京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(262):小野篁と紫式部の墓所





 こんにちは。
 まだまだ公私供にオフが多忙な時期が続き、なかなかネット活動に関われません。
 が、マイペースででも更新を続けていきたいと思います。

 さて、本シリーズタイトルに「京都」とついているというのに、久々に京都に戻ってきたような観がありますが(笑)。
 本シリーズで何回かとりあげてきました、「あらゆることに秀でた天才」「あの世とこの世とを行き来する超人などの伝説もある小野篁
 その墓所とされている場所が、京都市内にあります。
 しかもそこには、『源氏物語』の作者として有名なあの紫式部の墓所もあるのです。
 今回は、そんな地を訪れました。

 まずは、いつものとおりにアクセスから。
 京都市営バス「堀川鞍馬口」停留所





 これは、北行き(堀川通り西側)の停留所ですが、ここから少しだけ北へと歩きますと、有名な島津製作所・紫野工場の門が見えます。





 島津製作所の北隣に、小さな入り口が見えます。





 ご覧の通り、「紫式部墓所」「小野篁卿墓」と書かれた石碑があります。
 ここには、堀川北大路・交差点の南西角(※京都市営バス「北大路堀川」停留所が最寄りの交通機関)から、少し南へ歩いてもたどり着けます。


 その入り口から中へ。
 うなぎの寝床のような敷地を奥へと進みます。






 敷地奥の一角の様子。






 小野篁か紫式部の顕彰碑らしいですが……すみません、私にはそこに書かれている内容は読めません。






 お地蔵さんらしき仏様が祀られている小さな祠が。





 「歯痛留地蔵」と書かれています。
 虫歯などの歯の病気を治したり、防いだりしてくださるお地蔵さんでしょうか?
 だとしたら、私には有り難い仏様です。
 しかし何故、この場所にあるのかまではわかりませんでした。


 ここで、敷地奥に並ぶ2つの墓石の方へ目を向けます。
 まず、2つのうち小野篁の墓です。






 もうひとつ、こちらは紫式部の墓のようです。






 この辺りはかつて、蓮台野と呼ばれる平安京の葬送地のひとつだったそうです。
 それで、こういう場所もあるというのはわかるのですが……。

 それにしても、生きた時代も違うはずの歴史上の有名人2人の墓が何故、仲良く(?)隣り合って並んでいるのでしょうか?

 単なる偶然でしょうか?

 「紫式部は小野篁に憧れていたため、彼の隣に葬られることを望んだ」とかいうロマンチックな説もあります。

 あるいは、「『源氏物語』という、エロ過ぎる(当時としては淫らな、ふしだらな)作品を書いて世に広めたために地獄に落ちて、閻魔大王の側近でもあった小野篁がそれを助けた」という説もあります。
 ただそれだと……。
 AVやエロ本、ポルノ映画、18禁エロゲー、やおいな同人誌とか創っている人たちも、みんな地獄行きということになるのでは?
 現代人には地獄行きになる人がたくさん居ることに?(汗)


 すみません、また変なことを考えてしまいましたが。
 ただ平安時代の葬送は、多くの場合は風葬であったそうです。
 つまり、墓石が残るような葬られ方をされていないかもしれない。小野篁と紫式部とが、本当にここに眠っているのかどうかも不明ですし、今となってはその真偽を確かめようもありません。


 ただそれでも、想像力をかき立てるロマンだけは残っています。






 それでは今回はここまで。
 また次回。






*京都妖怪探訪まとめページ
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コメント一覧

小路@管理人
http://moon.ap.teacup.com/komichi/
>ynpさん

 コメントありがとうございます。
 それならそれで、彼らの遺骨とかが見つかったら、面白いですね。
ynp
小野篁や紫式部みたいな地位の高い人たちが風葬なわけなかろう
小路@管理人
http://moon.ap.teacup.com/komichi/
>わ~い、お茶さん

 いつもコメントありがとうございます。
 1000年以上も前から、このような異才を排出した平安時代の日本には本当に驚かされます。
 本来の日本人とは、優れた感性と霊性とを持った民族だと、私は思うのですがね。
 
 ところで、平安時代にはこの2人のような優れた女性が、文学の世界で才能を発揮したのは何故か、ということについて。
 この時代、女性が政治に直接的に関わることが忌諱されたこともあって、その他の文化の世界に優れた女性の人材が流れたこともあったのだと思います。
 それに、これは現代日本でも似たようなところがあると思うのですが……。
 どうも、男性の方が社会に……というか、既存の社会体制の束縛とかしがらみに囚われてしまっているところがあったりして。
 (あくまで一般論ですが)女性の方がそういったものに囚われていない分、自由でいきいきとしているような、そんなところもあるような気がするのですが、いかがでしょうか。
わ~い、お茶
こんばんは、紫式部と必ず比べられるのは清少納言ですが、私は式部はおとなしくて納言は気が強い、とずっと思っていました。国語で「香炉峰の雪」の話でずっと思っていましたがどうもそうではないようです。「日本人の知らない日本語」シリーズの著者の海野凪子氏によると「清少納言は男勝りの性格で見た目の悪い男女がふざけあっているのを見ると我慢ならなかった」と言う事ですが、実際の所は式部は見た目は慎ましく見えても冷静で落ち着き払って内心は人を見下して居る感じがした為当時の宮中の彰子は「付き合いにくく、打ち解けることはない」との評判で納言の方は明るく正直であり、宮中の人との評判も良かった、と言う事だそうです。当時式部は16歳、納言は17歳だったそうです。
晩年は2人ともあまり幸せではなかったようです。納言は強いて言えば「エリカ様」の様な感じでしょうか。おとなしそうに見えて実は芯が強い芸能人といえば・・・?私はチョット思いつきませんが。そう言えば後世で男性でこのような物語を書いた人って居るのでしょうか?でも平安時代すでにこう言った人物と作品があった事を考えると日本人は霊性
が高い、と言うのは正しいと私は思います。
当時としては日本人らしからぬ才能と作品だったのでしょう。現代においてこの2人を越える作家が居ないのを見ると如何に2人とその作品「枕草子」「源氏物語」の完成度の高さに驚きます。
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