どうも、こんにちは。
今年の5月25日、妖怪こなきじじいなど数多くの妖怪伝説が遺る地でもある、徳島の秘境・大歩危(おおぼけ)で開催されました、『四国妖怪フェスティバル』へと行き、そこで行われた「ジオガイドと巡る妖怪ツアー」という、大歩危の妖怪伝承地を巡るミニツアーに参加してきました。
シリーズ第892回から何回かに渡って、そのレポートした記事を書きます。
その第3回である今回は、大歩危・藤川谷の妖怪山じしの伝承・・・いや、目撃談・体験談が残されているという場所を訪れます。
シリーズ前回で、ヤマジチの像と茶業組合の前を過ぎ、藤川谷の道をさらに進んでいきます。
川沿いの民家の前に分かれ道が。
このまま舗装された道(徳島県道272号線)をまっすぐ進めば、「児啼爺(こなきじじい)」へ。道を曲がり、藤川谷川にかかる橋を渡れば「妖怪の里コース」へ、ということでしょうか。
橋を渡り「妖怪の里コース」を進んでいきます。
川を渡った向こう側の山道、舗装はされていますが。
両側に草木が生い茂り、車の離合が難しそうなほど狭い、いかにも山中の道という感じです。
すぐに道端に「山じじ」と刻まれた奇妙な姿の像が見えてきます。
(写真画像では見えにくいかもしれませんが)この像から川を挟んだ向こう側にある家が、妖怪村の村長・岡瀬さんのお宅であり。
岡瀬さんのおばあさん・シゲ女さんが、実際に子供の頃に山じじという妖怪に出会ったという話が、今も伝えられています。
シゲ女さんがまだ子供の頃。
山仕事をするお父さんに、弟と山の奥まで連れられていった時のこと。
お父さんが山仕事をしている間、シゲ女さんが、谷川で弟と遊んでいますと。
山の上から、藪をかきわけて、妙な姿のものが降りてきました。
裸で裸足。頭ははげ上がって、背中は毛のようなもの(あるいは蓑?)で覆われ。二つの目のうち片眼は潰れていてほとんど片眼のような、何とも異様な姿で。
しかし当時は子供だったシゲ女さんと弟は、その奇妙な姿をした者と一緒に、水のかけっこやかくれんぼなどをして遊んだそうです。
そしてひとしきり遊んだ後は、その奇妙な者は、藪をかきわけて、山の中へと去っていきました。
その後、シゲ女さんは父親に「あれは誰?」と尋ねたら、「あれは山じじぞ」と、当たり前のように答えた、という話です。
しかしシゲ女さんは「山の中には何とも変わったものが居るのだなあ」と思っただけで、怖いとか恐ろしいとかいう感情はわかなかったそうです。
シゲ女さん、昭和9年(1934年)生まれの90歳。非常に貴重で珍しい、現在もご存命の方による目撃談です。
それにしても、妖怪・山じじの正体とは一体何だったのか。
本当に妖怪だったのか。
サンカなどと呼ばれる、かつて日本に存在したとされる放浪民か、彼らに近い存在だったのか。
あるいは、外の文明社会とも、人里とも隔絶した生活を続ける、隠者や世捨て人のような存在だったのか。
それとも、文明社会から排除された社会的追放者のような人だったのか。
今ではもう、知りようもありませんが・・・。
ただ、子供たちと遊んで、何も危害を加えようとしなかったことから、危険な、邪悪な存在ではなかったようです。
いずれにせよ、そういう目撃談と、昔の伝承だけでなく実際に遭遇した人が居るのも、妖怪の里ならでは、のことでしょうね。
そこから川沿いの山道をさらに進み、次は赤子淵と呼ばれる、妖怪・川赤子の伝承が残されている場所へと案内されていきます。
それでは今回はここまで。
続きはまた次回。
※ところで2024年の目標で、「(本シリーズでの)新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で6カ所目。
目標まであと14本(14カ所)です。
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*『京都妖怪探訪』シリーズ
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