どうも、こんにちは。
今年の5月25日、妖怪こなきじじいなど数多くの妖怪伝説が遺る地でもある、徳島の秘境・大歩危(おおぼけ)で開催されました、『四国妖怪フェスティバル』へと行ってきました。
その時、そこで行われた「ジオガイドと巡る妖怪ツアー」という、大歩危の妖怪伝承地を巡るミニツアーに参加してきました。
今回から何回かに渡って、そのレポートした記事を書きます。
今回は、大歩危の藤川谷に現れたという妖怪・ヤマジチの伝承地を巡ります。
25日の朝10時、『四国妖怪フェスティバル』の会場、「道の駅大歩危」前に習合。
集合時には何十人もの参加者の姿が。
こういうイベントということもあってか、私のように遠方の県外から来た人が多数のようです。
ガイドの方を先頭に出発。
吉野川沿い、国道32号線を少し北へ歩きますと。
吉野川の支流・藤川谷川にかかる橋・藤川橋へ。
藤川橋の柵に、この地のこんな案内板が。
妖怪ヤマジチ。
昔、藤川谷の水無集落に現れ、村に危害をなして退治されたとされる妖怪です。
この妖怪ヤマジチの現れたという藤川谷に入るのです。
ところで、シリーズ前々回でも触れましたが、昔から暴れ川として知られた吉野川など、この地の自然は豊かで美しい一方で、人間にとっては危険で過酷な一面も時折見せるのです。
例えば、普段の吉野川の様子は以下のようですが。
台風などで増水すると、下図の赤線部分までが水に浸かってしまうそうです。
これだけでも大変な場所だというのがおわかりいただけると思いますが、そんな環境だから、昔から人々は、谷の上や山の中腹など高い場所に家や村を作って住み、茶など山の斜面地でも育つ作物を作って暮らしていたそうです。
そして、そんな自然環境での暮らしが、数々の妖怪伝承を生み出してきたのです。
これから訪れる藤川谷も、そんな場所です。
藤川橋の手前の道から、支流・藤川谷川沿いの道(徳島県道272号線)を進んでいくのですが、その前に橋の横にミョーなものが。
これは、四国などに伝わる「のびあがり」という妖怪の像です。
私にとっては、『ゲゲゲの鬼太郎』や水木しげる先生の妖怪本などでお馴染みの妖怪のひとつです。
のびあがりは、竹藪などに出現し、最初は小さな姿で現れますが、見ているうちに次第に大きくなり、あっという間に巨大な姿に変身し、驚いている人の喉元に噛みつくという、危険で恐ろしい妖怪です。
ただ、こののびあがりは歯が抜けているので、噛みつかれて生命を奪われることはない、とのことでした。
また「地上30~40センチのところを蹴飛ばすとそののびあがりは消えてしまう」という話も聴きましたので、大きく見えるのは幻影で、実体は小さいままなのかもしれません。
ここから藤川谷の道を進んでいきます。
最初の橋の下に、またミョーなものが。
これは河童!?
随分と可愛らしい河童さんですが(笑)。
この辺りの川には「エンコ」という河童の一種が棲み、人を川の中へ引きずり込む、という伝承が遺されているそうです。
橋から更に先、水無谷の道を進んでいきます。
ここにも河童・・・エンコの像が。
このエンコという妖怪は、人を水の中に引きずり込み「尻子玉」を抜くと伝えられ、特に昔の子供たちに非常に恐れられたそうです。
昔から夏になると子供たちは、この辺りの川で水遊びなどをしたそうですが、おそらく水難事故も少なくなかったと思われます。
おそらくは水難事故の危険から子供を守る為、危険な水場へと近づかせないようにする親たちの知恵が、こういう妖怪を生み出したのでしょう。
そう言えば、本シリーズでもよく登場していただいている京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏 もこんな発言をされていたのを思いましました。
古代より河童は人々により創造された。なぜなら水辺の事故が相次いで子供の命を奪うからだ。だからそれぞれの親は、危険な場所に子供が行かないように、そこに恐いモノの存在をほのめかした。河童は危険回避のために創造された。すなわち「人間のニーズが妖怪を創る。」★葛城トオルの新しい妖怪の概念
— 妖怪土蜘蛛の末裔・葛城トオル (@yokaido) August 18, 2018
この河童、エンコは、雄大な自然と、先人たちの知恵と親心とが生み出した妖怪とも言えるでしょう。
それでは今回はここまで。
大歩危の妖怪伝承地巡りは、まだ続きます。
続きはまた次回。
※ところで2024年の目標で、「(本シリーズでの)新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、前回と今回とで4カ所目。
目標まであと16本(16カ所)です。
*「道の駅大歩危」へのアクセス及び周辺地図かこちら。
*「道の駅大歩危」のHP
https://yamashiro-info.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/