天神になったという菅原道真を祀った社は、他神社境内の摂末社をも含めると実に膨大な数にのぼります。
それだけ天神信仰が広がっていたということですが、面白いのは、後から様々な能力を与えられてパワーアップしていることもあるのです。
最初は単に祟りや災厄などをもたらす怨霊として恐れられていた存在にすぎなかったが、「学問の神様」とか、「商売繁盛の神様」とか、「雷の神様」から転じて「電気の神様」だとか、ついには「火難・水難除けの神様」だとか、後から「様々なご利益をもたらす」と考えられ、崇められるようになっています。
シリーズ第37回と第103回でとりあげた「水火天満宮」もそうですが、今回も「火難除けの神様」としての菅原道真を祀った社のひとつを紹介します。
しかもその社は、京都の市街地のほぼど真ん中、ビルの谷間、駐車場の脇にひっそりと建っているのです。
京都市のメインストリートともいうべき、四条通り。
その中でも特に賑やかで人通りの多い場所のひとつ、寺町四条の辺りです。
写真の真ん中から右側を占めている大きな建物は、藤井大丸です。
ここには、祇園祭の時に祭神の分霊を乗せた3基の御輿が神幸祭から還幸祭までの間に滞在する御旅所もある場所です(詳細は祇園祭関連の記事をご覧ください)。
なお最寄りの交通は、阪急電車の河原町駅か、京都市営バスの「四条河原町」停留所です。
寺町四条の交差点から、寺町通りを少し南へ行きます。
ビルの谷間のある、高島屋駐車場への細い出入り口の横に「火除天満宮」の入り口をしめす石碑が見えます。
なお、この写真を撮ったのは確か去年あたりだったので、現在では周辺の店舗などの様子は少し変わっているかもしれません。
入り口の立て札を参考にして、ここで「火除天満宮」の由緒を説明します。
天正7年(1579年)九州の太宰府から、一人の神官が道真の像を持って京都に入り、六条通周辺に祀ったのが始まりとされています。
天正15年(1587年)、烏丸二条の地に大雲院が創設される際に、鎮守社として迎えられその後、慶長2年(1597年)現在の地に創建されました。
京都市中が焼失がしたという元治2年(1864年)の「蛤御門の変」では、この辺りだけが奇跡的に類焼を免れています。それ以降、何度も火難から救われたという伝承あり、それで「火難除けのご利益もある」と考えられるようになったそうです。
ここから鳥居をくぐって中に入っていきましょう。
ここは手水舎のようです。
ここの水は、地下の伏流水を汲み上げたものを御神水としているそうです。
第28回の「錦天満宮」や第59回の「下御霊神社」のように、京都市内には古くからこうした良質の地下水を汲み上げている場所がいくつもあります。
ここでちょっと水を飲もうとしたら、こんな注意書きが。
>水質検査はしていますが、飲用には念の為煮沸してください。
御神授与時間 十時から四時
訪れた時には、もう既に夕方5時を過ぎており、社務所も閉まっていました。
残念ながら、この時は御神水を諦めました。
さらに先へと進みます。
「天満宮第二十五社第九番」の石碑と、天満宮と菅原道真の象徴ともいうべき牛の像もありました。
そして、本殿前。
現在の私は製造業関係に従事しております。
火災などの災害予防は大事ですので、ここで私も「火難除け」を祈願します。
ちょっと失礼して、高島屋駐車場出入り口から少しだけ敷地の中へ入れてもらい、本殿の全体像も撮らせていただきました。
京都の町中には、こんな面白い歴史や伝説などが遺された場所が、まだまだたくさんあるようですね。
まだまだ『京都妖怪探訪』シリーズのネタは尽きそうにもないですし、私自身も面白くてまだまだやめられそうにもありません。
それでは、今回はここまで。
また次回!
火除天満宮のホームページ
http://www.tt.em-net.ne.jp/~teda/koyama/index.html
火除天満宮の地図はこちら。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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