさもあるのかストレスか
今日も下痢。
あまり元気もない。
ご飯は食べてるみたい。量を減らしてみたほうがいいのかな。

夜は動悸と過呼吸みたいになり1時間置きとかに目覚める。
母を助けてください。

脳裏に何度も過る。
質問に頷きながら何かを必死に伝えてくれようとした母の姿が。

息が吸えない
苦しい

母はもっと苦しいんだから
がんばらなきゃ、
わかってはいるけど

番外編 母のこと

2022-08-01 13:28:44 | 日記
番外編

母は長野県生まれ、8人きょうだいの末っ子。
母の姉、兄も脳梗塞やくも膜下出血をやっているが復活。
現在は母、3番目の兄、2番目の兄の3人だ。「おれより先にいくなよ」と泣いてくれた3番目の兄さま。手術中うろうろと近所を歩き回りながら心配してくれていたみたい。
本当はすぐに飛んでいきたいがこんなご時世で、長野の田舎から名古屋には来られないと。


母は150センチ40キロ、美容にはかなり気を遣っていて肌も髪の毛もつやつやして姿勢もよく、洋服もこだわりが強くてメイクも気張ってお出かけが大好きだ。
常々、「わたしがおしゃれに興味なくなったときは認知症を疑ってくれ」と言っていたくらい。
毎日川沿いの歩道を1時間散歩する。

映画を観ることが好きで、家でも猫と洋画アクションなどのDVDを借りてきてのんびり観ている。

朝ごはんはバゲットとコーヒー片手に新聞を読む。
1時間くらいかけて読む。

自転車は好きじゃないらしく近所ならどこへでも歩いていく。
重たい荷物があるときや遠くのショッピングモールなどは私の車で行く。
紆余曲折ありすぎたハードモードな母の人生は落ち着きを取り戻し、お金以外特に困ったこともなく1人でのんびり、友達にも恵まれ、近くに娘と孫たちがいて
ゆったりとした老後を過ごしていたであろうこの突然の出来事は、周りも巻き込み嵐のような日々をもたらした。

7/13  やることだらけ

2022-08-01 11:35:18 | 日記
7/13

学校へ二人を送り出し私は仕事へ。
職場の上司に事情説明してるときに、不覚にも涙が。
途中で帰ることもあるかもしれません、通常業務以外はしばらく受けられない、ご迷惑おかけします。と何とか伝えると、休んでいいよっていってあげられなくてごめんね。
大丈夫、いつでもちゃんと対応するからお母様優先で、と優しい言葉にまた涙。

急に休んだことないし、ミスも特にない、しっかり元気でいつも働いてくれていること感謝してます、と言ってくれて。

今までは長期休みも子どもが体調崩したときも母にお願いしていた。
お昼ご飯も作って食べさせてくれてて安心して仕事へ向かうことができていた。

母はどうしているのだろう。
目は覚めたのだろうか。
痛みは抑えられているのだろうか。

2週間も顔を見られないとはひどすぎる。
容態を聞くという名目で行ってみようか。


仕事終わりに実家へ
猫の調子が悪そう
何ヵ所か戻しているし何となく元気がない。

母の友人Iさんが限度額申請書を役所から取ってきて渡してくれた。
レトルトのピザやらパスタやらと一緒に。
来週母とバスツアーに行くはずだった、1人で行って写真をたくさん撮ってくる、などなど少し話をして、近所だし今後の送り迎えとか、何でも頼ってねと言ってくれた。
心強い。

カレンダーを見ながら母の予定していた、耳鼻咽喉科、肝臓の内科、眼科など、事情話して予約取り消しをする。


洗濯物を干しにベランダに出る。
先に実家にいるときとか、よく買い物や散歩帰りの母が道の向こうから颯爽と歩いていたからつい探してしまう。
またあんなふうに気軽に歩けるようになりますように。

明日は可燃ごみだから、猫トイレを完璧に洗浄。板もシートも砂も全取り替え。
冷蔵庫の中身も整頓。

何かしてなきゃ落ち着かないけれど、何してても結局落ち着かない。
胸が詰まって食欲もないし夜も眠れない。
それでも痩せはしないし倒れたりもしない。
丈夫に産んでくれたんだなぁ
ありがとう
こんなときのために丈夫なのかも

夜はサーコが。
おばあちゃんに会いたい
死んじゃったらどうしよう
おばあちゃん大丈夫のかな
会いたいよ

と大泣き。
1時間以上泣き続けて気を失うように寝た。
もらい泣きを我慢するつらさ。
サーコはおばあちゃん家でのんびりおばあちゃんと過ごすのが大好きで、繊細なサーコの心の支えになっていたんだと思う。

お母さんがんばって
がんばってしか言えなくて申し訳ないけど、がんばってほしい。