こんにちは。
まだまだ公私供にオフが多忙な時期が続き、なかなかネット活動に関われません。
が、マイペースででも更新を続けていきたいと思います。
さて、本シリーズタイトルに「京都」とついているというのに、久々に京都に戻ってきたような観がありますが(笑)。
本シリーズで何回かとりあげてきました、「あらゆることに秀でた天才」「あの世とこの世とを行き来する超人などの伝説もある小野篁。
その墓所とされている場所が、京都市内にあります。
しかもそこには、『源氏物語』の作者として有名なあの紫式部の墓所もあるのです。
今回は、そんな地を訪れました。
まずは、いつものとおりにアクセスから。
京都市営バスの「堀川鞍馬口」停留所。
これは、北行き(堀川通り西側)の停留所ですが、ここから少しだけ北へと歩きますと、有名な島津製作所・紫野工場の門が見えます。
島津製作所の北隣に、小さな入り口が見えます。
ご覧の通り、「紫式部墓所」「小野篁卿墓」と書かれた石碑があります。
ここには、堀川北大路・交差点の南西角(※京都市営バスの「北大路堀川」停留所が最寄りの交通機関)から、少し南へ歩いてもたどり着けます。
その入り口から中へ。
うなぎの寝床のような敷地を奥へと進みます。
敷地奥の一角の様子。
小野篁か紫式部の顕彰碑らしいですが……すみません、私にはそこに書かれている内容は読めません。
お地蔵さんらしき仏様が祀られている小さな祠が。
「歯痛留地蔵」と書かれています。
虫歯などの歯の病気を治したり、防いだりしてくださるお地蔵さんでしょうか?
だとしたら、私には有り難い仏様です。
しかし何故、この場所にあるのかまではわかりませんでした。
ここで、敷地奥に並ぶ2つの墓石の方へ目を向けます。
まず、2つのうち小野篁の墓です。
もうひとつ、こちらは紫式部の墓のようです。
この辺りはかつて、蓮台野と呼ばれる平安京の葬送地のひとつだったそうです。
それで、こういう場所もあるというのはわかるのですが……。
それにしても、生きた時代も違うはずの歴史上の有名人2人の墓が何故、仲良く(?)隣り合って並んでいるのでしょうか?
単なる偶然でしょうか?
「紫式部は小野篁に憧れていたため、彼の隣に葬られることを望んだ」とかいうロマンチックな説もあります。
あるいは、「『源氏物語』という、エロ過ぎる(当時としては淫らな、ふしだらな)作品を書いて世に広めたために地獄に落ちて、閻魔大王の側近でもあった小野篁がそれを助けた」という説もあります。
ただそれだと……。
AVやエロ本、ポルノ映画、18禁エロゲー、やおいな同人誌とか創っている人たちも、みんな地獄行きということになるのでは?
現代人には地獄行きになる人がたくさん居ることに?(汗)
すみません、また変なことを考えてしまいましたが。
ただ平安時代の葬送は、多くの場合は風葬であったそうです。
つまり、墓石が残るような葬られ方をされていないかもしれない。小野篁と紫式部とが、本当にここに眠っているのかどうかも不明ですし、今となってはその真偽を確かめようもありません。
ただそれでも、想像力をかき立てるロマンだけは残っています。
それでは今回はここまで。
また次回。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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